本文抜粋

『アルツハイマー病の一族:病を受け継ぐ遺伝子と医師たちの闘い』(原書房)

  • 2025/09/18
アルツハイマー病の一族:病を受け継ぐ遺伝子と医師たちの闘い / ジェニー・エリン・スミス
アルツハイマー病の一族:病を受け継ぐ遺伝子と医師たちの闘い
  • 著者:ジェニー・エリン・スミス
  • 出版社:原書房
  • 装丁:単行本(424ページ)
  • 発売日:2025-08-27
  • ISBN-10:4562075635
  • ISBN-13:978-4562075638
内容紹介:
\\ 全米メディア絶賛!//それは、医学界に衝撃を与えた発見だった-------------------------------------------------------------------------------------------------------綿密で… もっと読む
\\ 全米メディア絶賛!//
それは、医学界に衝撃を与えた発見だった

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綿密で包括的。著者は、危険な状況にも身を置きながら、物語の全体像に迫っている。
読みごたえは十分だ。
――『ウォール・ストリート・ジャーナル』紙

驚嘆すべき作品。
不確かな希望を追い、みずからの苦しみを科学に捧げる人々の勇気を描き出している。
――『ニューヨーカー』誌

抗いがたい喪失を前にしてなお意味を見出そうとする、揺るぎない意志の物語。
――『ワシントン・ポスト』紙
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「コロンビアの山奥に若年性アルツハイマー病が遺伝する一族がいる」
この驚くべき遺伝病の真相を追いはじめた医師たちは、やがて、世界初となる認知症治療薬の開発をめざして医学史の一歩を踏み出す――

下山 進(『アルツハイマー征服』著者・ノンフィクション作家)氏 解説付き

コロンビアの山奥に、若年性アルツハイマー病を引き起こす〈パイサ変異〉を受け継ぐ一族がいる。多くが40歳前後で発症し、10年ほどで命を落とす運命を背負っていた――
1980年代、この発見は医学界に衝撃を与えた。そして若き医師ロペラは総勢6,000人の家族たちとともに、病の謎と治療薬の開発に挑みはじめる。記憶を失う恐怖と闘いながら、侵襲的検査や解剖に協力した家族たちと、彼らに支えられた研究者たち。知られざる40年の闘いの記録。
コロンビアの山奥に、若年性アルツハイマー病を引き起こす〈パイサ変異〉を受け継ぐ一族がいる。多くが40歳前後で発症し、10年ほどで命を落とす運命を背負っていた――
1980年代、この発見は医学界に衝撃を与えた。そして若き医師ロペラは総勢6000人の家族たちとともに、病の謎と治療薬の開発に挑みはじめる。記憶を失う恐怖と闘いながら、侵襲的検査や解剖に協力した家族たちと、彼らに支えられた研究者たち。知られざる40年の闘いを記したノンフィクション『アルツハイマー病の一族』より、本文の冒頭部分を公開します。

