前書き
『外交官が変えた世界史』(原書房)
時に静かに、時に蛮勇に歴史を紡いできた立役者、外交官。国際政治で生じる問題について、強烈な個性と強靭な手腕で数々の難題を乗り越えたエピソードを紹介した書籍『外交官が変えた世界史』より、まえがきを公開します。
彼は私に、17世紀から今日まで、つまり西洋が世界を支配していた時代の外交官たちについてリファレンスになるような共著を編まないかという提案をしてくれた。私は(ほとんど)即座に承知した。非常に面白いテーマであるし、グローバリゼーションが我々を途方に暮れさせ、ヨーロッパの人々の目にもっとも確かで、準拠すべきと思われていたものが、時代遅れになっている今日、きっと理解を助け、役に立つものと考えたからだ。この企画は、それぞれの人物像が彼らの交渉術と外交官の特性の分析を含むだけに、刺激的なものになるだろうと思った。
私たちはまず、17世紀から21世紀にわたって20人ほどの人物を選んだ。中でも18、19、20世紀に生きた人々を。ウィルソンやモンローといった、大統領や外交政策にその名を残している指導者たちを扱うことも考えられた。あるいはローズヴエルト、チャーチル、スターリン、ドゴール、毛沢東のような20世紀の巨人たち、あるいはまた、第三世界の指導者たちチトー、ネルー、スカルノ。だが、彼らについての本はすでに豊富にあるので、私たちは偉大な大臣たちに集中することに決めた。よく知られている人物から忘れられた人々まで、常に駆け引きを行った、外交政策の推進者たちだ。
この歴史的肖像集が見渡す4、5世紀の間の国際関係は、ヘンリー・キッシンジャーがその著書『外交』の中で、普遍から(教会または神聖ローマ帝国の庇護のもとでの普遍性へのノスタルジアの放棄)、ヨーロッパ諸国間の均衡への移行が距著だった時期、と語っているものに相当する。それぞれが自国の新権を確立することにも、他国の優越を妨害することにも失敗していた。
この均衡は、はっきりとした2つの100年の末に、達成された。最初の100年は1648年から1756年まで(エドモン・ジャンボウスキによると最初の世界大戦である七年戦争に、アメリカの独立戦争、革命戦争、帝国戦争が続いた)、2つ目はウイーン会議から1914年までである。希望は終わる。なぜならその後に2つの世界戦争、全体主義、冷戦、長いアメリカの時代があり、そして世界に「グローバル」な乱気流が起こって、我々はそこから到底抜け出せずにいるのだから。
キッシンジャーにとって、「近代的国家の父であり、国家理性の概念を普及させた」リシュリューは、「その時代の先駆者」だ。「政権にあった人々のうちで、これほど歴史を画したことを自負できる人物はほとんどいないだろう」。したがって当然、彼のすぐ後のマザランから始めることになる。シモーヌ・ベルティエールが冒頭の素晴らしい章で見せてくれているように、限りなく巧みな才能で、彼は1648年(ミュンスターとオスナプリュックで長い交渉が行われたのも)、ウェストファリア条約の締結によって、新たな助乱の前置きとなった、平和なヨーロッパ大陸の偉大な世紀を実現させた。
本書はそのままで、その時代の主要な人物たちの大部分を通しての、ヨーロッパの、次に世界の、あるいは「グローバル化された」この長い時代の感動的な光景であるように、私には思われる。登場するのは、6人のフランス人(その中には、1602年アブルッツオで生まれたイタリア出身のマザランもいる)、2人のオーストリア人カウニッツとメッテルニヒ、二人のドイツ人ビスマルクとシュトレーゼマン、2人のイギリス人大ピットとディズレイリ、1人のソ連人モロトフと、1人のロシア人ラヴロブ(ただ1人まだ存命で、現職)、一人のジョージア(グルジア)人シェワルナゼ、1人の中国人、周恩来、2人のアメリカ人(それぞれポーランドとドイツの出身)プレジンスキーとキッシンジャー、本質的に異なる役割であるが、2人の元国連事務総長エジプト人(コプト人)のプトロフトロス=ガーリとアフリカ ガーナ人のコフィ・アナン。
その他の偉大な要人たちを取り上げても良かっただろう。例えばイギリス人カッスルレーやグラッドストーン、ソ連のグロムイコ、あるいはフォスター・ダレスやジェームズ・ベイカーのような米国務長官、フランスのギゾー、デルカッセあるいはクーヴ・ド・ミュルヴィル、さらにはターリク・アズイーズ、サウード皇太子 アプデルアジズ・プーテフリカなど。しかし、事典ではないので、多くの国、そして大陸の間で、ある程度バランスをとる必要があったし、それに携わった、そして時に本当に歴史を作った人々によって体現された外交の物語を、年代順の流れを追って提供する必要があった。
