本文抜粋

『死を受け入れること ー生と死をめぐる対話ー』(祥伝社)

  • 2020/07/07
死を受け入れること ー生と死をめぐる対話ー / 養老 孟司,小堀 鷗一郎
死を受け入れること ー生と死をめぐる対話ー
  • 著者:養老 孟司,小堀 鷗一郎
  • 出版社:祥伝社
  • 装丁:単行本(ソフトカバー)(192ページ)
  • 発売日:2020-07-01
  • ISBN-10:4396617305
  • ISBN-13:978-4396617301
内容紹介:
3000体の死体を観察してきた解剖学者と400人以上を看取ってきた訪問診療医。
死と向き合ってきた二人が、いま、遺したい「死」の講義。
現在共に82歳の二人。同じ東大医学部を卒業後、養老先生は解剖学者、小堀先生は外科医の道へ。小堀先生は現在、訪問診療医として、看取りに関わっています。
二人が取り組んできた仕事は、死と密接な関係にありました。
二人が「死」について初めて語り合ったのが本書になります。
それぞれの生い立ちから東大医学部での日々、解剖学者、外科医としての仕事、これからの日本で、死はどんな姿を現すのか。
『死を受け入れることー生と死をめぐる対話―』より、一部抜粋、公開します。
 

在宅死が当たり前ではなくなった。その人らしい死に方とは何か


病院で死ぬことが常識


小堀
統計を見ると、今、在宅死は十二~十三%くらいの割合です。死んだ場所で病院死の割合が減少傾向にあるのは、老人ホームや介護施設で死ぬ人が増えているから。ただ、今後、在宅死が増えるということはないでしょう。
それは、日本では病院で死ぬことが当然と考えられていから。医者も死ぬ人も、そうなんです。日本は、僕と養老先生が生きているこの十年くらいは変わらないのではないですか。

養老 本人の希望とは関係なく、病院で死ぬことが常識なのでしょう。僕は病院に行くのは、現代人の道理に嵌(は)め込むってことだと思っています。
病院が嫌なら行かなきゃいい。僕は女房が心配するので、仕方がないから病院に行きます。家族に無駄な心配をかけたくない。自分だけで生きているわけではないから。だけど、自分からは決して行きません。
日本は一斉に都会化してしまいました。少なくとも頭の中では。病院で生まれて、病院で死ぬとしたら、僕たちは全員仮退院中の患者です。でも病院で死ぬのは嫌。それこそ、虫取りの最中に事故で死んだほうがマシです。
うちの兄は奥さんが先に死んで、十年くらい都営住宅で一人暮らしをしていました。競馬友だちが来て死んでいるのを発見したのは、ちょうど大晦日でした。在宅で死んで当たり前という感じですが、管理会社がうるさくて。次に借りる人が気にしないように、どういう状況で死んだかという。

小堀 そうですね。

養老 僕は、在宅死は当たり前だと思っています。単独死は都会の問題です。家族が少ないから。
僕の知り合いにも農村共同体を復活させようという人がいますが、そういうことが今は難しいわけでしょう。学校がそうなった。
障害のある子たちを特殊学級(二〇〇六年より特別支援学級に改称)に入れて。僕らの頃は特殊学級はなくて、みんな一緒だった。そういう子もいるなということでおさまっていた。それを、ああいう子がいると学業の妨害だとか、そういうふうに考えるようになるのは、ある種機能主義。人間社会全体を考えれば、障害のある人は当然います。
人工のものしか置いてない社会で育てれば、そうなっても不思議はないと思います。人口のものは全て、何らかの意味を持たせているから。だから意味のないものの存在を受け入れていないんです。
河原へ行ったら石ころがごろごろしている。その石にどういう意味があるんですか? 世界には無意味なものがたくさんあるんです。何にでも意味を求めすぎる。だからゴキブリもハエもいなくなる。
三十五億年の生き物の歴史を考えたことがないから、あんなものいらないだろうと言うんです。お前と同じで三十五億年苦労してここまで来たんだよと。なんで人間だけ威張っているんだよ、という話です。