好奇心旺盛な医師たち

ペドロ・フリオ・プルグリンという男の一生を物語る、茶色の分厚いファイルがある。1984年10月9日、ペドロ・フリオはコロンビア北西部のメデジンにあるサン・ビセンテ病院の門をくぐった。本人の意思に反して、無理強いされて。
ペドロ・フリオは49歳にして頭が禿げあがり、上の歯が何本か欠けていた。彼は地元で言うところの〝モンタニエーロ〞だった――ざっくりと訳すと〝山暮らしの田舎者〞だが、侮蔑的な意味合いはない。成人してからこのかた、ペドロ・フリオはベルミラという町を見おろす山間で牛を飼ってきた。ところが数カ月前、放牧地に迷い出るようになった。家族は、起伏が激しく岩だらけの地で道に迷って死んでしまうのではないかと心配した。妻と子どもたちは高地にある牧場を引き払って町に引っ越し、ペドロ・フリオが外に出ないように眼を配った。ところが状況は悪くなるばかりだった。ペドロ・フリオは不満を募らせ、ふらふらと歩きまわりたい衝動で頭が一杯になった。家族は、外に出さなかったらナイフか石を手にして襲いかかってくるかもしれないという不安に駆られた。
家族を愛する父親で聖人を篤く崇敬するカトリック信者で、勤勉で目端のきく男として周囲に知られていたペドロ・フリオは別人になってしまった。蓄財にせっせと励む男でもあり、土地の賃貸と売買、そして地元の居酒屋で開かれる賭場で発揮する博才によって、12人残った子どもたち全員にそれなりの土地を残せるだけの貯えを作った。その子どもたちの名前も思い出せなくなってしまった。町の医師は、精神錯乱が好転するかどうか確かめるべくナイアシン(ビタミンB3)を投与したが、ビタミンでは効き目がなかった。結局、メデジンの病院で診てもらうよう家族に勧めた。メデジンまでは未舗装の道路を通って3時間かかった。
サン・ビセンテ病院は、メデジンの名門公立大学であるアンティオキア大学と提携している。20世紀初頭に建設された、背の高い窓と瓦屋根の低層棟と礼拝堂と庭園が備わる構内は、病院とは肉体だけでなく魂も癒やす場所だとされていた時代の遺物だ。ペドロ・フリオを最初に診察した医師のひとりで神経内科のギリェルモ・コルネホという研修医は、こんな手書きのメモを残している。

牧場主、小学校に2年だけ通い、2カ月前まで働いていた。4年前まではまったく問題なし。頭のいい男だったという。発症から2年後、家族関係の区別がつかなくなった。4カ月前、場所や時間など全般的に著しい見当識障害。不衛生の放置。感情の不安定化、号泣から容易に笑いに転じる。被害妄想。幻視および幻聴。過剰興奮性および思考の滅裂。現症状の発症当初に後頭部痛。

