内容紹介

『生きづらさについて考える』(毎日新聞出版)

  • 2019/09/04
生きづらさについて考える / 内田 樹
生きづらさについて考える
  • 著者:内田 樹
  • 出版社:毎日新聞出版
  • 装丁:単行本(320ページ)
  • 発売日:2019-08-24
  • ISBN-10:4620325988
  • ISBN-13:978-4620325989
内容紹介:
今の日本の社会は本当に風通しが悪い。生きづらい時代だ。読むと気が滅入りそうなのに生きる力が湧いてくるウチダ式ニッポン再生論!
思想家で武道家でもある内田樹さんの著書『生きづらさについて考える』が2019年8月24日、発売となりました。内田さんは、自身が10代だった1960年代と比べて、今の日本の社会はとても風通しが悪く、息が詰まりそうで、ほんとうに生きづらい時代だと言います。あらゆる面で既存のシステムやルールが壊れかけているのに、日本の社会はその変化に柔軟に対応できず、硬直化していると見ています。誰もが感じているこの時代の生きづらさについて、原因を解きほぐし、打開のヒントを提示します。発売直後、たちまち重版が決定。今回は、「第1章 矛盾に目をつぶる日本人」の1番目に収録されている「私たちは歴史から何も学ばない」を公開いたします。

 時代がどうあれ 生き延びてゆくためのウチダ流哲学

繰り返す破局

戦争が終わって5年後に生まれたので、戦後70年のうち65年を生きてきた勘定になる〔2015年〕。子どものころは歴史の流れというようなものは感じなかった。社会というのは昔からずっと、「こんなもの」であり、これからもずっと「こんなもの」であり続けるだろうと無根拠に信じていた。それ以外の世界を知らないんだからしかたがない。

でも、30年、50年、60年と馬齢を重ねるにつれて、社会というのはずいぶんころころと変わるものだということを学んだ。実に驚くほどよく変わる。昨日まで「右」と言っていた人たちが一斉に「左」だと言い出す。よくそんなに器用に切り替えられるものだと感心するが、それは言い換えると「世の中がどれほど激しく変化しても、それから何も学ばない」風儀というのは、ぜんぜん変化しなかったということである。どれほど世の中が変わっても、変化したことに気づかない人間、だから変化の原因についても考えない人間、そういう人たちが実は世間の過半を占めているということに気がついたのは、恥ずかしながら齢(よわい)知命を超えてからあとのことである。

カール・マルクスは『ルイ・ボナパルトのブリュメール一八日』の冒頭にこのような言葉を記した。

世界史的な事件や人物は二度現われる。一度目は偉大な悲劇として、二度目はみすぼらしい笑劇として。(横張誠訳『マルクス・コレクション3』筑摩書房、2005年、3頁)

長く生きてきてわかったことは、同じような破局的状況は実は三度も四度も繰り返すということであった。二度目三度目までは「笑劇」で済ませられても、四度、五度と続くと、さすがに笑いも凍り付く。この強迫的な反復は、むしろ人間に刻印された痛ましい宿命を語っているのではないかと今では思う。

私たちは歴史からほとんど何も学ばない。同じ愚行を、そのつど「新しいこと」をしているつもりで際限もなく繰り返す。それが私が歴史から学んだ最も貴重な教訓の一つである。冷笑的過ぎるだろうか。だが、マルクスも実はそう続けて書いていたのである。

生きている者たちは、ちょうど、自分自身と事態を変革し、いまだになかったものを創り出すことに専念しているように見えるときに、まさにそのような革命的な危機の時期に、不安げに過去の亡霊たちを呼び出して助けを求め、その名前や闘いのスローガンや衣裳を借用し、そうした由緒ある扮装、そうした借りものの言葉で新しい世界史の場面を演じるのである。(同書、4頁)

