内容紹介
『拡張生態系ーー生命から照らす人類・地球・科学の未来』(祥伝社)
アフリカ・サブサハラの半乾燥地帯に位置するブルキナファソでは、気候変動や農業による土壌劣化に起因する砂漠化が急激に進行している。もはや慣行の食料生産が不可能なほど劣化した土地に、2015年より拡張生態系に基づく食料生産法であるシネコカルチャーを導入したところ、それを短期間で逆転させることに成功した。
生態系は、経済から見れば制約要因となるが、すべての生命体を包摂する分割不可能な基礎単位である。生命が発生するところには必ず生態系が生まれ、また生態系なしにはどのような生物も存続不可能だからだ。人間も、その生態系から生まれ、生態系に生きる存在である。
地球環境の問題に直面する人類が根本的に取り組むべきこととは何か?
従来の生物学を超え、20カ国で実装されて、世界が注目する「拡張生態系」。
その全貌と考え方を初めて明かす、舩橋真俊著『拡張生態系』より、第1章冒頭の一部をお届けする。
生態系と環境は絶えず相互作用している。たとえば、植物が成長することで土壌の中には炭素や窒素などの新たな資源が導入される。また土壌内で鉱物が溶けイオン化することで、他の植物がそれを栄養として吸収し成長する。このような現象は資源獲得と呼ばれるが、生態系と環境の相互作用により、互いに使えなかったものを使いやすい形にやりくりする仕組みだ。これは生態系の機能の重要な側面である。
また、太陽光を浴びて植物が光合成をするのは、この相互作用がもたらす「生産」であり、逆に有機物が光合成されたものが化学的に細かくなり、その過程でエネルギーを発生し、他の生命体の活動に用いられるのが「分解」という機能である。
生産と分解を支える生体元素の例としてリンがある。農業ではリンが欠乏すると生育不良が起こるとされるが、これは環境中のリンそのものが極端に少ないわけではない。生物の細胞膜はリン脂質二重層からなり、核酸やATPなどにもリンが含まれるため、生物体そのものには多くのリンが存在する。しかし、植物が利用できるリンはリン酸イオン(H₂PO₄⁻、HPO₄²⁻)の形だけであり、土壌中に存在するリン鉱物や有機リンがそのまま吸収されるわけではない。植物にとって利用可能なリン酸は、主に微生物・菌類が植物残渣やその他の有機物を分解する過程(無機化)で供給される。
さらに、動物の存在もリンの無機化を間接的に促進する。動物の糞や尿は微生物が分解しやすい有機リンや無機リン酸を含むため、土壌中の可給態リンを増やす一因となる。昆虫やミミズなどの土壌動物は植物残渣を細断したり土壌を攪拌したりすることで、微生物の分解活動を活発化させ、結果的にリンの無機化を高める役割を果たす。また、植物の根はさまざまな有機酸を放出し、それがリン鉱物を溶解してリン酸を動員する役割を果たしている。
このように、植物が利用可能なリン酸は、微生物分解、動物相の活動、そして根の働きによって土壌中のリンを可溶化することで供給されているのである。
さらに言えば、雨が降ったあとに植物が光合成して水蒸気を蒸散すると、それを核にして上空で水蒸気がさらに凝集して加速的に集まって雲ができ、より多くの雨を降らすという作用がある。元々雨が降らない地域でも、植生があればそれだけで雨が恒常的に降るようになるサイクルが地球システムには存在する。このような資源獲得が生態系と環境の相互作用の中で行なわれているのだ。
これらの相互作用に着目すると、地球環境の維持や発展にとって生態系がいかに重要かがわかるだろう。そして、生態系を捉えるうえで簡略化できない基盤となるのが生物多様性である。
一般的に、何か複雑な現象があったときに、その複雑性を還元すべき基礎的な要素を見つけるのが科学の出発点である。たとえば、脳活動という複雑な現象を記述するのにニューロンを基盤にするのが脳科学であり、経済活動を記述するのに個々の消費活動をもとにするのがミクロ経済学である。同じように生態系について考えると、実は生物多様性を基盤におかなければ、その複雑性を記述する手がかりの多くを失ってしまうことになる。