診察室でペドロ・フリオはほとんどしゃべらず、発したのは〝ア ベマリア(おやおや)〞や〝アシ・エス・ラ・コサ(まあ、なんだ)〞といった、一般に会話の間を埋めるための意味のない言葉だけだった。十字を切る仕草はまだ憶えていたが、2桁の数字を続けて数えることはもうできなくなっていた。そしてついには癇癪を起こし、ペンデハダス(くだらんこと)はもうやめろとコルネホを怒鳴りつけた。
ペドロ・フリオの妻は、夫のおじのなかの3人が同じ病気の末に亡くなったと言った。きょうだいのひとりも同様で、52歳で逝った。公立の精神科病院に入院中に50歳で他界したという母親にしても、おそらく同じだったのだろう。
「あのとき現在の医学基準で診察していたら、抗精神薬を処方して家に帰していただろう」コルネホ医師はそう語る。彼はペドロ・フリオを家に帰さずに入院させた。老年性認知症が疑われる症状だが、それにしては若過ぎる。アルツハイマー病? コルネホはメモに記した。
ところが翌日、ペドロ・フリオは病院から抜け出した。サン・ビセンテ病院の正門を歩いて抜け、メデジンの中心街に出ていったのだ。まるでそこが、緑のなかに岩が散在するベルミラの山中であるかのように。「患者は入院病棟から抜け出した」ペドロ・フリオのファイルは語る。「行動監視下にあったにもかかわらず外出した。われわれは追いかけたが、患者は攻撃的に反抗し、連れ戻すことができなかった。警備員と守衛たちは保護できなかった。家族とソーシャルワーカーに、患者が街なかに向かったと連絡した」
30年以上経った今でも、ギリェルモ・コルネホはペドロ・フリオの出奔で味わわされた戦慄を憶えている。その日遅くにペドロ・フリオが病院に連れ戻されると、研修医のコルネホはこの徘徊癖のある牧場主について助言を求めた。
彼は同僚の研修医、フランシスコ・ロペラ・レストレポを頼ることにした。
神経内科での実習3年目の研修医であるロペラはハンサムで物腰に落ち着きがあり、ウェーブのかかった髪はもう白くなっていた。そして誰からも〝パチョ〔フランシスコの愛称〕〞と呼ばれていた。「パチョは神経心理学に没頭していた」コルネホは語る。「言語の機能とか記憶とか、そういったことを研究していた」
当時のロペラはほかの研修医たちより少し年上の33歳だった。抗議行動やストライキのせいで医学部卒業まで9年かかり、その後はパナマとの国境近くのカリブ海沿岸で政府の地方研修医として3年働いた。
患者のペドロ・フリオ・プルグリンと同じく、ロペラも〈パイサ〉だ。パイサとは一般的に〝同胞〞であるとか〝同郷人〞のことだが、コロンビアでは〝アンティオキアにルーツを持つ人間〞を意味する。アンティオキアはコロンビア北西部の山岳地帯にある県で、県都メデジンのほかに田舎町が散在する。パイサたちは礼儀正しく勤勉かつ倹約家で、そしてこの上もなく信仰に篤いことで有名だ。教会のまえでは十字を切る。メ トロ(都市鉄道)に乗って通り過ぎるときでもそうだ。バスの車内で商売するポテトチップス売りでさえ十字を切って客を祝福する。かれらは都会に出てきても地元のやり方をある程度貫く。伝統的な食事は簡素で、スパイスはあまり使わない。豆類と肉類、コメ、栄養満点のスープ、トウモロコシを挽いた粉で作るアレパという薄焼きパン、果物のジュース、そして新鮮なチーズなどを食べる。ナイフとフォークは危ない、スプーンがあれば何でも食べられるから大丈夫だと考えている人々がいまだにいる。
パイサたちは、16世紀から17世紀にかけて黄金を追い求め、北西部の山岳地帯をラバを使って踏破したスペイン人入植者たちの末裔だ。そうした山岳路を切り拓いたコロンビアの先住民と、砂金を多く含む川を堰き止めて浚らうために連れてこられたアフリカの奴隷たちの血も引いているが、このふたつの血筋をパイサたちは軽視し、ヨーロッパ系であることを強調するきらいがある。18世紀になるとパイサたちは農業に鞍替えし、アンティオキアの冷涼な高地にフィンカ(農園)を拓いた。かれらは木の梁と土壁の家を建て、観葉植物を吊るして飾り、子どもたちで満たした――とんでもない数の子どもをもうけた家は、古いところも相まって修道院か大学寮という様相を呈しているところもあった。アンティオキアの肥沃な土壌でサトウキビとコーヒー、さまざまな果物と野菜を栽培し、ラバを使った輸送業を何世紀にもわたって営み、スペイン王家の徴税吏から黄金を隠してきた。こうしたことから、パイサたちが商売と金融業に長けていることがわかる。19世紀後半になると、アンティオキアの商業と権力の中心地であるメデジンは大いに繁栄した。首都ボゴタの支配層は嫉妬し、パイサたちはユダヤ人の子孫だという噂を流した。この誹謗中傷をパイサの権力層は甘受した。そうした理由のひとつは、自分たちはボゴタの人々より優秀で、よりヨーロッパ的で、そしてラサ(人種)も異なるのだという考え方に沿うものだったところにある。
ロペラは、ペドロ・フリオの牧場から30キロ以上離れた、やはり険しい山中にあるカトリックで保守的な風土で育った。彼が生まれた1950年代、コロンビア全土で〈ラ・ビオレンシア(暴力)〉と呼ばれる政治的虐殺の嵐が吹き荒れていた。アンティオキアの保守派のミゲル・アンヘル・ブイレス司教は、リベラリズム(自由主義)は大罪であると事あるごとに声高に断じ、その脅威に対しては自分の思うままに対処せよと司教区民に発破をかけた。ロペラの祖父は刃傷沙汰で命を落とした。幼い頃、保守派の父親が町の広場に立って熱弁を振るい、リベラル派の殺害を止めるよう人々に懇願するところを目撃した。
ロペラは13人きょうだいの4番目だ。両親共に大家族の出なので、いとこは100人いる。33歳になってもクルマの運転ができなかったが、馬は見事に乗りこなすことができた。
