書評

『ハイエク入門』(筑摩書房)

  • 2025/09/08
ハイエク入門 / 太子堂 正称
ハイエク入門
  • 著者:太子堂 正称
  • 出版社:筑摩書房
  • 装丁:新書(480ページ)
  • 発売日:2025-05-09
  • ISBN-10:4480076891
  • ISBN-13:978-4480076892
内容紹介:
社会思想の「迷宮」を一望する多岐にわたる業績の全体像を整理し、現代思想の水脈に配置。偉大な思想家の独創性に肉薄し、思想の輪郭を大きくえがく。20世紀に屹立する偉大な思想家F・ハイ… もっと読む
社会思想の「迷宮」を一望する
多岐にわたる業績の全体像を整理し、現代思想の水脈に配置。
偉大な思想家の独創性に肉薄し、思想の輪郭を大きくえがく。

20世紀に屹立する偉大な思想家F・ハイエク。その思想は、経済学、政治思想、心理学など、幅広い領域に大きな影響をあたえた。本書では、縦横無尽に往還するハイエクの思考を複眼的にとらえ、「法の支配」「自生的秩序」などの概念のもとに展開したハイエク思想の全体像を提示する。ケインズ、マッハ、M・ポランニー、F・ナイト、ロールズなどと対比することで、ハイエクの独創性と先見性を浮かび上がらせ、日本では短絡的に語られることが多かったハイエクの自由主義思想を更新する画期的な入門書。

【目次】
はじめに

第1章 若き日のハイエクとその知的伝統
ハイエクの一族/ハイエクの幼年時代/軍隊生活と学問への目覚め/戦後の大混乱と社会主義への関心/オーストリア学派/知性の二つのかたち/ミーゼスとの邂逅/二つの目の博士号とハイエク思想の特徴/アメリカ留学/ガイスト・クライスでの交友/「遠縁の従兄」ウィトゲンシュタイン

第2章 ケインズとハイエク―世紀の経済論戦
結婚と帰国後の研究生活/迂回生産の理論/自然利子率と市場利子率/信用創造による迂回生産の攪乱/バブルの後の恐慌/LSE/ケインズ『貨幣論』(一九三〇年)/ケインズとの論戦/ケインズの転換/『一般理論』(一九三六年)における「不確実性」/ケインズ革命/ハイエクの雌伏/ケインズの死

第3章 ハイエクの「転換」
ケインズ墓碑銘/シャーロック・ホームズのパラドックス/社会主義経済計算論争/計画経済への価格メカニズムの導入?/論争の意義/「競争の意味」/ハイエクの「転換」/フランク・ナイトと不確実性の概念/「将来志向的」な投資/「資本制生産」のシステム/『隷属への道』(一九四四年)/大きな転機

第4章 「関係性」の心理学―感覚秩序論とその思想連関
グランド・ツアー/『感覚秩序』(一九五二年)/「分類」の原理/脳内の「地図」と「モデル」/心理学上の位置/行動主義と精神分析/「感覚秩序」の文脈/マッハとハイエク/ウィトゲンシュタインとハイエク/論理実証主義とハイエク/ポパーとハイエク/マイケル・ポランニーとハイエク/ノイラートの船/ハイエクの独自性

第5章 自由の条件
「社会主義の世紀」の終焉と「福祉国家」の時代/自由とは強制のないこと/自由社会を育成する「庭師」/「設計」と「デザイン」の相違/最低所得保障としての社会保障/教育と研究活動の重要性/福祉国家批判を超えて/欧州への帰還

第6章 自生的秩序論へ
原理の説明/自生的秩序/ルールと秩序の区別/二種類のルールと二種類の秩序/正義感覚と「フェア・プレイ」の精神/法の階層構造/「裁判官」による法の「発見」/社会正義の幻想/カタラクシーとしての市場秩序/二つの立法議会と主権概念の放棄/ハイエクと共和主義/ノーベル経済学賞

終章 ハイエクの自由論
二つの自由主義/ロールズ『正義論』(一九七一年)/ノージックの最小国家論/サンデルの共同体主義/なぜ私は保守主義ではないのか/「一般意見」の支配―ヒューム/「一般意志」の支配―ルソー/新自由主義とはなにか/カール・ポランニーとハイエク/貨幣の脱国有化論/フリードマンとハイエク/ハイエクの時代?/ハイエクの死

おわりに

参考文献
事項索引
人名索引

新書でたどる「自生的秩序」の知的な履歴

傑出した経済学者・思想家フリードリヒ・ハイエク(一八九九-一九九二)の全貌を描く新書版の評伝の大作だ。時代と共に歩んだ彼の生涯を回遊式庭園のようにたどる。「入門」でなく「卒業」かと思うほどの充実ぶり。二○世紀の知的パノラマを追体験できてわくわくする。

ハイエクは「自生的秩序」を説いたことで有名な自由主義者。業績は≪経済学はもちろん、法哲学、政治学、科学哲学、社会思想、そして心理学など…幅広い≫。本書は彼の数多(あまた)の著作や論敵の主張を簡潔に要約し、論争を立体的に描き出す。初学者もその興奮を存分に味わえる。