たとえば、気温が生態系の決定的な基盤になるかどうかを考えてみよう。この気温には必ずこの植物が生えてくる、必ずこの動物がいるといった、強い従属関係は見出せない。同じ温帯であっても生物種の違いは多様で、気温だけではその説明がつかない。つまり、従属的に説明できない独立な情報として生物多様性が出てくる。逆に言うと、生物多様性から見れば、この種はおおよそ温帯の生物である、といった捉え方ができるため、情報でいうと環境より、生き物の種のほうが上流にいるように見えるのだ。以上の理由から生物多様性は、物理化学的な要因などと比べても、生態系やその作用を記述するうえでより根本的な基盤に据えることができる。
この生物多様性には本来、三つレベルがある。それらは、遺伝子の多様性、生物種の多様性、生態系の多様性である。一般的に生物多様性というと、生物種の多様性つまり「種多様性」を指すことが多いが、それだけで閉じているわけではない。同じ種の中でも遺伝的な多様性があり、個体ごとの性質が異なる。それらは遺伝子レベルまで見ないと区別できないので、その場合は遺伝子の多様性を見ることになる。
さらに生態系の多様性となれば、それは単純化すれば種構成の違いを表わすことになる。どういう種がグループを作るかによって、生態系自体の違いも変化する。
この三つのレベルの中で、本書でも最も頻繁に使われ、また生態系の基盤となるのは、種多様性である。その理由を端的に言えば、我々人類が手を使って食べ物を摂る動物だからだ。我々、現生人類の特徴を解剖学的に見ると、約30万年前まで遡ることができるのだが農業が始まったのは、たった約1万2000年前であり、ほぼ全期間にわたり、人類は狩猟採集してきた動物である。この間、我々自身の生存を支えてきた食べ物は、細胞の中の目に見えない遺伝子ではなく、追いかけたり摘み取ることのできる生物種毎の個体レベルで認識されてきた。狩猟採集に出かけるときに何を探しにいくのか、また持ち帰った獲物や収穫を調理するときの材料の呼び方は、いずれも生物種によって区別されている。この「食べ物」という区切り方は、人類が生態系を記述するうえでの最も根本的な認識基盤になっている。ゆえに、科学や産業をはじめあらゆる人間活動において生物多様性に関わる際には、我々が用いている言語の成り立ちによって、種多様性がわかりやすいということなのである。
これは哲学的には環世界と呼ばれるものである。人間でも動物でも植物でも、なんらかの認識機構を通じて世界理解をしているのだが、そこで成り立つ世界認識のモデルが「環世界」であり、人間が食べ物の区切りで世界を認識するのは、人間が持つ環世界から出てきたものである。
仮に植物の環世界から生態系を記述したら、人が見ているような生物多様性という概念を持ち得ない可能性がある。植物にとっての食べ物とは、個々の生物種ではなく、空気と水と日光だからだ。
このように生態系と環境との相互作用に着目するならば、一般的には、生態系の基盤である生物多様性は豊かであればそれだけ環境との相互作用が増加することになる。そのため生物多様性は、生態系がもたらす機能やサービスを発揮させるために極めて重要になる。種多様性が増すことで環境との相互作用が増加し、個々の生物活動も活発化するからだ。
もちろんこれは総体的な話であり、具体論では、多様性が増すことがネガティブな影響を与えることも多々ある。たとえば、限られた土地に動物が多様に存在すれば、そこでは自ずと肉食動物にとっては優位であり、草食動物にとっては極めて生存しにくい環境になってしまう。したがって、マクロで見た場合は生物多様性が多ければ総体的にポジティブに作用するが、ミクロで見ると、その多様性を構成している種の特異な特徴によっていくらでもトレードオフは生じる。
