前書き

『シャーロック・ホームズとジェレミー・ブレット』(原書房)

  • 2024/01/06
シャーロック・ホームズとジェレミー・ブレット / モーリーン・ウィテカー
シャーロック・ホームズとジェレミー・ブレット
  • 著者:モーリーン・ウィテカー
  • 翻訳:高尾 菜つこ
  • 出版社:原書房
  • 装丁:単行本(448ページ)
  • 発売日:2023-11-27
  • ISBN-10:4562073608
  • ISBN-13:978-4562073603
内容紹介:
映像の世界でも愛され続ける名探偵ホームズ。数々の名作が存在するなか、決定版ともいえるホームズを演じたのがジェレミー・ブレットである。作品について本人・共演者・制作陣の言葉と、百点以上のカラー図版とともにたどる。
「名探偵ホームズ」といえば、どんな姿を思い浮かべるだろう。コナン・ドイルの小説が発表されてから、舞台、映画、テレビドラマと、さまざまな俳優がシャーロック・ホームズを演じてきた。多数の名作が存在するなか、決定版ともいえるホームズを演じたのがジェレミー・ブレットである。ドラマ作品について本人・共演者・制作陣の言葉と、100点以上のカラー図版とともにたどった書籍『シャーロック・ホームズとジェレミー・ブレット』より、はじめにを公開する。

最高のホームズ俳優

多くの人々にとって、ジェレミー・ブレットは今なおイギリス、ITVネットワークのグラナダ版〈シャーロック・ホームズ〉シリーズで描かれたホームズそのものであり、実際、この役でしか彼を知らない人もいる。ユニークな名探偵を演じた彼の華々しい成功は、50年前のベイジル・ラスボーンがそうだったように、彼をこのキャラクターと永遠に結びつけることになった。しかし、ジェレミー・ブレットの活躍はホームズ役ばかりではない。偉大な俳優として世界的名声を得ることになるこの役を引き受けるまでに、彼は舞台や映画、テレビで30年にわたるキャリアを築いてきた。
26歳のとき、ジェレミーは舞台ですでに堂々たる存在感を放ち、ストランド・シアターで「高貴で詩的なハムレット」を演じ、若手の新人俳優としては異例の高い評価を得た。それからわずか数年後の1966年には、BBCの日曜シリーズ『三銃士 The Three Musketeers』で勇ましく情熱的な主人公ダルタニアンを好演し、世間の注目を浴びた。日曜の晩にBBCの『プレイ・オブ・ザ・マンス Play of the Month』を見て育った人々にとって、ジェレミーはつねにロマンチックな花形だった。彼の端麗な容姿は、魅力的だが危険な香りのするバイロン卿にぴったりで、『恋がたき』のキャプテン・ジャック・アブソルート役でも、その美男ぶりを大いに発揮した。一方、『悪口学校』では偽善的なジョゼフ・サーフェスを演じ、「外面的には美徳の鑑だが、内面的には財産目当ての結婚をもくろむしみったれ」というアンチ・ヒーローの役に挑戦した。古典劇は、彼のさまざまに変化する豊かな声質になじみの舞台となった。亡き妻の呪縛に苦しむ『レベッカ』のマキシム・ド・ウィンターや、責めに苛まれながらも不貞を重ねる『かくも悲しい話を……:情熱と受難の物語』のエドワード・アシュバーナム、熱意に燃えるロバート・ブラウニングや「魅惑的な」ウィリアム・ピットなど、いずれの役柄も情熱と忠実性を持って演じられた。こうして絶えず優れた演技を披露することで、ジェレミーは堅実なファン層を築いていった。
1967年から1971年にナショナル・シアターを訪れた人なら、彼が「偉大な師」と仰ぐローレンス・オリビエと共演を果たした舞台を見たことがあるかもしれない――『ヴェニスの商人』ではジョーン・プロウライト演じるポーシャに求婚するバッサーニオ、キャスト全員が男性という現代版オール・メイル公演の『お気に召すまま』ではロナルド・ピックアップ演じるロザリンドに恋するオーランドー、そして『恋の骨折り損』ではシェイクスピア劇の主要な登場人物の一人で、ジェレミー本人も「大好きだった」というビローンを演じた。ただ、その頃のもっとも重要な役柄はおそらくチェ・ゲバラの役で、批評家たちからも「大変な想像力と才能にあふれた」演技として絶賛された。一方、彼はアメリカでも華々しいキャリアを築いた。1956年に映画『戦争と平和』に出演し、オードリー・ヘプバーンの兄で意気盛んな青年、ニコライ・ロストフを演じてハリウッド・デビューを果たし、のちの『マイ・フェア・レディ』でも、イライザに恋する魅力的な青年、フレディ・アインスフォード・ヒル役でオードリーと再び共演した。また、ブロードウェイの舞台『ドラキュラ』にも主演したほか、チャールトン・ヘストンがシャーロック・ホームズを演じた『血の十字架 The Crucifer of Blood』ではワトスン博士役で出演して高い評価を得た――数年後、この経験が役立つことになる。

