世俗的人間 名もなき現代の戦争とテロリズム
- 著者:ロベルト・カラッソ
- 出版社:祥伝社
- 装丁:単行本(ソフトカバー)(288ページ)
- 発売日:2025-12-26
- ISBN-10:439661862X
- ISBN-13:978-4396618629
- 内容紹介:
- 28の言語に翻訳、29カ国で出版された著者が名状しがたい現代を描き出す確固たる知識と広い視野を持つ欧州随一のエッセイストが掘り下げた、異色の現代史わたしたちが生きる、この名付けよ… もっと読む28の言語に翻訳、29カ国で出版された著者が
名状しがたい現代を描き出す
確固たる知識と広い視野を持つ
欧州随一のエッセイストが掘り下げた、異色の現代史
わたしたちが生きる、この名付けようのない現代は、
いったいどこから始まったのか――
過去と現在を行き来しながら、多くの矛盾をはらんだ現代を広範な知識で語るⅠ章、
第二次大戦期を当時の声からたどるⅡ章、
ツインタワーの崩壊した現在へと立ち返るⅢ章。
イタリアの碩学による現代史エッセイ、待望の邦訳。
【監訳者・出口治明より】
■現代がいかにして取り留めのない時代となり、何故そうあり続けているのか
ほかに比肩しうるものがない、異色の現代史
二〇二一年七月に八十年の生涯を閉じたカラッソですが、彼が遺した著作の中に、独自の文体と視点を持った歴史紀行のようなものがありました。それが本書です。
現代がいかにして取り留めのない時代となり、何故そうあり続けているのかを、共時的に、あるいはまた通時的に語っていきます。
その構成も、文体も、また決して俗説におもねることのないその本質を突く洞察も、ほかに比肩しうるものがない、まさに異色の現代史なのです。
■本書をどのように読むか
Ⅰ章の「ツーリストとテロリスト」は、章題の通り、このふたつの類型を中心に現代社会が描かれていきます。
Ⅱ章は、打って変わって、第二次世界大戦前夜の一九三三年から、ソ連軍によるベルリン陥落までの十数年間を通時的に辿っていきます。その当時を生きた人々がまさにその生きている当時について綴った文章が引用され、そこにカラッソのコメントがちりばめられています。彼が神話語りに用いた手法が繰り返されているようで、恐ろしい寓話を読んでいるような感覚さえ覚えさせられます。ここに語られているのは、語られたまさにその時に起きていた現実なのです。こうして、目を覆いたくなるような惨状へと突き進んでいったその十数年間が、Ⅰ章に描写された取り留めのない現代社会と直につながっている過去の一片である事実も、強烈に突きつけられます。
Ⅲ章は、その第二次世界大戦から、ボードレールの夢想を介して、ツインタワーの崩壊した現代へ戻ってきます。しかし、ここまで来ますと、今や僕らの目の前にある現代社会がそれこそ廃墟であるかのようにも思えます。もしかすると、予め植え付けられた情報に付き従うツーリストよりも、Ⅰ章の中に仄めかされていた「廃墟の訪問者」にとってそうであったように、今や新たな認識の可能性こそ僕らの目の前に開かれている、そうカラッソは言いたいのかもしれません。
(出口治明「監訳を終えて」より抜粋)
【プロフィール】
著者:ロベルト・カラッソ
1941年、フィレンツェ生まれ。イタリアの作家、出版人。独立系出版社アデルフィ・エディツィオーニ代表も務めるかたわら、26冊の自著を発表。ギリシア神話を扱った『カドモスとハルモニアの結婚』は、1988年発表後イタリア国内において21万部を超えるベストセラーに。2016年、その全作品と出版人としての業績に対して国際的な文学賞、フォルメントール賞が授与され、「ヨーロッパ随一のエッセイスト」と評される。2021年没。
訳者:東 暑子(あずま・あつこ)
1973年、北海道生まれ。訳書にエットレ・ソットサス『夜ノ書――エットレ・ソットサス自伝』、ロベルト・カラッソ『カドモスとハルモニアの結婚』等がある。
監訳者:出口治明(でぐち・はるあき)
1948年、三重県生まれ。立命館アジア太平洋大学名誉教授・前学長。ライフネット生命保険創業者。京都大学法学部卒。日本生命入社後、ロンドン現地法人社長、国際業務部長などを務める。2006年に退職。同年、ネットライフ企画株式会社を設立し、代表取締役社長に就任。2008年4月、生命保険業免許取得に伴いライフネット生命保険株式会社に変更。2018年立命館アジア太平洋大学(APU)学長、2024年より同現職。『人類5000年史』1~6(ちくま新書)、『仕事に効く 教養としての「世界史」』1~2(祥伝社)ほか多数。本書は初めての監訳作品。
【本文より一部紹介】
これは回想ではない。むしろ、一九三三年一月初めから一九四五年五月までの歳月に書き留められ、出版され、発言され、引用され、記録に残された言葉だ。意図していないにもかかわらず、いずれにも家族のような雰囲気がある。その数年間のイメージは、出処がどこであれ、いずれも夢うつつのような何かを醸しているのだ。それは映画においても、生においても、白黒時代の絶頂期だった。テクニカラーは、登場した当初、幻覚かと思われたものだ。あたかも、時間の描く螺旋が徐々に狭まってゆき、隘路にはまり込んでいくようだった。
一九三三年一月三十日。早朝、クラウス・マンが「まるで悪い予感に突き動かされたように」ベルリンを発つ。閑散とした街道。まどろんだ都市。「これがベルリンに向ける最後の眼差しであり、訣別になるのだろう」。ライプツィヒで途中下車。駅に友人のエーリヒ・エーバーマイヤーが現れる。青ざめて気もそぞろだ。「〝どうしたんだ〟と僕は尋ねた。彼は驚いたようだった。〝なんだ、知らないのか。御老体が、一時間前にあいつを任命したんだ〟。〝御老体が? ……誰を任命したんだ〟。〝ヒトラーだ。あいつが宰相だ〟」。
(本文 「ウィーン市ガス協会」より)
その他の書店
ALL REVIEWS経由で書籍を購入いただきますと、
書評家に書籍購入価格の0.7~5.6%が還元されます。
ALL REVIEWS経由で書籍を購入いただきますと、書評家に書籍購入価格の0.7~5.6%が還元されます。
