そこで気づくのは、世界的に周知されている4人、クレーラン、メッテルニヒ、ビスマルク、キッシンジャーは、それぞれ自国が世界一の大国であった時代に関与していることだ。
全員が古い、大昔の知識で形成されたが、その知識は君主間、大国間の関係の鍵を提供した。何世紀もの間に蓄積され、見捨てられ、それから長い中断のあと復活させられたもので、戦争や平和の、王政の歴史を通して、知識と記憶の巨大な蒸留器の中で蒸留されたモデルを作り上げ、一握りの条約とブーフェンドルフやグロティウスやカリエールあるいはヴァッテルのような人々の試みによって、言葉にされた。この下絵は20世紀の後半ごろまで残っていて、適切に権力の永遠の駆け引きを解きほぐしたり、交渉の原動力となったりした。ゴルディオスの結び目を、場合によって、解いたり、断ち切ったり、それに失敗したりした、偉大な外交官あるいは「交渉者」の役割も同様である。
ここに描かれた人物たちは皆、力と現実の言葉を話した。彼らは互いに読み取り、語った。精神的、概念的に超えられないどんな障害もキッシンジャーやブレジンスキのような人にとってはない。孫子やクラウゼヴィッツについて、あるいは基づいて、思いを巡らすことも、マザランやメッテルニヒと意見交換することも、ファラオとヒッタイト間の条約を検討することや、ステップの帝国について考えることも。このような確認された事項は、第二次世界大戦まで、そして冷戦終結までの指導者たちには有効だった。安全保障理事会やヨーロッパ評議会内での議論は、彼らにとって理解できないものではなかっただろう。
ところがこうした過去は、時代に追い越されつつあるようだ。永遠だと信じていた不変は時代遅れになって、この長い間「規範」だった外交の実践と現代の違いは明らかになっている。世論の影響、透明性、反応力、デジタル革命、交通やコミュニケーション手段が新しい時代を予測させる。今どこまできているのだろう? 明日はどこまで行くのだろう? 人々は予測される結論を自問する。
[書き手]ユベール・ヴェドリーヌ(元フランス政府関係者)
語り合い、理解し合うには
多くの交渉がそうであるように、本書も食事から生まれた。傑出した出版社であるエディシオン・社長プノワ・イヴェールとチーズ・スフレを食べていた時のことだ。彼は私に、17世紀から今日まで、つまり西洋が世界を支配していた時代の外交官たちについてリファレンスになるような共著を編まないかという提案をしてくれた。私は(ほとんど)即座に承知した。非常に面白いテーマであるし、グローバリゼーションが我々を途方に暮れさせ、ヨーロッパの人々の目にもっとも確かで、準拠すべきと思われていたものが、時代遅れになっている今日、きっと理解を助け、役に立つものと考えたからだ。この企画は、それぞれの人物像が彼らの交渉術と外交官の特性の分析を含むだけに、刺激的なものになるだろうと思った。
私たちはまず、17世紀から21世紀にわたって20人ほどの人物を選んだ。中でも18、19、20世紀に生きた人々を。ウィルソンやモンローといった、大統領や外交政策にその名を残している指導者たちを扱うことも考えられた。あるいはローズヴエルト、チャーチル、スターリン、ドゴール、毛沢東のような20世紀の巨人たち、あるいはまた、第三世界の指導者たちチトー、ネルー、スカルノ。だが、彼らについての本はすでに豊富にあるので、私たちは偉大な大臣たちに集中することに決めた。よく知られている人物から忘れられた人々まで、常に駆け引きを行った、外交政策の推進者たちだ。
この歴史的肖像集が見渡す4、5世紀の間の国際関係は、ヘンリー・キッシンジャーがその著書『外交』の中で、普遍から(教会または神聖ローマ帝国の庇護のもとでの普遍性へのノスタルジアの放棄)、ヨーロッパ諸国間の均衡への移行が距著だった時期、と語っているものに相当する。それぞれが自国の新権を確立することにも、他国の優越を妨害することにも失敗していた。
この均衡は、はっきりとした2つの100年の末に、達成された。最初の100年は1648年から1756年まで(エドモン・ジャンボウスキによると最初の世界大戦である七年戦争に、アメリカの独立戦争、革命戦争、帝国戦争が続いた)、2つ目はウイーン会議から1914年までである。希望は終わる。なぜならその後に2つの世界戦争、全体主義、冷戦、長いアメリカの時代があり、そして世界に「グローバル」な乱気流が起こって、我々はそこから到底抜け出せずにいるのだから。