完璧な芝居と、困難なプライベート

これほど幅広い役柄を演じた長いキャリアを考えれば、グラナダ・テレビのエグゼクティブ・プロデューサーだったマイケル・コックスが、同局の新シリーズ〈シャーロック・ホームズの冒険〉の主役にジェレミーを選んだのも当然だった。コックスは、古典劇の訓練を積んだ俳優ならではの声量と物腰、存在感を持つ人物を求めていた。つまり、ソファを飛び越えたり、しばしば両手両膝をついて猟犬のごとく執拗に手がかりを追跡したりできる人物を求めていた。そして彼は、ジェレミーの中にこれらすべてを超える素養を見出した。ジェレミーの演技はシャーロック・ホームズの決定版となったばかりか、この新しいホームズは俳優とカメラの間で生じる不思議な化学反応によって大勢のファンを惹きつけた。多くの人々がそう言ったように、日曜の晩はジェレミー・ブレットと初代ワトスン博士を演じたデビッド・バークの二人とともにビクトリア朝のロンドンへ旅するのが毎週の決まりとなった。シリーズは10年続き、ジェレミーはシャーロック・ホームズに「なり」、デビッド・バークがシリーズを離れると、二代目ワトスンとしてエドワード・ハードウィックが迎えられた。二人はともにシリーズを完成させ、1988年から89年にかけてはジェレミーの発案で『シャーロック・ホームズの秘密 The Secret of Sherlock Holmes』という舞台版を演じ、毎晩、ウィンダムズ劇場を満員にして、新たに多くのファンを魅了した。
俳優としてのジェレミーは完璧主義者で、仕事に関しては自身にきわめて高いハードルを課していた。芸術に対する純粋な熱意、プロ意識、多大な努力と献身は長年にわたって彼に数々の栄誉をもたらすことになった。ジェレミーが1995年に亡くなったとき、デビッド・スチュアート・デービスは著書『柳がしなるように Bending the Willow』の中で、多くの人々が感じた思いをこう表現した。「1995年9月のジェレミー・ブレットの突然の死は、演劇界から燦然と輝く一つの光を奪い、シャーロック・ホームズの世界からベーカー街221Bに住むあの複雑な男を演じる最高――にして最大の――役者を奪った」。彼の死から約25年たった今でも、多くの人々がそう感じている。〈シャーロック・ホームズの回想〉の『三破風館』で共演したピーター・ウィンガードは、ジェレミーについてこう語っている――「ジェレミーの全身全霊をかけた演技は驚くべきものだった。それは利己的なものではなく、自分のためでも、俳優ジェレミー・ブレットのためでもなかった。それはシャーロック・ホームズのためのものだった」。《デイリー・メール》紙のコラムニストだったアラン・コーレンはこう述べている。「ジェレミー・ブレットの演技は今なお最高のものであり、どれほど立派な賛辞を重ねても言い足りない」
ジェレミーはオスカー・ワイルドの『ドリアン・グレイの肖像』を、一度はドリアン役、もう一度は画家のバジル・ホールワード役で二度演じたが、バジルはそこでこう言っている――「感情をこめて描いた肖像画はね、その一枚一枚が芸術家の肖像画であって、モデルの肖像画じゃないんだよ」。ジェレミーは感情豊かな人間であり、それは舞台での成功に大きく寄与した。しかし、プライベートでは困難の連続だった。彼は17歳までうまく言葉を発音できず、生涯をつうじて失読症に苦しんだ。16歳のときにかかったリウマチ熱のせいで心臓に後遺症が残ったため、スポーツ好きでつねにアクティブな若者だった彼は、しだいに深い思いやりと優しさに満ちた人間に変わった。また、心から愛した二人の女性――母親と二番目の妻ジョーン――をどちらも早くに亡くし、その心の痛手は彼に回復不能なまでの激しい情緒不安をもたらした。