解説

『謹訳 源氏物語 九 改訂新修』(祥伝社)

  • 2019/10/09
謹訳 源氏物語 九 改訂新修 / 林望
謹訳 源氏物語 九 改訂新修
  • 著者:林望
  • 出版社:祥伝社
  • 装丁:文庫(405ページ)
  • 発売日:2019-09-12
  • ISBN-10:4396317654
  • ISBN-13:978-4396317652
内容紹介:
姉・大君を喪った中君は心を砕くような悲しみの中にいる。薫もまた大君の他界後、涙に暮れて過ごしている。そんななか、匂宮は、中君を京の二条院に迎え入れることを決めるのだった。薫二十五歳から二十六歳まで。早蕨、宿木、東屋を収録。
林望氏による『源氏物語』の現代語訳『謹訳 源氏物語』。毎日出版文化賞特別賞を受賞した話題作が文庫化。すべての訳を見直し、『謹訳 源氏物語 改訂新修』と題して刊行中だ。このたび刊行した第九巻には、作家三浦しをん氏が解説を寄稿。今回特別に、解説の全文を公開する。

『謹訳 源氏物語』で知った宇治十帖のおもしろさ――作家・三浦しをん

単行本『謹訳 源氏物語』の刊行がはじまったとき、次の巻が出るのが待ちきれぬ思いで、夢中で読んだ。今回、文庫の解説を書かせていただくにあたり、改めて一巻から通して読んだのだが、やはり滅法おもしろい。

私はいまに至るまで、『源氏物語』を原文で読もうと試みては挫折することを繰り返している。その無念を胸に、現代語訳は漫画を含めてさまざまなバージョンを読んできた。それぞれに訳者の方針と味わいがあり、「なるほど、『源氏物語』とは奥深い小説なんだなあ。かえすがえすも、原文で読めない我が身の不甲斐なさ、口(くち)惜(お)しさよ……」と思っていた。

数ある現代語訳のなかで、比較するわけではないが(当然ながら、読者の好みや、読むタイミングや、体調なども勘案されることなので)、「ついに決定版が来た! これだ!」とものすごく腑(ふ)に落ちたのが、林望さんの『謹訳 源氏物語』だった。

原文をちゃんと読めてないのに言うのも憚(はばか)られるが、現代人が『源氏物語』を読むにあたってのネックは、主に以下の三点ではないだろうか。

 一、敬語がわからない。

 二、しばしば挿入される和歌がわからない。

 三、宇治十帖がつまらない(ように感じられる)。



林さんは、地の文の敬語についてはフラットにし、かわりに主語を明確にする方針を採られた。原文では敬語の使いかたによって、「ははぁん、ここは○○さんについて語っているんだな」と読者は了解できる仕組みだが、現代の小説の「語り」に近いものにしてくださったのだ。そのおかげで、非常に読みやすくわかりやすい現代語訳になっている。

しかも、平安時代の空気はまったく削(そ)がれていない。平安時代に生きていたわけではないので、推測ではあるが、もともとの『源氏物語』が執筆された当初、宮中で暮らす人々がキャッキャと言いながら読み、つづきを楽しみにしていたであろう気持ちを、追体験することができる。

その理由は、作中で挿入/引用される和歌や漢詩の、さりげなくも的確な訳と説明にある。

私のように不(ぶ)調(ちよう)法(ほう)なものは、登場人物が和歌を詠んでも、「……」となってしまって、なにを言いたいのやらさっぱりわからない。「古歌を引用しつつ心境をほのめかす」などという高等技法を発揮されると、我が脳内の空白はますます広大なものになり、この空白地帯が紙だったら、それこそ『源氏物語』全段を書写できるのではないかと思うほどだ。

