人類はどのようにエネルギーを利用してきたのか
本書『エネルギー400年史』は、リチャード・ローズのEnergy : A Human History を全訳したものである。原書は二〇一八年五月、サイモン&シュスター社から刊行された。原書副題に「人類の歴史」とあるように、本書に書かれているのは、約四〇〇年にわたるエネルギーの変遷史であり、ロンドンに始まる森林資源の枯渇以降、人類はどのようなエネルギー資源をどう生み出し、どうやって使ってきたのかという壮大でありながら緻密を極めた物語である。構成は「動力」「照明」「新しき火」の三部二〇章からなり、各章でさまざまなエピソードが記されているが、三部それぞれに中心となるテーマが明らかにうかがえる。第1部には蒸気機関の発明と改良、それを促した石炭の需要が記されている。第2部は電気の発見と開発で、第3部では石油や天然ガス、核エネルギー、再生可能エネルギーが主なテーマとなっている。
無数の発明者・開発者たちがつないだ発明の歴史
本書はまた、科学技術の発展に携わった有名無名の技術者、発明家、科学者の物語でもある。フランクリン、ニューコメン、ワット、スティーブンソン、ファラデー、エジソン、フォードなど、誰もが知る歴史上の人物が数多く登場する。著名な人物を交えることで、読者に親近感を抱かせ、テーマを身近なものに感じさせるのは、ローズのほかの著作にもうかがえる手法だが、作家の関心はむしろ世にあまり知られていない大勢の科学者や技術者に向けられている。たとえば、第9章に登場するイェール大学の化学教授で、原油を分留したベンジャミン・シリマン・ジュニアや、ロサンゼルスの光化学スモッグの原因を突きとめたカリフォルニア工科大学のアリー・ジャン・ハーゲン゠スミットなどといった人物である。さまざまな人物が登場するとはいえ、彼らの業績からうかがえるのは、技術をめぐる発見や発明やイノベーションは、一人の天才の手によって成し遂げられるのはむしろまれだという点だ。しかも発見や発明に至るまでの歩みは遅々として進まない。それらは思いがけない幸運と偶然の産物であり、そこに至るまでには挫折と失敗が何度も繰り返されると説かれている。蒸気機関はニューコメンやワットによって実用化されたが、彼らに先立ち、圧力鍋を考えたドニ・パパンやトーマス・セイヴァリがいた。それだけに栄光とは無縁のまま、貧窮のうちに非業の最期を遂げた者も少なくない。世界ではじめて蒸気機関車を作ったリチャード・トレヴィシックは、生命力の塊のような人物として本書では描かれているが、その最期は家族にも看取られず、無一文のまま息を引き取り、葬式は仲間たちが金を出し合って営まれたという。
余談ながら、トレヴィシックの長男フランシスは鉄道技師となり、さらにその子供のリチャード・フランシス・トレヴィシックとフランシス・ヘンリー・トレヴィシックの兄弟は、明治の日本に官設鉄道のお雇い外人として滞在し、日本の鉄道技術の発展に寄与した。弟のヘンリー・トレヴィシックは日本人女性と結婚し、二男二女をもうけている。帰国に合わせ子供は夫婦それぞれに引き取られ、日本に残った子供の一人、奥野由太郎氏は日本郵船の貨物船の船長となった。日本のトレヴィシック研究で知られる奥野太郎氏はヘンリーの孫で、リチャード・トレヴィシックから見ると玄やしゃご孫に当たる。
科学こそが科学の問題を解決する
大部な本だけに、これら以外にもいろいろな視点からエネルギー変遷の歴史が語られている。発明によってある障害を乗り越えても、技術変革に追いつけないインフラの未整備など、次なる障害がかならず発生するという指摘もそうした視点のひとつである。技術の開発史とは、技術によって生じた問題を、技術を用いていかに克服してきたのかという歴史でもあるのだ。燃料としての石油が発見されたのをきっかけに、アメリカでは大々的に石油開発が進められ、歴史的な条件が重なったことで、石油由来の灯油が照明燃料として使われるようになった。だが、ガソリンで走る自動車にはノッキングが発生していた。この問題を解決しようと、チャールズ・F・ケタリングと助手のトーマス・ミジリー・ジュニアは、エチルガソリンという鉛中毒をもたらす猛毒物質を生み出していた。技術の進歩に伴い、意図しない問題が人間と環境にもたらされるという点も、本書では繰り返し説かれている。エリザベス朝時代のロンドンは煙に覆われ、さらに産業革命を迎えて石炭がますます燃やされるようになると、人々は昼間でも松明を灯して通りを歩いていた。十九世紀後半、石炭の煤煙は「進歩の代償」「逃れられない必要悪」で、エチルガソリンもそのような代償として見なされていた。だが、社会が成熟し、技術が進歩するにしたがい、こうした代償は克服され、これからも克服されていくとローズは説く。科学によって引き起こされた問題は、科学によって解決されるのだ。
いかにもアメリカ人らしい、科学主義とイノベーションに向けられた屈託のない信頼だが、ローズの念頭にある問題はただひとつ、それは気候変動への恐怖と懸念にほかならない。本書の「はじめに」には、「長かった冷戦の時代、核による人類滅亡に人々が恐怖したように、気候変動でも同様な暗澹たる不安が文明の前にそそり立っている」と書かれている。現在、ひしひしと実感するようになった世界が直面するこの大問題について、より大きな文脈で検討できる視点を提供し、論議を深めるために本書を書いたとローズは執筆意図を明らかにしている。その視点こそ、エネルギー変遷史に宿されているエネルギー転換のパターンにほかならない。
もちろん、読み物としても興味をそそるエピソードも本書には数え切れないほど盛り込まれている。アメリカの南北戦争が鯨油産業に与えた大きな痛手、十九世紀のいわゆる「ナポレオン戦争」を契機に、馬の需要と価格が高まったり、蒸気機関の開発、ひいてはスティーブンソンの鉄道開発に拍車をかけることになった。また、アイルランドのジャガイモ飢饉には、チリで採掘されたグアノと呼ばれる天然肥料が関係していた。この飢饉のせいで一五〇万人以上のアイルランド人が大西洋を越えてアメリカに渡る。どうやら、ジョン・F・ケネディ大統領誕生の背景には、鳥の糞の厚い堆積がかかわっていたようである。
これからのエネルギー議論に向けて
本書『エネルギー400年史』は、無数の縦糸と横糸が緻密に編み込まれた、エネルギーをめぐる壮大なタペストリーだとも言えるだろう。そこに描かれた図柄は、地球温暖化に対処しつつ、二一〇〇年には一〇〇億人の人間が乗り込む、地球という船が目指す航海図である。しかも、その行き先は、この船に乗り組んだ者みなすべてが繁栄を享受できるものでなくてはならない。核エネルギー、再生可能エネルギー、化石燃料など、さまざまなエネルギー源があるとはいえ、完璧なエネルギーが存在しない以上、それらのエネルギーのバランスをとりながら、最適なエネルギーとその組み合わせを選んでいくことになるのだろうか。そうした議論を深めるうえで、本書はきわめて示唆に富む、格好の一冊になると思われる。
[書き手]秋山 勝(訳者)