結果として、彼は他者に細やかな気配りと理解を持って接するようになった。彼は世界中から愛された男だが、それでいて自分の経験を進んで話そうとする親しみやすさもあった。勇気を出して夢を叶えたいという強い志から、晩年に悩まされた双極性障害の体験を率直かつ感動的に語って、同じ症状に苦しむ患者たちに希望を与えた。ジェレミーと一緒に仕事をした人々の多くが、彼の明るい性格や毎日を「お祭り」のように楽しむ生き方について話している。子供の頃から歌が大好きだったという彼の美声は、少年時代のソプラノこそ聴けないが、オペレッタ『メリー・ウィドウ』で披露したダニロのバリトンは録音が残っている。ダンスも彼の大きな楽しみだった。いつも並々ならぬ寛大さと喜びにあふれた歓迎ぶりには、彼のもとを訪れた誰もが胸を打たれ、そうした特権に恵まれた人々は今なお彼に深い敬意を抱いている。それどころか、ジェレミーと会ったときのことを事細かに覚えている彼らは、ジェレミーがその偉大な功績に対して正当な評価を受けていなかったのではないかと思っている。
インタビューでのジェレミーはつねに控えめで、いつも同僚たちのことを称賛し、たとえ自分が称賛に値する仕事をしたとしても、けっしてひけらかしたりしなかった。彼の謙虚な姿勢は勤勉と平等を重んじるクエーカー教の価値観を反映したもので、それは母親のエリザベスからの影響だった。彼は母親を内も外も美しく、灯のように温かい人と表現している。ジェレミーのキャリアについては、できるだけ本人の言葉を用いてアプローチするのが適切だろう。それはグラナダ版〈シャーロック・ホームズの冒険〉でそうだったように、たとえ自分がメンバーを率いるリーダーであったとしても、あくまでもチームの一員と考える彼の人間性を伝えてもいる。なお、本書では彼のプライバシーを尊重し、私生活に関して本人が詳しく語らなかった部分については触れていない。
1973年2月24日の《TVタイムズ》誌の記事には、それまでの彼の人生が見事に要約されている。「そのハンサムな顔立ちからしても、俳優ジェレミー・ブレットはすべて――容姿、才能、自信――に恵まれた男のようだ。実際、イートン校で教育を受け、21歳で名声を手にし、24歳で華やかな結婚をし(結婚式のスナップ写真は当時のアンソニー・アームストロング=ジョーンズの厚意によるもの)、オードリー・ヘプバーンやイングリッド・バーグマン、デボラ・カーといった錚々たる顔ぶれのスター女優と共演したうえ、愛する跡取り息子はパブリック・スクールの統一試験を首席でパスしてラドリー校へ入学したばかり。ハギンズという地味でぱっとしない本名を持つこの男はこれ以上何を望むのか」。たしかに、彼は人生の贈り物をすべて生かしたように見えるし、家庭生活も理想的だったように思える。

[書き手]
モーリーン・ウィテカー(シャーロッキアン)
シャーロック・ホームズとジェレミー・ブレット / モーリーン・ウィテカー
シャーロック・ホームズとジェレミー・ブレット
  • 著者:モーリーン・ウィテカー
  • 翻訳:高尾 菜つこ
  • 出版社:原書房
  • 装丁:単行本(448ページ)
  • 発売日:2023-11-27
  • ISBN-10:4562073608
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映像の世界でも愛され続ける名探偵ホームズ。数々の名作が存在するなか、決定版ともいえるホームズを演じたのがジェレミー・ブレットである。作品について本人・共演者・制作陣の言葉と、百点以上のカラー図版とともにたどる。

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