現代にまで続く民族、宗教のドラマ
新書五○○頁(ページ)に収まり切らないリッチな内容だ。第一次世界大戦後に滅ぶまでほぼ五百年近く、西欧に拮抗(きっこう)する文明だったオスマン帝国。その興亡を描き切る。一三世紀末、トルコ系ムスリムの≪オスマンという名の一人の戦士≫がアナトリア半島西北部に現れた。それから一世紀ほどで、ハンガリー~アルバニア~クリミア半島~キプロス島~エジプト~シリア~イラクを版図に収めた。
イスラム王朝はアッバース朝、マムルーク朝(エジプト)、サファヴィー朝(ペルシャ)など多数ある。オスマン朝は皇帝がオスマンの子孫でトルコ系だが、キリスト教圏に隣接し、領内にキリスト教徒も多い。多民族多言語多宗教が特徴の帝国である。一五世紀半ばにはビザンツ帝国を滅ぼし、首都をイスタンブールに移した。
オスマン帝国は戦争が強い。中核は歩兵部隊イェニチェリだ。キリスト教徒の家々から少年を徴発(デヴシルメ)し、結婚を禁じて皇帝に忠誠な軍人に育てた。
皇帝は世襲で、血統が絶えぬよう後宮に何人も妃(きさき)がいた。宦官(かんがん)や奴隷が仕えた。新皇帝が即位すると弟を絞殺する習慣もあった。反対勢力に担がれないためだ。
宮廷は多人種多言語。ウラマー(イスラム法学者)、軍人や「御門(みかど)の奴隷」出身の官僚が政府を構成。トルコ語を元にしたオスマン語が公用語で、文芸が花開いた。
著者の宮下遼氏はトルコ文学者で小説家。最新の研究成果を、歴史のドラマに巧みに語り直す。
オスマン帝国では、さまざまな民族や宗教が共存した。西欧キリスト教諸国に圧迫されて、ほころび始める。ウィーンの包囲に失敗し、ロシアやエジプトと戦って敗れ、バルカン半島をつぎつぎ失った。西欧の科学技術や産業に圧倒されたのだ。慢性的な財政難で人びとは重税に苦しんだ。横暴なイェニチェリは嫌われ、反乱や失政のたびに大宰相が処刑された。
本書の大きな学びは、現代の地域紛争がオスマン時代に遡(さかのぼ)って理解できること。黒海はオスマン帝国の内海で、クリミア半島はクリミア・ハン国が、ウクライナ東部はコサックが支配していた。またハンガリー、ワラキア、モルダヴィア、トランシルヴァニア、キプロス島、クレタ島を支配下に置いて、キリスト教圏と対峙(たいじ)した。
宗教の分布はどうか。アルメニアはキリスト教アルメニア教会。バルカン半島はアルバニアがムスリムで、正教とカトリックも複雑に分布している。また、ギリシャが独立すると、ムスリムはトルコ側へ、正教徒はバルカン半島側へ移住し、トルコ半島はムスリム人口が過半になった。紛争のたびに信じられない多数の人びとが死亡し、また難民となったのだ。
オスマン帝国で非ムスリムは保護民制度のもと、ムスリムと共存していた。ナショナリズムが広まるにつれ民族紛争が激化した。
多宗教のオスマン帝国は、イスラム法のほかに世俗法を制定していた。青年トルコ党のトルコ共和国は、憲法や議会など、西欧風に近代化したので模範とされた。でもそれはイスラム諸国の手本になるのか。本書は、ひと筋縄で行かないイスラム世界の複雑な実態を肌感覚で伝える。西欧流の単純な見取り図に収まらない国際社会の実像をありありと描いている。