 

会話から希望の死に方の糸口を見つけていく


養老
若い頃に精神科の病院で仕事をしたことがあるんです。精神科では、患者が死んでも遺族が悲しんでいる様子はあまり見かけませんでした。
朝の二時に、「亡くなられました」と患者の家族に電話をしたら、そういう話は明日にしてくれと電話を切られてしまう。その患者が、家族にとっていかに迷惑だったかということです。
解剖学では、ずっと死んだ人を相手に仕事をしていましたが、遺族が死んだ人をどう扱うかは、解剖が終わった後に、お骨を引き取る態度でわかります。引き取りたくない人もいるんです。

小堀 家族にはいろいろありますね。訪問先に糖尿病の患者さんがいて、時々血糖値を測ったり採血して、薬を変えたりしています。そこでは、さらにやることがあって、一緒に村田英雄の『夫婦春秋』を聴くんです。八十九歳のおじいさんは、それを聴くといつも泣いてしまいます。
若い頃、その人は奥さんと二人で八百屋をやってお金を貯めて次は自転車屋を始めた。それで風呂から海が見える別荘を建てたんだそうです。隣で奥さんが「やっぱりやればできるんだね」とニコニコしています。
そこの家に行くと、奥さんの若い頃の写真を見せられるか、一緒に『夫婦春秋』を聴くか。時期が来れば、奥さんには「そろそろ終わりだね。もう十分、手を尽くしたよ」と僕が言わないとおさまらないでしょう。今、僕がやっているのは、そういう医療なんです。会話がなかったら治せません。

 

人は死を受容できますか?


小堀
自分自身の死をどう受け入れるか、死を目前にして、誰もが死を覚悟しているかというと、これもまた人それぞれです。積極的に治療を受けたがる人もいます。それは、「自分はまだ死なない」と思いたかったのかもしれない。
死を正視できなくてそういう言動になったという見方もできますが、本人に確かめることはできません。静かに受け入れる方もたくさんいらっしゃいます。本人は静かに受け入れても奥様が受け入れないこともありますし、全て違うんです。

養老 やはり、人間のそういう情動はややこしいですね。僕らの怒り、情動には、扁桃体が絡んでいて、旧皮質でどこがどう働いているかはわかっているんです。最近はもっと進んで、非侵襲性(身体を傷つけない、または負担をかけない)の脳機能測定ができるようになったら、一定の答えが出なかった。
つまり、怒っているときの人間の脳は、みんな同じことが起こっていると思うんだけど、同じ怒るのでも、実はいろいろで、むしろバラバラだということが分かったんです。
女房と夫婦喧嘩している人と、安倍はけしからんと言っている人の脳では違うことが起きている。だから、調べたら振り出しに戻ったんです。一般化できるかと思ったらそうではなくて、人それぞれだということがわかった。

小堀 怒りには共通性がないということがわかったと。

養老 人によっていろいろだというのが確認されたことが、僕は面白いと思って。共通性があるんじゃないかと研究を進めてきたけれど、そういうことでは簡単には収まりきらない。
もっと追求すればわかると学者は言いたがるでしょうけれど。
 
[書き手]養老孟司、小堀鷗一郎
死を受け入れること ー生と死をめぐる対話ー / 養老 孟司,小堀 鷗一郎
死を受け入れること ー生と死をめぐる対話ー
  • 著者:養老 孟司,小堀 鷗一郎
  • 出版社:祥伝社
  • 装丁:単行本(ソフトカバー)(192ページ)
  • 発売日:2020-07-01
  • ISBN-10:4396617305
  • ISBN-13:978-4396617301
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3000体の死体を観察してきた解剖学者と400人以上を看取ってきた訪問診療医。
死と向き合ってきた二人が、いま、遺したい「死」の講義。

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