書評
『聖母の贈り物 (短篇小説の快楽)』(国書刊行会)
トヨザキ的評価軸:
◎「金の斧(親を質に入れても買って読め)」
「銀の斧(図書館で借りられたら読めば―)」
「鉄の斧(ブックオフで100円で売っていても読むべからず)」
アイルランドというと、『ガリバー旅行記』(新潮文庫など)のスウィフト、『ユリシーズ』(集英社文庫)のジョイス、『ゴドーを待ちながら』(白水社)のべケット、『第三の警官』(筑摩書房)のフラン・オブライエンなど、奇想や実験精神が過剰な作家を思い浮かべがちですが、トレヴァーはそうした先人と比べるとリアリズム寄りといえましょうか。人間が生きていく上で否応なく直面させられる、宿命と呼ぶほかない出来事、それが刻印する癒やしようのない傷、宿命の前に立ち尽くすばかりの人間の無力さを描いて、痛切かつ痛烈な読み心地をもたらす作家なのです。
いじめられっ子の意趣返しをアイロニカルな筆致で描いた冒頭の一作「トリッジ」から、男と別れたばかりの女性の傷心旅行を綴った「雨上がり」まで、全十二作が収められたこの短篇集の柱といえる作品は、「アイルランド便り」と連作三部作のスタイルを取っている「マティルダのイングランド」です。前者の舞台は、イングランドから渡ってきた一家によって買い取られた、アイルランドの古い屋敷。住み込みの女性家庭教師のちょっとヘンリー・ジェイムズ『ねじの回転』(新潮文庫など)の雰囲気をまとった日記のパートに、地元生まれの執事の皮肉な観察眼が絶妙に絡む、この物語がかもす絶望感の深さは心胆を寒からしめる域に達しています。また、田園屋敷を舞台に、その地所内の農場で生まれ育った〈わたし〉の第二次世界大戦をはさんでの半生を描いた後者は、ありていの心温まる”家族小説”の定型を、ひよこが卵から孵る時のように、内側から静かに、しかし迷いなく突いて壊してしまう作者の非情な筆致におののかされる傑作です。どちらの作品の背景にも、飢饉や戦争といった個々人の力ではどうしようもない宿命があり、その結果としての諦観や変心や不幸や孤独を淡々とあぶり出して戦慄的なのです。
というように、トレヴァーの人間を見つめる視線には容赦がありません。けれど、絶望を絶望として描きながらも、その眼差しの奥には、残酷な宿命を受け入れるしかない人間の諸相を肯定する励ましという光が見えるように、わたしには思えるのです。単なる感動に物語を落とし込まない分、たくさんの複雑な感情を喚起する十二篇。どうぞ時間をかけて味わって下さい。
【この書評が収録されている書籍】
◎「金の斧(親を質に入れても買って読め)」
「銀の斧(図書館で借りられたら読めば―)」
「鉄の斧(ブックオフで100円で売っていても読むべからず)」
たくさんの複雑な感情が喚起される十二篇。じっくり味わって
「文学の冒険」「書物の王国」「未来の文学」など、世の小説好きを驚喜させる幾つもの傑作シリーズを放ってきた国書刊行会が、またもやってくれました。「短篇小説の快楽」。その第一弾が、アイルランドの作家ウィリアム・トレヴァーの『聖母の贈り物』なんであります。アイルランドというと、『ガリバー旅行記』(新潮文庫など)のスウィフト、『ユリシーズ』(集英社文庫)のジョイス、『ゴドーを待ちながら』(白水社)のべケット、『第三の警官』(筑摩書房)のフラン・オブライエンなど、奇想や実験精神が過剰な作家を思い浮かべがちですが、トレヴァーはそうした先人と比べるとリアリズム寄りといえましょうか。人間が生きていく上で否応なく直面させられる、宿命と呼ぶほかない出来事、それが刻印する癒やしようのない傷、宿命の前に立ち尽くすばかりの人間の無力さを描いて、痛切かつ痛烈な読み心地をもたらす作家なのです。
いじめられっ子の意趣返しをアイロニカルな筆致で描いた冒頭の一作「トリッジ」から、男と別れたばかりの女性の傷心旅行を綴った「雨上がり」まで、全十二作が収められたこの短篇集の柱といえる作品は、「アイルランド便り」と連作三部作のスタイルを取っている「マティルダのイングランド」です。前者の舞台は、イングランドから渡ってきた一家によって買い取られた、アイルランドの古い屋敷。住み込みの女性家庭教師のちょっとヘンリー・ジェイムズ『ねじの回転』(新潮文庫など)の雰囲気をまとった日記のパートに、地元生まれの執事の皮肉な観察眼が絶妙に絡む、この物語がかもす絶望感の深さは心胆を寒からしめる域に達しています。また、田園屋敷を舞台に、その地所内の農場で生まれ育った〈わたし〉の第二次世界大戦をはさんでの半生を描いた後者は、ありていの心温まる”家族小説”の定型を、ひよこが卵から孵る時のように、内側から静かに、しかし迷いなく突いて壊してしまう作者の非情な筆致におののかされる傑作です。どちらの作品の背景にも、飢饉や戦争といった個々人の力ではどうしようもない宿命があり、その結果としての諦観や変心や不幸や孤独を淡々とあぶり出して戦慄的なのです。
というように、トレヴァーの人間を見つめる視線には容赦がありません。けれど、絶望を絶望として描きながらも、その眼差しの奥には、残酷な宿命を受け入れるしかない人間の諸相を肯定する励ましという光が見えるように、わたしには思えるのです。単なる感動に物語を落とし込まない分、たくさんの複雑な感情を喚起する十二篇。どうぞ時間をかけて味わって下さい。
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