書評

『翻訳のダイナミズム:時代と文化を貫く知の運動』(白水社)

  • 2018/05/19
翻訳のダイナミズム:時代と文化を貫く知の運動 / スコット・L・モンゴメリ
翻訳のダイナミズム:時代と文化を貫く知の運動
  • 著者:スコット・L・モンゴメリ
  • 翻訳:大久保 友博
  • 出版社:白水社
  • 装丁:単行本(500ページ)
  • 発売日:2016-09-17
  • ISBN-10:4560095108
  • ISBN-13:978-4560095102
内容紹介:
古代ギリシアの科学・文化はいかに中世アラビア・近代日本へと継承されたのか。叡知の伝播を壮大に描く前人未踏の《翻訳の世界史》

科学分野の言語、学知の転移を解く

今年は、フランコ・モレッティの『遠読』や池澤夏樹編『日本語のために』など、翻訳と文芸と言語形成に関わる本を何冊か書評しているが、またまた翻訳をめぐるユニークかつダイナミックな書籍の邦訳が登場した(ALL REVIEWS事務局注:本書評執筆時期は2016年10月)。

本書も、翻訳という営為と、翻訳を通した言語および学知の転移と形成を解く大著だが、顕著な特徴は、扱うテクストを科学分野に限っていることだ。古代ギリシャの天文学の翻訳から説き起こし、物理学、地質学、数学、生物学と、サイエンス、翻訳学どちらの専門外の読者にもぜひ読んでもらいたい。また、第二部をまるまる日本の科学受容史に割いているのも、文献として非常に貴重である。

たとえば、元素周期表を例にとろう。水素、酸素など「素」のつく名前、金、銀のように中国に倣った漢字一字の名前、アルミニウム、ウラン、タングステンなどの原語の音訳語もあり、しかもその原語はラテン語、ドイツ語、英語などが混ざりあっている。あらゆる語源がそのまま可視化されており、著者のモンゴメリは「日本語の周期表には、互いにぶつかり合う文化および言語の一面が現れている」と端的に記す。

思えば、歴史の大きな転換点に「大翻訳時代」が現れる。それが現れた結果、歴史が転換しえたというべきか。アレクサンドロス大王没後のヘレニズム時代に「アレクサンドリア大図書館」はすべての書物をギリシャ語に翻訳して依然知的優位を保とうとした。十二世紀には、ビザンツとイスラム文化を通じて再伝播(でんぱ)したギリシャの学知をラテン語にせっせと訳した(訳し戻した)。十二世紀ルネサンスである。ローマ法大全の再解釈と翻訳、十六世紀に国教を設立したイギリスでの聖書翻訳、もちろん日本の開国に伴う西洋文明文化の吸収、十九世紀初頭の標準ドイツ語の確立……。

アイザック・ニュートンの生涯やその生きた時代に関する書物はいくらでもあるが、その大著『プリンキピア』がドイツ語や中国語に移された経緯を突き詰める研究は稀(まれ)ではないか。アリストテレスの自筆文書が現在皆無でも、その思想が今日まで残っているのは、無数に複製され、異本が編集され、再構成されることで、各地で「土着化」し、それゆえひとつの茫(ぼう)たる現象となりえたからなのだ。モンゴメリはこれをずばりこう言う。

「<アリストテレス>とはそれゆえ、有り体に言えば作り事であり」「虚構」だと。

こうして文章と思想の「ゆるやかな共和国」が作られていく。このプロセスは、文学の刷新と伝播にも読み替えうるだろう。

アジアのなかでも西洋圏の言語に席巻されなかった国(日本、中国、インドが挙げられている)こそが、現在、目立った科学技術の発展を見せていると、モンゴメリは指摘する。西洋の言葉の影響力に呑(の)みこまれず、それを自国のものにする(翻訳して取り入れる)過程を経ることで、言語が耕され拡張されて、さらなる技術発展を促す、ということに他ならない。

日本語の成り立ちについても詳述されている。「日本語はひとつならず三つもの記号体系を用いており、それぞれに、その起源の反映されたまったく別個の美的形象が備わっているからである。……三つある体系のうち最も難しい漢字というシステムをとっても、たとえば音を表すものもあれば意味を表すものもあり、またそのどちらも表すものもあるなど……時代を経るにつれ……実に驚くべき多様性を得たのである。おおよそこうした多様性は、間断なく広く翻訳を試みてきた直接の結果である」といった解説には、日本古来の芸能や慣習を英語で説明されたときの新鮮な驚きとほのかな戸惑いに似たものを、ときに覚えるかもしれない。一方、明治維新以前の、サイエンスに「窮理」(理をきわめる)という訳語をあてていた平賀源内や三浦梅園の活動や、幕府の設立した<蛮書和解御用>という洋書翻訳センターなどに関する記述はとくに興味深い。このセンターは当初、新しい知識の内容と拡散をコントロールする試みの管理局であったが、のちに政情の逆風を受け、一時は検閲局になった。しかしペリー来航時には、オランダ語、英語、フランス語、ドイツ語を教える一大語学教室にして、公的な総合教育機関となるに至る。現在の東京大学の起源となる機関だ。

最終章では、現在の翻訳学の礎を築いたひとりであるベンヤミンの「翻訳者の課題」も参照する。モンゴメリが序章で、作者が死んで一定期間たつと、「作品が公有財(パブリックドメイン)となり、他の国や文化に伝わると、そこでおそらくは新たな語彙(ごい)を生み出すと同時に、個別の文化・歴史の背景を際立つほどに反映させる」というのは、まさにベンヤミンの唱えた「書物の死後の生と翻訳による後熟」という概念をわかりやすく敷衍(ふえん)したものだろう。作者の死をもってその作品は「通約不可能性」を越えて転移し、多様化していく。まさにそのダイナミズムを解いた重要な一冊である。(大久保友博訳)
翻訳のダイナミズム:時代と文化を貫く知の運動 / スコット・L・モンゴメリ
翻訳のダイナミズム:時代と文化を貫く知の運動
  • 著者:スコット・L・モンゴメリ
  • 翻訳:大久保 友博
  • 出版社:白水社
  • 装丁:単行本(500ページ)
  • 発売日:2016-09-17
  • ISBN-10:4560095108
  • ISBN-13:978-4560095102
内容紹介:
古代ギリシアの科学・文化はいかに中世アラビア・近代日本へと継承されたのか。叡知の伝播を壮大に描く前人未踏の《翻訳の世界史》

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初出メディア

毎日新聞

毎日新聞 2016年10月30日

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