その上で、持続可能な世界にとっての生物多様性について考えてみよう。そもそも人間がどれほど環境を無視した活動を続けようとも、地球自体を完全に破壊することはできない。仮に地球システムが元に戻せないほど人間活動によって改変されてしまったとしても、地球史における環境変動とそれに適応してきた生物進化のドラマは、それをはるかに凌ぐ攪乱の中で生き延び、繁栄してきた。これは核戦争が起こっても同じことである。持続性の危機に瀕しているのは、地球ではなく人間の構築した文明社会である。そこには社会経済システムもあれば、食料生産システムも存在する。それらが、従来のやり方の延長では、健全な形では持続できなくなるというのが本当の意味での危機である。
この根本的な前提は、持続可能性の議論では抜け落ちていることが多い。善意から発せられていても、地球の危機を救うために人類ができることといった主客の転倒が起きてしまっていることもある。
我々が数千年をかけて作り上げた社会システムは、人類の発展に大きな貢献をしてきた一方で、絶えず自らの社会の持続性を失う方向へと致命的な欠点をともなって進化してきた。
資本主義経済は、金利を伴う競争を展開し指数関数的な成長を遂げてきたが、同時に生物多様性を毀損する方向へと作用してきた。社会経済を発展させるプロセスが、同時に自然資源、とりわけ生物多様性を消失させるというトレードオフの世界を築いてしまったのだ。
この根本的な問題を顕著に示しているのが、本書で詳しく分析する食料生産である。
従来のモノカルチャーによる農業は、特定の作物種の生産量を増大することには成功してきたが、生態系そのものの機能性を低下させてきた。それは、翻ってどのような種であろうと、他の生物や環境との相互作用の中で成長していくことを鑑みると、特定の種の成長の最適化は個別最適でしかなく、多くの相互作用を阻害する。つまり、現行の食料生産は生態系全体の機能性を低めてしまうことになる。これは同時に環境の質の悪化や生態系サービスの喪失によって経済成長も妨げてしまうことになるが、この悪循環が進むことで、人類社会の持続性が危ぶまれている。
[書き手]舩橋真俊
生態系は、経済から見れば制約要因となるが、すべての生命体を包摂する分割不可能な基礎単位である。生命が発生するところには必ず生態系が生まれ、また生態系なしにはどのような生物も存続不可能だからだ。人間も、その生態系から生まれ、生態系に生きる存在である。
地球環境の問題に直面する人類が根本的に取り組むべきこととは何か?
従来の生物学を超え、20カ国で実装されて、世界が注目する「拡張生態系」。
その全貌と考え方を初めて明かす、舩橋真俊著『拡張生態系』より、第1章冒頭の一部をお届けする。
人類にとっての生物多様性の意味
そもそも生態系とはなんだろうか。我々は海の生態系や森林の生態系などと、生物が生息する空間そのものを生態系と呼ぶことがある。しかし、たとえば土壌には有機物以外の無機的な窒素やリン、あるいは鉱物なども含まれる。さらに言えば、空気や水、あるいは太陽光など、生物が生存する上で欠かせない要素も含まれる。生態系とは、これら多様な要素が入り混じっているのだが、本書では、「生態系」という言葉を用いる際は、生物の集合に主眼を置いて使うこととする。生物の中には、動物や植物のみならず微生物も含まれる。そして、生物が生存に必要となる、外部を取り巻く物理化学的な要素を「環境」と定義する。つまり生態系の主要素が生物群集であり、それを取り囲むものが環境である。生態系と環境は絶えず相互作用している。たとえば、植物が成長することで土壌の中には炭素や窒素などの新たな資源が導入される。また土壌内で鉱物が溶けイオン化することで、他の植物がそれを栄養として吸収し成長する。このような現象は資源獲得と呼ばれるが、生態系と環境の相互作用により、互いに使えなかったものを使いやすい形にやりくりする仕組みだ。これは生態系の機能の重要な側面である。
また、太陽光を浴びて植物が光合成をするのは、この相互作用がもたらす「生産」であり、逆に有機物が光合成されたものが化学的に細かくなり、その過程でエネルギーを発生し、他の生命体の活動に用いられるのが「分解」という機能である。