しかし、『謹訳 源氏物語』を読めば、大丈夫! 和歌の部分もするすると頭に入ってきて、登場人物の気持ちをより深く感じ取ることができるし、和歌と響きあう作中の情景も鮮やかに浮かんでくる。つまり、『源氏物語』を楽しんだ平安時代の人々の気持ちになって、この偉大な小説に親しむことができるのだ。

『謹訳 源氏物語』の特長は、「もしかして私、原文もすらすら読めるんじゃないかしら。というよりむしろ、私自身が風雅を解する平安貴族なんじゃないかしら」と思わせてくれるところだ。そんな勘違いをしてしまうほど、『謹訳』版は『源氏物語』の真髄を自然に堪能させてくれる。むろん、実際は何十度目かの原文読解に挫折し、平安貴族とは程遠い木石(ぼくせき)のごとき心しか有していないと判明して、がっかりすることになるのだが。

なによりも「すごい」と思ったのが、宇治十帖だ。私はこれまで、「宇治十帖って、なぜか読んでるうちに眠気が……」と思っていたのだが、『謹訳 源氏物語』ではじめて、そのおもしろさに気づくことができた。そして、自身の不明を恥じた。

『謹訳』版を通して感じたのは、「宇治十帖とは、本編(光源氏の物語)をさまざまに変奏しつつ、より深みへと到達していく話なんだな」ということだ。本編よりも登場人物の造形がさらに複雑になっており、だからこそ原文を読みこなせない身としては、これまで「わからん……、お手上げ……」だったのだなと。しかし『謹訳』版を読んで以降、宇治十帖こそがもっともおもしろく、より現代に通じる問いかけがあるのではないか、といまさらながら思うようになった。

この巻で登場する浮(うき)舟(ふね)は、次の十巻で大変な決断をし、人々の心の綾(あや)と「運命」のようなものが、残酷なまでにありありと描きだされることになる。だがそれは、宇治十帖の最初から、いや、そのまえの本編のときから、ずっとずっと投げかけられていた問題提起だったのだ。

あくまでも現代を生きる私の感覚ではあるが、問題提起の肝(きも)は、「女性はどう生きればいいのか」ということと、「身分や立場のちがいとはなんなのか」ということだと思う。もちろん、「女性はどう生きればいいのか」を問うことは、男性も含めて「人間はどう生きればいいのか」を問うことにほかならない。

宇治十帖では、「求婚を拒否する大君(おおいぎみ)」「当初の予定とはちがうひとと結婚し、そのなかで喜びや苦しみを味わう中(なかの)君(きみ)」「二人の男性から求婚され、思い惑う浮舟」という三者三様の女性のありさまが語られる。そこからうかがわれるのは、「現代人が思う『愛』は、平安時代にはたぶんまったく通用しない概念である」ということと、「身分や経済力が、平安時代の恋や婚姻のみならず、実は我々の思う『愛』にも、密接に絡んでいる」ということだ。

宇治十帖に登場するヒロインたち(本編に登場する女性たちもだが)は、明確なうしろだてがなく、男性の地位や経済力に頼らなければならない立場だ。おつきの女性たちも、女主人が零落するに任せていては、自身もおまんまの食い上げだから、求婚を受け入れるよう熱心に勧める。けれどヒロインたちの心中は、ほとんど「困った……」でいっぱいなのである。若くて美形のお金持ちに言い寄られても、あまり幸せそうではない。なぜなのか、ということが微細かつ繊細に物語られていく。

これはもう、現代を生きる我々にとっても、他(ひ)人(と)事(ごと)とは思えぬところだろう。性別も関係ない。求婚に関する男性側の事情は、浮舟に言い寄る少将の言動から推し量られる。女性も男性も、経済力や社会的立場が、交際や結婚や将来の展望などに影響を及ぼし、「自身の気持ちや意思」は表明すらできぬ状況に陥ってしまうことがある。この「運命」にも似た理不尽、社会構造のなかで、いかに生き、現状を打破し、あるいは打破せぬまでも少しでも居心地のいい場所を見いだしていけばいいのか。登場人物が思い悩むさまは、読んでいて本当に身に迫って感じられる。書かれてから千年以上経っても色褪せることない『源氏物語』の凄み、そしてそれを見事に現代人にも伝えてくれる『謹訳』版のものすごさを痛感する。

