書評

『未来へ 原爆の図丸木美術館学芸員 作業日誌2011-2016』(新宿書房)

  • 2020/08/15
未来へ 原爆の図丸木美術館学芸員 作業日誌2011-2016 / 岡村幸宣
未来へ 原爆の図丸木美術館学芸員 作業日誌2011-2016
  • 著者:岡村幸宣
  • 出版社:新宿書房
  • 装丁:単行本(ソフトカバー)(324ページ)
  • 発売日:2020-03-10
  • ISBN-10:4880084808
  • ISBN-13:978-4880084800
内容紹介:
「3・11」からはじまる、小さな美術館の日常の物語。「原爆の図」を胸に抱いて歩き続ける荒野の先に過去と未来がつながっていく―。その絵画はいまも旅を続ける。さまざまな人が絵の前に立ち新たな世界へ旅立っていく。東松山の美術館から、日本各地、沖縄、韓国、パラオ、アメリカ、ヨーロッパまで―時間と空間を超えて交錯する出会いと終わりなき逡巡の日々。

希望の場を守る行動と思索の跡

原爆の図丸木美術館は、日本画家の丸木位里と、洋画家の丸木俊夫妻が居を構えた埼玉県東松山市に、共同制作の「原爆の図」を展示するために建てられた私設の美術館である。学芸員はひとりしかいない。著者は美大生の頃、学芸員資格取得の研修のためにはじめてこの美術館を訪れた。卒業時、ここで働かないかと声をかけられたものの、「墓守のようにして、ただ歳月が流れてしまうのではないか」との不安から誘いを断ってしまう。その後欧州に遊学し、地方の小さな美術館を回ることで意識が変わり、帰国後みずから採用を願い出た。

日誌の記述は編年で、固有名には文末に適切な註が、巻末には言及されている人物の索引と活動記録がまとめられており、資料としても大変有用なのだが、本書の魅力はなによりも行動と思索の跡を刻んだ言葉にある。

広島出身の丸木位里は、原爆が落とされたあと、当時住んでいた埼玉から父母のいる広島市で俊とともに救援活動を行い、入市被爆している。目にした惨状を一連の「原爆の図」に描き、一九五〇年代から各地で展示を試みた。

丸木夫妻の作品を語ることは、必然的にその作品を生んだ時代背景と現在及び「未来」を、ひとつの流れのなかで解釈し直す学究的な側面を持ち、展示のために東奔西走する身体を張った仕事の合間に、資料を発掘し、関係者に会って空白を埋める地道な作業がふくまれる。当時の夫妻の活動とそれを助けた人々の動きが、やがて現在の世界とリンクしはじめる。

出発点が二〇一一年三月一一日に置かれているのは象徴的だ。美術館では、水爆実験による第五福竜丸の被曝を扱った、ベン・シャーンの≪ラッキードラゴン・シリーズ≫を展示していた。原発事故の光景とそこに至る人為の過程に対する自問を消すまいという新たな決意の土台として、これほど意味深い偶然はない。

「原爆の図」の展示に際して、著者は「正義」や「平和」といった括弧付きの言葉や大きな物語への寄りかかりを自制する。絶対に譲れない部分はあるが、そこに固執してはならないとつねに言い聞かせる。開かれた展示のために煩悶しながら少しずつ前進していく作業において、アメリカやドイツでの展示を機に生まれた人間関係と、丸木夫妻の周辺のずっと小さな人々の網の目が等価になる。

本書を読んでいると、この美術館を通常の意味で美術館と呼ぶべきではないような気がしてくる。美術館というより、丸木夫妻の作品が人々に提供している「場」という印象に近いのだ。思考の、交流の、交雑の、喜びと悲しみの、ためらいの、悔悟の、そして希望の「場」。実際、若手を中心とする多くの芸術家がこの「場」に作品を展示することで次へのステップを見出していった。集まった人々が残した、胸を打ち、ときに胸をえぐるような言葉を丁寧に拾っているこの記録は、共同作業日誌であるとも言えるだろう。

本書の刊行日は三月一〇日。校了時点では、新型コロナウイルスの影響はまだ明確ではなかった。「場」には自由が保障されている一方、他の私設美術館と同様に公的援助がない。人が来なければ存続が危ぶまれる。「墓守のように」という言葉が、いま、ことのほか重い。
未来へ 原爆の図丸木美術館学芸員 作業日誌2011-2016 / 岡村幸宣
未来へ 原爆の図丸木美術館学芸員 作業日誌2011-2016
  • 著者:岡村幸宣
  • 出版社:新宿書房
  • 装丁:単行本(ソフトカバー)(324ページ)
  • 発売日:2020-03-10
  • ISBN-10:4880084808
  • ISBN-13:978-4880084800
内容紹介:
「3・11」からはじまる、小さな美術館の日常の物語。「原爆の図」を胸に抱いて歩き続ける荒野の先に過去と未来がつながっていく―。その絵画はいまも旅を続ける。さまざまな人が絵の前に立ち新たな世界へ旅立っていく。東松山の美術館から、日本各地、沖縄、韓国、パラオ、アメリカ、ヨーロッパまで―時間と空間を超えて交錯する出会いと終わりなき逡巡の日々。

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毎日新聞 2020年6月27日

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