後書き

『平和構築を支援する―ミンダナオ紛争と和平への道―』(名古屋大学出版会)

  • 2020/05/07
平和構築を支援する―ミンダナオ紛争と和平への道― / 谷口 美代子
平和構築を支援する―ミンダナオ紛争と和平への道―
  • 著者:谷口 美代子
  • 出版社:名古屋大学出版会
  • 装丁:単行本(392ページ)
  • 発売日:2020-04-10
  • ISBN-10:4815809852
  • ISBN-13:978-4815809850
内容紹介:
リベラル平和構築論を超えて――。15万人に及ぶ犠牲者を出し、日本も関わるアジアの代表的地域紛争の和平をいかに実現すべきか。徹底した現地調査により、分離独立紛争とその影に隠れた実態を解明、外部主導の支援の限界を示して、現地社会の視点をふまえた平和構築のあり方を考える。
強権的な政治手法に対し国際社会から批判の声も多いフィリピンのドゥテルテ大統領。そんな彼が「国家の歴史的不正義を認めたミンダナオ出身の初めての大統領」として大きな期待を背負い、地域紛争の和平を推進していることは、日本であまり知られていないかもしれない。2018年7月、地域に高度な自治を認めるバンサモロ基本法が制定され、2019年初めの住民投票で自治地域の範囲が定められた。2022年には選挙により新たな自治政府が設立される予定である。
日本も長年かかわってきたこの地域紛争の和平はいかにして実現されるのか。現地で支援活動に携わった経験もある谷口美代子氏の『平和構築を支援する――ミンダナオ紛争と和平への道』が今年出版された。現在進行形の問題を詳細に分析した本書の内容を、「あとがき」より一部抜粋してご紹介する。

「国家 対 反政府勢力」だけでは説明できないミンダナオ紛争、その和平への道のり

2005年、分離独立紛争の地として知られるコタバトの空港に初めて降り立った。ARMM[ムスリム・ミンダナオ自治地域]政府に対する行政能力向上支援(JICA事業)に従事するためだった。空港を出ると、JICAコタバト事務所の現地スタッフが、護衛のために停戦監視委員会から派遣された国軍兵士(私服)とともに出迎えてくれた。当時、停戦合意下にあって、空港周辺にとどまらずいたるところに国軍の検問所があり、迷彩服の兵士に物々しい様子で車中を確認される。移動中の車輛から垣間みえた人びとの生活の様子は、フィリピンの他の地域のものとは異なる次元にあり、一目見るだけでも厳しいものであったことを今でも鮮明に覚えている。

通常、この地域の多くの人びとは掘立小屋のような家屋で最低限に近い生活を営んでいる。実際、フィリピンの他地域よりも平均余命は短く、社会経済指標も著しく低い。格差も大きい。郊外に出ると、長閑な田園風景の中に国際援助機関によって建設された避難民のプレハブ住宅が連なったかと思えば、しばらくすると高級住宅が突如として出現する。後に、前者がクラン[氏族]間抗争や国軍による対MILF[モロ・イスラーム解放戦線]軍事作戦によって退去を強いられた人びとの住居であり、後者が2009年マギンダナオ虐殺事件の首謀者となったアンパトゥアン一族の住居であることがわかった。

この地域では、地方自治体の首長が、護衛のための合法化された私兵団とともに、何台もの大型車輛を連ねて移動する光景は珍しくない。各地で調査や事業を実施しようとすると、クランの間で武力紛争が発生したとの理由で、頻繁に対象地域や工程などの変更を強いられる。場合によっては、対立するクランがMILF/MNLF[モロ・民族解放戦線]の司令官同士だったりすることもある。こうした権力と武力を有する有力クランによる争いは、実は、分離独立紛争の影で一般住民の日常生活に多大な影響を及ぼしている。

開発協力の現場では、一般住民に聞き取り調査をすることがある。その場合、地方自治体の首長への表敬訪問は欠かせない。その際に、調査の目的や内容を事細かく説明し、現場には必ず自治体の職員が同行する。場所によっては、治安の名のもとに国軍や私兵団が装甲車を連ねて同行する。人びとの表情は当然硬く、フィリピンの他地域でみられるような「よそ者」に対する親しみやすい笑顔はない。何を聞いても「ダトゥ[共同体の指導者]に聞いてほしい」と、自身の考えを述べることはほとんどない。