生産と分解を支える生体元素の例としてリンがある。農業ではリンが欠乏すると生育不良が起こるとされるが、これは環境中のリンそのものが極端に少ないわけではない。生物の細胞膜はリン脂質二重層からなり、核酸やATPなどにもリンが含まれるため、生物体そのものには多くのリンが存在する。しかし、植物が利用できるリンはリン酸イオン(H₂PO₄⁻、HPO₄²⁻)の形だけであり、土壌中に存在するリン鉱物や有機リンがそのまま吸収されるわけではない。植物にとって利用可能なリン酸は、主に微生物・菌類が植物残渣やその他の有機物を分解する過程(無機化)で供給される。
さらに、動物の存在もリンの無機化を間接的に促進する。動物の糞や尿は微生物が分解しやすい有機リンや無機リン酸を含むため、土壌中の可給態リンを増やす一因となる。昆虫やミミズなどの土壌動物は植物残渣を細断したり土壌を攪拌したりすることで、微生物の分解活動を活発化させ、結果的にリンの無機化を高める役割を果たす。また、植物の根はさまざまな有機酸を放出し、それがリン鉱物を溶解してリン酸を動員する役割を果たしている。
このように、植物が利用可能なリン酸は、微生物分解、動物相の活動、そして根の働きによって土壌中のリンを可溶化することで供給されているのである。
さらに言えば、雨が降ったあとに植物が光合成して水蒸気を蒸散すると、それを核にして上空で水蒸気がさらに凝集して加速的に集まって雲ができ、より多くの雨を降らすという作用がある。元々雨が降らない地域でも、植生があればそれだけで雨が恒常的に降るようになるサイクルが地球システムには存在する。このような資源獲得が生態系と環境の相互作用の中で行なわれているのだ。
これらの相互作用に着目すると、地球環境の維持や発展にとって生態系がいかに重要かがわかるだろう。そして、生態系を捉えるうえで簡略化できない基盤となるのが生物多様性である。
一般的に、何か複雑な現象があったときに、その複雑性を還元すべき基礎的な要素を見つけるのが科学の出発点である。たとえば、脳活動という複雑な現象を記述するのにニューロンを基盤にするのが脳科学であり、経済活動を記述するのに個々の消費活動をもとにするのがミクロ経済学である。同じように生態系について考えると、実は生物多様性を基盤におかなければ、その複雑性を記述する手がかりの多くを失ってしまうことになる。
たとえば、気温が生態系の決定的な基盤になるかどうかを考えてみよう。この気温には必ずこの植物が生えてくる、必ずこの動物がいるといった、強い従属関係は見出せない。同じ温帯であっても生物種の違いは多様で、気温だけではその説明がつかない。つまり、従属的に説明できない独立な情報として生物多様性が出てくる。逆に言うと、生物多様性から見れば、この種はおおよそ温帯の生物である、といった捉え方ができるため、情報でいうと環境より、生き物の種のほうが上流にいるように見えるのだ。以上の理由から生物多様性は、物理化学的な要因などと比べても、生態系やその作用を記述するうえでより根本的な基盤に据えることができる。
この生物多様性には本来、三つレベルがある。それらは、遺伝子の多様性、生物種の多様性、生態系の多様性である。一般的に生物多様性というと、生物種の多様性つまり「種多様性」を指すことが多いが、それだけで閉じているわけではない。同じ種の中でも遺伝的な多様性があり、個体ごとの性質が異なる。それらは遺伝子レベルまで見ないと区別できないので、その場合は遺伝子の多様性を見ることになる。
さらに生態系の多様性となれば、それは単純化すれば種構成の違いを表わすことになる。どういう種がグループを作るかによって、生態系自体の違いも変化する。
この三つのレベルの中で、本書でも最も頻繁に使われ、また生態系の基盤となるのは、種多様性である。その理由を端的に言えば、我々人類が手を使って食べ物を摂る動物だからだ。我々、現生人類の特徴を解剖学的に見ると、約30万年前まで遡ることができるのだが農業が始まったのは、たった約1万2000年前であり、ほぼ全期間にわたり、人類は狩猟採集してきた動物である。この間、我々自身の生存を支えてきた食べ物は、細胞の中の目に見えない遺伝子ではなく、追いかけたり摘み取ることのできる生物種毎の個体レベルで認識されてきた。狩猟採集に出かけるときに何を探しにいくのか、また持ち帰った獲物や収穫を調理するときの材料の呼び方は、いずれも生物種によって区別されている。この「食べ物」という区切り方は、人類が生態系を記述するうえでの最も根本的な認識基盤になっている。ゆえに、科学や産業をはじめあらゆる人間活動において生物多様性に関わる際には、我々が用いている言語の成り立ちによって、種多様性がわかりやすいということなのである。