ペドロ・フリオを診たロペラも、やはりコルネホと同じく認知症の症状だと判断したが、その原因はわからなかった。ふたりは治療可能な原因を探ろうとした。寄生虫病の治療薬を投与し、甲状腺を検査し、梅毒の有無を調べ、血液中の銅と砒素を調べた。頭部全体に電極を刺して脳波を記録し、CTスキャンにかけた――ほかの医療現場では10年以上も前に導入されていたが、この病院の医師たちにとっては新技術だった。
CTスキャンの結果、ペドロ・フリオの脳に深い溝が何本かあり、脳が萎縮していることがわかった。最も著しく萎縮していたのは、言語を理解し新しい記憶を処理する側頭葉だった。中央部の脳室に肥大が見られ、これもまた萎縮の兆候だった。ふたりの研修医は脳生検の実施を検討した。アルツハイマー病の顕著な特徴とされている異常たんぱく質によるごく微細な斑点(老人斑)と神経原線維変化(タングル)の存在を確認するには、剖検以外ではこれしか手はなかった。しかしそれは脳を著しく傷つけることを意味し、結局ロペラとコルネホは生検を断念した。ペドロ・フリオは退院し、家族が介護することになった。医師たちにできることはほとんどなかった。
ロペラはペドロ・フリオの症例にずっと引っかかっていた。普通の診察ではわからない何かがあるにちがいない。そんな確信があった。その何かをつかむには現場に行くのが一番だ。1984年12月、ふたりはコルネホのルーマニア製のクルマに乗り込み、プルグリンの牧場に向かった。メデジンからベルミラまでの道のりはずっと上り坂で、コルネホはロペラに無理やりハンドルを握らせ、運転を学ばせた。クルマはぎくしゃくしながら高地を目指して走っていった。途中、ドーム屋根がひとつの質素な教会があるサンフェリクスという小さな町と、それより大きな、ドーム屋根を3つ備えた堂々たる教会のサンペドロという町を通り過ぎた。数時間後、涼やかな小川が流れ草原の丘が連なり、その中心にゴシック様式の大聖堂がある、アイルランドやスコットランドもかくやという風景に行き当たった。ベルミラの町のさらに上、冷涼で霧がちな集落にプルグリン家の牧場はあった。そこにたどり着くにはクルマを町に残し、ラバを借りて登らなければならなかった。
ペドロ・フリオの母親とおじたちについての情報から、ロペラもコルネホも自分たちが取り組んでいるのは遺伝性疾患だと目星をつけていた。それでも環境的要因もあり得る。鉱業と農業で使用される化学物質など、山間部には認知症を惹き起こす危険性があるものが多く存在している。当時はまだ、脳内に蓄積されたアルミニウムがアルツハイマー病の原因ではないかと広く考えられていた。牧場に到着すると、ペドロ・フリオの2歳下の弟も似たような物忘れと錯乱状態を経験していることがわかった――最近、居酒屋に自分の銃を置き忘れたばかりだった。ふたりは弟に認知症の筆記テストを受けさせ、家と十字架と時計、そして立方体を描かせてみた。2回描き損じてか細い十字架を描き、立方体は5回描き直した。
ロペラもコルネホも、認知症の筆記テストについてもその実施方法についても、何となくという程度しか理解していなかった。家系図を使って遺伝性疾患の家族歴を調べることもあまりわかっていなかった。それでも集まってくれた家族の力を借り、プルグリン家の家系図、もしくは心理的家系図の作成に取りかかった。ロペラは男性を四角、女性は丸で記し、故人には×印をつけた。
その結果、4世代にわたって9人が独特の若年性認知症を発症していたことが判明した。発症リスクがあると思われるのは、両親のどちらかが発症している場合のみだった。ウィルスや化学物質を原因とするのではなく、遺伝的要因による発症を示唆する結果だった。平均して47歳から48歳のあいだに発症し、その後10年以内に死亡していた。
それからの数カ月、ロペラとコルネホはプルグリン家の牧場を数回再訪した。クルマで行くこともバスに乗ることも、アンティオキア大学の車両を使い、神経内科の看護師ルシア・マドリガルが同行することもあった。1987年、ロペラとコルネホはこの一族にかんする最初の論文をコロンビアの医学誌に発表した。ふたりは若年性認知症を多く発症させているアメリカ中西部とカナダの家族の記録を読み、論文に引用した。プルグリン家の家系図と北米の2家族のそれを比較すると、大きな類似点があることがわかった――発症者は全員親のどちらかが発症しており、それはつまり隔世遺伝するものではないということだ。そして男女関係なく発症していた。これらの類似点は、この疾患が常染色体顕性突然変異、つまり性別に関係なく親から子に受け継がれる異常遺伝子を原因とすることを示している。親のどちらか一方に常染色体顕性突然変異があれば、50パーセントの確率で子どもに遺伝する〔常染色体とはヒトの細胞にある46本の染色体のうち男女共通の22対、44本のこと〕。受け継がずに生まれると遺伝の連鎖は断ち切られ、その子孫は影響を受けない。
若年性アルツハイマー病を発症する家族の発見に、当時の研究者たちは色めき立った。こうした家族は、発症させる原因遺伝子および症状の進行過程の性質という、この疾患の秘密を解き明かすカギになる。そんな考えが生まれつつあった。素晴らしい結果を残せそうな研究の機会を無駄にしたくはない。ロペラとコルネホはそう考え、論文の末尾に「病理組織検査の実施を目的として、家族を注意深く追跡調査する予定だ」と書き添えた――つまりプルグリン家の患者が亡くなった場合、その脳を手に入れたいと暗に仄めかしたのだ。この疾患はアルツハイマー病の一種だという見方をふたりは強めていたが、患者の脳組織を顕微鏡で観察しなければ確定診断は下せない。そこでこの疾患を〈若年発症アルツハイマー型認知症〉という無難な名前で呼ぶことにした。ふたりは、プルグリン家の人々の血液と指紋を採取し、より精度の高い認知機能検査を実施して疾患の早期発見に努め、そして遺伝学者の協力を得て、この死をもたらす遺伝形質の解明に着手する予定だと記した。

