書評
『手紙』(岩波書店)
八三年のデビュー作、葛飾北斎の娘を主人公にした『応為坦坦録』の締めの一文にシビれて以来、山本昌代の仕事に注目し続けてきたことは、わたしの小さな自慢のひとつだ。デビューしてしばらくは江戸時代だった作品の舞台が、現代へと変わっていったのは短編集『善知鳥』のあたりだったろうか。奇を衒(てら)ったり、現代性を誇示する派手な筆致ではないために、なかなか一般にまで届かないでいた筆名が知られるようになったのは、『居酒屋ゆうれい』の映画化がきっかけ。九五年に『緑色の濁ったお茶あるいは幸福の散歩道』で三島由紀夫賞を受賞した時は、我が事のように嬉しく誇らしかったことを覚えている(ALL REVIEWS事務局注:本書評執筆時期は2002年)。
さて、そうした山本作品の魅力はというと……、これが具体的に説明するのがとても難しい。たとえて言うなら、この最新短編集『手紙』に収録されている「マスターウォーカーズ」に描かれた“歩く”という行為に象徴されるだろうか。歩きながら周りの景色を見る、頭の中でよしなしごとを考える、人と喋る。どこかへ早くたどり着くために走るという非日常の息遣いではなく、歩くという日常に近いそれが、山本作品の全体を覆っていると思うのだ。前のめりにはならず、すっくと自然な姿勢のまま歩む着実な文体。急発進も急停止もない。何かを不自然に凝視することもない。山本昌代の文体は、楚々(そそ)としたワンピースにカシミアのカーディガンをはおった女性の姿を思い起こさせる。その品の良さがかもす清潔感や凛とした美しさに、ある種の安心感を覚えながらページを繰っていけるのだ。
でも、それだけじゃない。歩く速度で描かれた日常の物語の中から、山本昌代はふいに小さな“狂い”を拾いあげる。たとえば、表題作における「I love you」と記された鮮やかなピンクの紙。編集者をしている妻と静かな暮らしを営む作家の上着のポケットにいつしか忍びこんでいて、枚数を増やしていくピンクの紙片が、小説を書き、日課としての散歩を楽しみ、買い物をし、食事を作りといった生活に少しずつ狂いを生じさせていく。その微妙な狂いを、あくまでもゆったり穏やかな文体であぶり出すところが、この作家の得難い個性なのである。
大笑いではなく、手で隠してしまえるくらいの上品な笑い。澄んだ諦念とでも称したくなるような、どこか浮き世離れした現実感覚。好景気に浮き足だったやかましい世相ではかき消されてしまいがちな山本作品の声は、今のような時代でこそ真っ直ぐ耳に届く。もっともっと読まれてほしい。読まれるべきなのである。
【この書評が収録されている書籍】
さて、そうした山本作品の魅力はというと……、これが具体的に説明するのがとても難しい。たとえて言うなら、この最新短編集『手紙』に収録されている「マスターウォーカーズ」に描かれた“歩く”という行為に象徴されるだろうか。歩きながら周りの景色を見る、頭の中でよしなしごとを考える、人と喋る。どこかへ早くたどり着くために走るという非日常の息遣いではなく、歩くという日常に近いそれが、山本作品の全体を覆っていると思うのだ。前のめりにはならず、すっくと自然な姿勢のまま歩む着実な文体。急発進も急停止もない。何かを不自然に凝視することもない。山本昌代の文体は、楚々(そそ)としたワンピースにカシミアのカーディガンをはおった女性の姿を思い起こさせる。その品の良さがかもす清潔感や凛とした美しさに、ある種の安心感を覚えながらページを繰っていけるのだ。
でも、それだけじゃない。歩く速度で描かれた日常の物語の中から、山本昌代はふいに小さな“狂い”を拾いあげる。たとえば、表題作における「I love you」と記された鮮やかなピンクの紙。編集者をしている妻と静かな暮らしを営む作家の上着のポケットにいつしか忍びこんでいて、枚数を増やしていくピンクの紙片が、小説を書き、日課としての散歩を楽しみ、買い物をし、食事を作りといった生活に少しずつ狂いを生じさせていく。その微妙な狂いを、あくまでもゆったり穏やかな文体であぶり出すところが、この作家の得難い個性なのである。
大笑いではなく、手で隠してしまえるくらいの上品な笑い。澄んだ諦念とでも称したくなるような、どこか浮き世離れした現実感覚。好景気に浮き足だったやかましい世相ではかき消されてしまいがちな山本作品の声は、今のような時代でこそ真っ直ぐ耳に届く。もっともっと読まれてほしい。読まれるべきなのである。
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