書評
『日本領サイパン島の一万日』(中央公論新社)
南洋のサイパン島は八王子市ほどの広さ。第一次世界大戦後に日本の委任統治領、太平洋戦争では日米の激戦地となって、五万七千(うち民間人一万数千)が死亡した。著者は1987年、改題前の本書『海の果ての祖国』で、本土防衛の最前線で生じたこの戦禍に至る同島の歴史を、「南洋成金」の山口百次郎、「小作農」の石山万太郎の対照的な二家族を軸にたどった。
戦時、サイパンの日本人は、「理想化された『祖国』日本への帰一願望」を抱いていた。大本営はつけ込むかのように徹底抗戦を強(し)い、爆撃を中心とする米軍の掃討作戦によって飢えと渇きの地獄絵図が展開された。
終戦後、内地に戻った正太郎(万太郎の息子)は、何事も知らず安穏と暮らす祖国の人々に愕然(がくぜん)とする。彼の手記には、洞窟の中で日本兵に手榴(しゅりゅう)弾を渡された男が周りに集団自決を促すと、一人の朝鮮人が、「アメリカ、ミンカンチンモ、コロシマスカ」と問うたと記された。それは大本営よりも「人として人を尊重する考えから出た問い」であった。
サイパンは日本現代史の凝縮である。そう確信する著者の、若き日の傑作である。
戦時、サイパンの日本人は、「理想化された『祖国』日本への帰一願望」を抱いていた。大本営はつけ込むかのように徹底抗戦を強(し)い、爆撃を中心とする米軍の掃討作戦によって飢えと渇きの地獄絵図が展開された。
終戦後、内地に戻った正太郎(万太郎の息子)は、何事も知らず安穏と暮らす祖国の人々に愕然(がくぜん)とする。彼の手記には、洞窟の中で日本兵に手榴(しゅりゅう)弾を渡された男が周りに集団自決を促すと、一人の朝鮮人が、「アメリカ、ミンカンチンモ、コロシマスカ」と問うたと記された。それは大本営よりも「人として人を尊重する考えから出た問い」であった。
サイパンは日本現代史の凝縮である。そう確信する著者の、若き日の傑作である。
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