これは哲学的には環世界と呼ばれるものである。人間でも動物でも植物でも、なんらかの認識機構を通じて世界理解をしているのだが、そこで成り立つ世界認識のモデルが「環世界」であり、人間が食べ物の区切りで世界を認識するのは、人間が持つ環世界から出てきたものである。
仮に植物の環世界から生態系を記述したら、人が見ているような生物多様性という概念を持ち得ない可能性がある。植物にとっての食べ物とは、個々の生物種ではなく、空気と水と日光だからだ。
持続可能性と生物多様性
このように生態系と環境との相互作用に着目するならば、一般的には、生態系の基盤である生物多様性は豊かであればそれだけ環境との相互作用が増加することになる。そのため生物多様性は、生態系がもたらす機能やサービスを発揮させるために極めて重要になる。種多様性が増すことで環境との相互作用が増加し、個々の生物活動も活発化するからだ。もちろんこれは総体的な話であり、具体論では、多様性が増すことがネガティブな影響を与えることも多々ある。たとえば、限られた土地に動物が多様に存在すれば、そこでは自ずと肉食動物にとっては優位であり、草食動物にとっては極めて生存しにくい環境になってしまう。したがって、マクロで見た場合は生物多様性が多ければ総体的にポジティブに作用するが、ミクロで見ると、その多様性を構成している種の特異な特徴によっていくらでもトレードオフは生じる。
その上で、持続可能な世界にとっての生物多様性について考えてみよう。そもそも人間がどれほど環境を無視した活動を続けようとも、地球自体を完全に破壊することはできない。仮に地球システムが元に戻せないほど人間活動によって改変されてしまったとしても、地球史における環境変動とそれに適応してきた生物進化のドラマは、それをはるかに凌ぐ攪乱の中で生き延び、繁栄してきた。これは核戦争が起こっても同じことである。持続性の危機に瀕しているのは、地球ではなく人間の構築した文明社会である。そこには社会経済システムもあれば、食料生産システムも存在する。それらが、従来のやり方の延長では、健全な形では持続できなくなるというのが本当の意味での危機である。
この根本的な前提は、持続可能性の議論では抜け落ちていることが多い。善意から発せられていても、地球の危機を救うために人類ができることといった主客の転倒が起きてしまっていることもある。
我々が数千年をかけて作り上げた社会システムは、人類の発展に大きな貢献をしてきた一方で、絶えず自らの社会の持続性を失う方向へと致命的な欠点をともなって進化してきた。
資本主義経済は、金利を伴う競争を展開し指数関数的な成長を遂げてきたが、同時に生物多様性を毀損する方向へと作用してきた。社会経済を発展させるプロセスが、同時に自然資源、とりわけ生物多様性を消失させるというトレードオフの世界を築いてしまったのだ。
この根本的な問題を顕著に示しているのが、本書で詳しく分析する食料生産である。
従来のモノカルチャーによる農業は、特定の作物種の生産量を増大することには成功してきたが、生態系そのものの機能性を低下させてきた。それは、翻ってどのような種であろうと、他の生物や環境との相互作用の中で成長していくことを鑑みると、特定の種の成長の最適化は個別最適でしかなく、多くの相互作用を阻害する。つまり、現行の食料生産は生態系全体の機能性を低めてしまうことになる。これは同時に環境の質の悪化や生態系サービスの喪失によって経済成長も妨げてしまうことになるが、この悪循環が進むことで、人類社会の持続性が危ぶまれている。
[書き手]舩橋真俊
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