[書き手] ジェニー・エリン・スミス(ジャーナリスト)
アルツハイマー病の一族:病を受け継ぐ遺伝子と医師たちの闘い / ジェニー・エリン・スミス
アルツハイマー病の一族:病を受け継ぐ遺伝子と医師たちの闘い
  • 著者:ジェニー・エリン・スミス
  • 出版社:原書房
  • 装丁:単行本(424ページ)
  • 発売日:2025-08-27
  • ISBN-10:4562075635
  • ISBN-13:978-4562075638
内容紹介:
\\ 全米メディア絶賛!//それは、医学界に衝撃を与えた発見だった-------------------------------------------------------------------------------------------------------綿密で… もっと読む
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それは、医学界に衝撃を与えた発見だった

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綿密で包括的。著者は、危険な状況にも身を置きながら、物語の全体像に迫っている。
読みごたえは十分だ。
――『ウォール・ストリート・ジャーナル』紙

驚嘆すべき作品。
不確かな希望を追い、みずからの苦しみを科学に捧げる人々の勇気を描き出している。
――『ニューヨーカー』誌

抗いがたい喪失を前にしてなお意味を見出そうとする、揺るぎない意志の物語。
――『ワシントン・ポスト』紙
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「コロンビアの山奥に若年性アルツハイマー病が遺伝する一族がいる」
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コロンビアの山奥に、若年性アルツハイマー病を引き起こす〈パイサ変異〉を受け継ぐ一族がいる。多くが40歳前後で発症し、10年ほどで命を落とす運命を背負っていた――
1980年代、この発見は医学界に衝撃を与えた。そして若き医師ロペラは総勢6,000人の家族たちとともに、病の謎と治療薬の開発に挑みはじめる。記憶を失う恐怖と闘いながら、侵襲的検査や解剖に協力した家族たちと、彼らに支えられた研究者たち。知られざる40年の闘いの記録。

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