各登場人物の個性が際立っているのも、物語に入りこみやすい理由だろう。『謹訳』版を読んでいると、そもそも薫(かおる)ってのはヒーローにふさわしくないやつだなと、つくづく思う。うじうじと抹香(まつこう)臭いことを考え、異様に未練がましく(中君からも不審がられているほどだ)、そのくせすぐにセクハラ行為を仕掛ける。「なんなんだ、おまえは。暇なのか。ちゃんと仕事しろ」と腹立たしさがマックスに達した瞬間、

かような色めいたことでなくて、まともな政治向きの方面などについての薫の心のありようなどは、もっとしっかりしたものであったろうと推量してしかるべきところに違いない。

(原文:まことしき方ざまの御心おきてなどこそは、めやすくものしたまひけめとぞ推し量るべき。)

と、的確なるフォロー。仕事は仕事で、それなりに(?)してたんだな。すまん、薫。

もちろん薫にもいいところはあって、たとえば母親である女三の宮(入道の宮)に優しい。出生に関していろいろ事情があるので、真相を知ってグレたりするのではと、こちらとしては気を揉(も)むのだが、薫は常に母親への敬愛の姿勢を崩さず、たまにちょっと甘えたりもする。

真面目で優しいんだけど、恋愛方面に関してだけは異様に不器用。いるなあ、こういうひと、とむちゃくちゃ親しみが湧く。

匂宮(におうのみや)についても、自分はよろしくやっているにもかかわらず、嫉妬を抑えきれず中君にネチネチ言っちゃうあたり、「まあ、そういうものだよな」と人間くささに首がもげそうなほどうなずいてしまうし、彼らに対する作中の女性陣や作者の品評も的確で、何度も笑ったりうなったりした。たしかに女性は仲間内で、「あのひとの言動って、どうなの」「いや、きっと彼は彼なりに、こう考えてるんじゃない」などと、はてしなくああだこうだとしゃべっているものである。

その会話に参加させてもらっているような、愉快な気持ちになれるのが、『謹訳 源氏物語』だ。女房の一人になった気分で読み進めるうち、卒然(そつぜん)と感受できる。私たちは喜びや苦しみを味わいながら、千年以上にわたって、「いかに生きるか」を考え模索しつづけてきたのだなということを。「正解」が見つかることはないかもしれないけれど、真(しん)摯(し)な模索をした登場人物たちの営みが(そしてそれを書き、読んだひとたちの思いが)、作品の形でいまも残されている事実に、非常に勇気づけられる。「我々は一人じゃないんだな」と感じられるからだろう。

『謹訳 源氏物語』は、千年以上まえの声を、「訳した」と思えないほど自然に、正確に、躍動する息(い)吹(ぶき)すらもそのままに、いまを生きる私たちのもとに伝えてくれる。そのおかげで、我々は時空を超えてひとの心に触れ、思いを馳(は)せる回路を、手に入れることができたのだ。

[書き手]三浦しをん(作家)
謹訳 源氏物語 九 改訂新修 / 林望
謹訳 源氏物語 九 改訂新修
  • 著者:林望
  • 出版社:祥伝社
  • 装丁:文庫(405ページ)
  • 発売日:2019-09-12
  • ISBN-10:4396317654
  • ISBN-13:978-4396317652
内容紹介:
姉・大君を喪った中君は心を砕くような悲しみの中にいる。薫もまた大君の他界後、涙に暮れて過ごしている。そんななか、匂宮は、中君を京の二条院に迎え入れることを決めるのだった。薫二十五歳から二十六歳まで。早蕨、宿木、東屋を収録。

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