同じふるまいを私たちは過去を回想するときにも行う。つまり、「ほんとうに革命的な危機の時期」のことをたっぷり手垢のついた、出来合いの、借りものの言葉で記述するのである。たまに地獄の釜の蓋ふたが開くときがある。私はそのような思いを二度経験した。1960年前後と1967年前後である。地獄の釜の蓋が開いたとき、私は硫黄の匂いを嗅いで、業火で眉毛を焦がした。でも、そのことをもうみんな忘れている。「え? そのときって、何があったんだっけ?」と平気で訊いてくる。
 

忘れるからこそ「次の戦争」も起きる

1960年前後は核戦争と世界消滅の不安が世界を覆い尽くしていた。1962年のキューバ危機のとき、米ソは第3次世界大戦の一歩手前まで行った。だから、その時代に書かれたSF小説やSF映画はその多くが「核戦争で人類が滅びた世界」を素材にしていた。

S・キューブリックの「博士の異常な愛情」やS・クレイマーの「渚にて」は、ほとんどドキュメンタリーのような冷酷さで世界が滅びるプロセスを活写している。そもそもSFというジャンルそれ自体が、既成の文学ジャンルでは「人類が発明したテクノロジーで人類が滅びる」というスケールの物語を収めきれなかったので、その時期に「発明」されたのである。

日本の子どもたちの頭上に降り注ぐ雨水の中には、頻繁に太平洋で繰り返される原水爆実験の「死の灰」が含まれていた。でも、誰も「線量を測れ」というようなことは言わなかった。だって、たぶん地球上の人間はみんなそのうち核戦争で死ぬんだから、じたばたしてもしかたがない、無意識のうちにそう思っていたからである。その自暴自棄気分を培地にして、1960年前後のクレージーキャッツの「スーダラ節」に象徴されるアナーキーでワイルドなサブカルチャーは生まれたのである。出自の事情を忘れては困る。

1967年前後の地球規模の地殻変動のことも、もうたいていの人は忘れている。中国では文化大革命が起きていた。死者1000万とも言われる内戦が隣国で10年続いていたのである。アメリカはベトナム戦争の泥沼にはまりこみ、国内ではブラックパンサーが武装蜂起を呼びかけていた。パリでは五月革命がドゴール体制を揺るがしており、ドイツではバーダー・マインホフ・グループが、イタリアでは「赤い旅団」がテロ活動をしていた。日本では全共闘運動が全国の大学に広がり、若者たちのベトナム反戦と反帝国主義の闘いに戦中派の一部が共感を示していた。世界中が明日はどうなるかわからない状況だった。そして、核戦争前夜と同じように、明日はどうなるかわからないときには「失うべきもの」を持たない若者たちがやたらに元気がいいのも世界共通だった。そして、社会が秩序を回復し、いくばくかの「失うべきもの」を手に入れると、若者たちがいきなり現状維持に転向してしまったのも、これも世界共通だった。

「中国政府のガバナンスに問題がある」という話を先日誰かに言われて思わず失笑した。いつと比較してそう言っているのか。まさか文化大革命のときと比べているわけじゃないだろうね。どれほどの「危機」を経験しても、人間はころりとそれを忘れてしまって、前からずっと世界は「こんなふう」だったと思い始める。そういうものである。

戦後70年、私たちは同じ劇の何度目かの「再演」の時を迎えている。安倍政権が進めようとしている「次の戦争」の開戦の時である。これは日本人のほぼ全員にとっては、一度も経験したことのない歴史的経験でもある。集団の経験としては見慣れたものであるが、個人の経験としてははじめて出会うものである。私の個人的記憶が教えるのは、そういう「地獄の釜の蓋が開く」時にも、多くの人はそれに気づかずになげやりな日常を送っているということである。そして、蓋が閉じた後にも、自分が何を経験したのか覚えてさえいない。
生きづらさについて考える / 内田 樹
生きづらさについて考える
  • 著者:内田 樹
  • 出版社:毎日新聞出版
  • 装丁:単行本(320ページ)
  • 発売日:2019-08-24
  • ISBN-10:4620325988
  • ISBN-13:978-4620325989
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今の日本の社会は本当に風通しが悪い。生きづらい時代だ。読むと気が滅入りそうなのに生きる力が湧いてくるウチダ式ニッポン再生論!

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