書評
『吉田健一』(新潮社)
死へ向かう苦しさと美しさ
亡くなってすでに30年以上の時間が経過してなお、読者を魅了してやまない吉田健一。英文学の翻訳者として、犀利(さいり)な批評の書き手として、あるいは孤高の小説家として、私たちはまだ彼のことを覚えている。著者の長谷川郁夫は、吉田の晩年、編集者としてその謦咳(けいがい)に接した。
むろん、この評伝には実際に見聞した吉田の姿が描かれている。だが、目立つのは、吉田の生きた時代に、彼の同時代人だった文学者たちの書き残した著作から引用される吉田像である。
河上徹太郎はもとより、中村光夫、福田恆存(つねあり)、大岡昇平といった文学者たちの書物には、なんと生き生きとして、格好良い吉田健一が描かれていることか!
著者も気づいていることだろうが、評伝は、死に向かう。吉田の死という動かせない事実へ筆を進ませながら、著者は息を弾ませている。文章が苦しげだ。その一方で、引用される吉田健一の晩年の文章の、ゆったりとした美しさ。評伝のラストは文章のコントラストにおいて際立っていると感じた。
評伝に導かれるように、吉田健一の『金沢』を再読した。
ALL REVIEWSをフォローする


