キッシンジャーにとって、「近代的国家の父であり、国家理性の概念を普及させた」リシュリューは、「その時代の先駆者」だ。「政権にあった人々のうちで、これほど歴史を画したことを自負できる人物はほとんどいないだろう」。したがって当然、彼のすぐ後のマザランから始めることになる。シモーヌ・ベルティエールが冒頭の素晴らしい章で見せてくれているように、限りなく巧みな才能で、彼は1648年(ミュンスターとオスナプリュックで長い交渉が行われたのも)、ウェストファリア条約の締結によって、新たな助乱の前置きとなった、平和なヨーロッパ大陸の偉大な世紀を実現させた。
本書はそのままで、その時代の主要な人物たちの大部分を通しての、ヨーロッパの、次に世界の、あるいは「グローバル化された」この長い時代の感動的な光景であるように、私には思われる。登場するのは、6人のフランス人(その中には、1602年アブルッツオで生まれたイタリア出身のマザランもいる)、2人のオーストリア人カウニッツとメッテルニヒ、二人のドイツ人ビスマルクとシュトレーゼマン、2人のイギリス人大ピットとディズレイリ、1人のソ連人モロトフと、1人のロシア人ラヴロブ(ただ1人まだ存命で、現職)、一人のジョージア(グルジア)人シェワルナゼ、1人の中国人、周恩来、2人のアメリカ人(それぞれポーランドとドイツの出身)プレジンスキーとキッシンジャー、本質的に異なる役割であるが、2人の元国連事務総長エジプト人(コプト人)のプトロフトロス=ガーリとアフリカ ガーナ人のコフィ・アナン。
その他の偉大な要人たちを取り上げても良かっただろう。例えばイギリス人カッスルレーやグラッドストーン、ソ連のグロムイコ、あるいはフォスター・ダレスやジェームズ・ベイカーのような米国務長官、フランスのギゾー、デルカッセあるいはクーヴ・ド・ミュルヴィル、さらにはターリク・アズイーズ、サウード皇太子 アプデルアジズ・プーテフリカなど。しかし、事典ではないので、多くの国、そして大陸の間で、ある程度バランスをとる必要があったし、それに携わった、そして時に本当に歴史を作った人々によって体現された外交の物語を、年代順の流れを追って提供する必要があった。
そこで気づくのは、世界的に周知されている4人、クレーラン、メッテルニヒ、ビスマルク、キッシンジャーは、それぞれ自国が世界一の大国であった時代に関与していることだ。
全員が古い、大昔の知識で形成されたが、その知識は君主間、大国間の関係の鍵を提供した。何世紀もの間に蓄積され、見捨てられ、それから長い中断のあと復活させられたもので、戦争や平和の、王政の歴史を通して、知識と記憶の巨大な蒸留器の中で蒸留されたモデルを作り上げ、一握りの条約とブーフェンドルフやグロティウスやカリエールあるいはヴァッテルのような人々の試みによって、言葉にされた。この下絵は20世紀の後半ごろまで残っていて、適切に権力の永遠の駆け引きを解きほぐしたり、交渉の原動力となったりした。ゴルディオスの結び目を、場合によって、解いたり、断ち切ったり、それに失敗したりした、偉大な外交官あるいは「交渉者」の役割も同様である。
ここに描かれた人物たちは皆、力と現実の言葉を話した。彼らは互いに読み取り、語った。精神的、概念的に超えられないどんな障害もキッシンジャーやブレジンスキのような人にとってはない。孫子やクラウゼヴィッツについて、あるいは基づいて、思いを巡らすことも、マザランやメッテルニヒと意見交換することも、ファラオとヒッタイト間の条約を検討することや、ステップの帝国について考えることも。このような確認された事項は、第二次世界大戦まで、そして冷戦終結までの指導者たちには有効だった。安全保障理事会やヨーロッパ評議会内での議論は、彼らにとって理解できないものではなかっただろう。
ところがこうした過去は、時代に追い越されつつあるようだ。永遠だと信じていた不変は時代遅れになって、この長い間「規範」だった外交の実践と現代の違いは明らかになっている。世論の影響、透明性、反応力、デジタル革命、交通やコミュニケーション手段が新しい時代を予測させる。今どこまできているのだろう? 明日はどこまで行くのだろう? 人々は予測される結論を自問する。
[書き手]ユベール・ヴェドリーヌ(元フランス政府関係者)
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