こうした現場経験を通して痛感したのは、ミンダナオ紛争をめぐる問題が「国家 対 反政府勢力」といった単純な対立構造だけでは説明しきれないということだった。ミンダナオにとどまらず、紛争影響地域では、一見矛盾したことが重なり合う事態に頻繁に遭遇する。それゆえに「なぜ、国家からの分離独立を目指す人びと同士が殺し合うのか」「なぜミンダナオでは紛争や暴力が延々と続いているのか」などの疑問が自然と浮かびあがってきたのである。

そして、開発協力に携わるものとして、「開発事業の対象地域・対象者、支援内容を適切に選定できているだろうか」「無自覚のうちに、特定の有力者の権力を拡大したり、社会的緊張を高めたりしていないか。外部支援(援助資源)を導入することが、新たな紛争の火種になっていないか」といった道義的責任について、強く意識せざるをえなかった。こうして、この地域における問題を歴史的視点からより深く理解し、人びとにとってより効果的な協力を行うための一助になればと、学術研究を開始した。

しかし、その過程は治安の制約や現地社会の排他性・政治性などにより、想定した以上に困難をきわめた。人類学の手法を用いた一般の人びとの紛争・暴力の認知に関する調査では、調査結果の信頼性を確保することが難しく、一部断念せざるを得なかった。他方、歴史に学ぼうと、大学・研究機関の図書館・資料館などで、100年以上前からの歴史書や公文書に目を通し、どのようにその時々の為政者がこの地域を統治しようとしたのかを汲み取ろうとした。さらに、米国統治期以降の新聞報道などをもとに、出来事を時系列に並べてその文脈を事実から理解しようとも試みた。こうした調査のなかで、あまりにも理不尽な状況に、時に怒りに震え、涙したことも少なくない。とはいえ、無実の人びとが犠牲となるような不正義に対する、こうした感情を原動力に、それを理性や知性に転換して実務や研究に役立てようと心掛けた。

2017年に博士論文を提出してから本書出版に至るまで、ミンダナオ和平は大きく進展した。この2年半で経験した平和構築をめぐる出来事は、それまでのミンダナオ紛争の歴史の中でも、最も和平が動いたダイナミックなものだったといっていいだろう。こうした状況に歴史の証人として立ち会えたことは、この地域の平和を願う一個人の人生にとっても大きな出来事となった。

その過程で最も感銘を受けたのは、分断の歴史を乗り越えて、バンサモロの人びとが自治実現のために結束を呼びかけ、またその実現に向けて彼らと協力するキリスト教徒の姿だった。それまで20年以上にわたって紆余曲折の和平プロセスを見てきた著者は、BARMM[バンサモロ・ムスリム・ミンダナオ自治地域]設立という事実だけでなく、それを可能にした人びとの結束に勇気づけられた。そのため、このような歴史的事象を個人の記憶のみにとどめるのではなく、学術研究として昇華させる責任を強く感じた。そして、日本の多くの方々にこのことを知っていただけるよう、当初予定していた出版時期を遅らせて2017年から20年初めに至る展開を本書に含めることにした。

本書の完成に至るまで、実務と研究との間を往来するなかで、自身の立ち位置のあり方をめぐってもがき苦しんだ。先行研究をもとに、批判的精神に基づき体系化された知を生み出す学術研究と、短期的かつ実践的な問題解決策が求められる開発実務との間には大きな隔たりが存在する。両者を架橋するために日々葛藤する中、手を差し伸べてくださった多くの方々の励ましに心から感謝申し上げたい。今後、多くの事例において、本書が平和構築を議論する際の論点となれば幸いである。

[書き手]谷口美代子(広島県尾道市生まれ。現在、JICA国際協力専門員。)
平和構築を支援する―ミンダナオ紛争と和平への道― / 谷口 美代子
平和構築を支援する―ミンダナオ紛争と和平への道―
  • 著者:谷口 美代子
  • 出版社:名古屋大学出版会
  • 装丁:単行本(392ページ)
  • 発売日:2020-04-10
  • ISBN-10:4815809852
  • ISBN-13:978-4815809850
内容紹介:
リベラル平和構築論を超えて――。15万人に及ぶ犠牲者を出し、日本も関わるアジアの代表的地域紛争の和平をいかに実現すべきか。徹底した現地調査により、分離独立紛争とその影に隠れた実態を解明、外部主導の支援の限界を示して、現地社会の視点をふまえた平和構築のあり方を考える。

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