ハイエクはウィーンに生まれ、落日のオーストリア=ハンガリー帝国で育つ。ユダヤ系だとするのは誤りだ。文学に憧れ、第一次世界大戦をイタリア戦線で戦った。ウィーン大学で心理学をかじったのち、メンガー、ベーム=バヴェルク、ミーゼスらオーストリア学派の経済学の道に進む。哲学者のウィトゲンシュタインとは遠縁で顔見知りだった。

戦後の混乱のなか『貨幣理論と景気循環』『価格と生産』を発表。アメリカ大恐慌を予見した。ヒトラーがオーストリアを併合すると、師ミーゼスら学派はウィーンを脱出、ハイエクもロンドンに移った。『貨幣論』『一般理論』を著したケインズと論争になった。ケインズに軍配が上がり、『一般理論』は一世を風靡(ふうび)した。一九四九年にシカゴ大学に移り、一九六二年には西ドイツのフライブルク大学に移っている。

この間ハイエクは多彩な書物群を著した。『利潤、利子および投資』はケインズへの反論。『資本の純粋理論』はオーストリア学派流の資本の理論。編著『集産主義計画経済の理論』は計画経済の批判。『個人主義と経済秩序』は市場と知識の問題を扱い、≪競争とは…意見の形成の過程≫だとした。『隷属への道』は彼の代表作。社会主義を批判して、理想は高いが方法が間違っているからダメだとした。『感覚秩序』は打って変わって、人間の脳神経過程を細胞レヴェルで考察する心理学の本。サイバネティックスやオートポイエーシスの先駆となる独創的な作品だ。カール・ポパーやマイケル・ポランニーら創造的知性と交流した。『自由の条件』はハイエク六○歳の代表作だ。自由とは、他人の≪強制に服していない状態≫のこと。自由な諸個人が相互交渉し、意図しなくても秩序を市場にうみだす。彼の描く社会の原イメージである。福祉国家は政府が何でも仕切るのがよくない。

「自生的秩序」の語が初出するのは次作の『法と立法と自由』。これは、ルールと秩序/社会正義の幻想/自由人の政治的秩序、を論ずる三冊本だ。言語や市場制度や貨幣制度が自生的秩序の例である。法の支配は法治主義とは違って、国家を法で拘束し≪人々の権利と自由を保障すること≫。市場経済が、道徳や正義から切り離され自生的秩序の枠を外れて、マネーゲームが暴走するのはいけないと警鐘を鳴らす。

一九七四年にノーベル経済学賞を受賞すると、ハイエクは再び注目を集めた。『貨幣の脱国有化論』は、政府や中央銀行が貨幣を発行するのをやめ、民間に任せよという大胆な提案だ。『致命的な思いあがり』は遺稿をまとめた論文集である。

驚くのは、ハイエクの知的な履歴を彩るきらびやかな人脈だ。すでにのべた人びと以外にも、マッハ、ケルゼン、ロールズ、ノージック、サンデル、フリードマン、…といった大物たちと火花を散らす。その火花が順番に著作になった。論敵として横綱級なのはケインズ。資質は正反対だが互いに敬意を払っている。

もうひとつ印象的なのは、思索のスケールが大きいこと。彼の経済学は、政治や法や社会や道徳や歴史や心理や…いろんな領域と結びついている。そもそもヨーロッパの経済学がそうだった。アメリカに中心が移って、経済学は貧相になった。

ハイエクはよく、新自由主義や保守主義の頭目だとされる。本当か。≪全くの誤解≫だ、と著者は言う。『自由の条件』に「なぜ私は保守主義者ではないのか」と題する章がある。彼は保守主義に批判的だ。また≪「新自由主義」…の実態は明瞭ではない≫し、ハイエク批判として≪的を射ていない≫。ハイエクの著書に謙虚に耳を傾けなさいと言う。

ハイエクは、理性万能主義に否定的だ。マルクス主義が典型だが、社会主義もナチズムも、人間の考えたアイデアを政府の権力を使って社会に押しつけようとする。すると社会が歪(ゆが)んでしまう。むしろ政府は、法律を守って人びとの自由を保障し、人びとはめいめい創意をこらして各自の道を行くのがよい。すると、思いもよらないよいかたちが現れるかもしれない。自生的秩序である。

著者の太子堂正称(たいしどうまさのり)氏は、一○年かけて本書に取り組み、しかも一度完成した原稿をまるまる書き直したという。ただものではない。巻末の人名・事項索引が万全なうえ、参考文献リストの充実ぶりがすばらしい。これからの研究の基点になる。著者はまだまだやってくれそうで楽しみである。ハイエクの新しい像がわが国の財産となったことを喜ぼう。
ハイエク入門 / 太子堂 正称
ハイエク入門
  • 著者:太子堂 正称
  • 出版社:筑摩書房
  • 装丁:新書(480ページ)
  • 発売日:2025-05-09
  • ISBN-10:4480076891
  • ISBN-13:978-4480076892
内容紹介:
社会思想の「迷宮」を一望する多岐にわたる業績の全体像を整理し、現代思想の水脈に配置。偉大な思想家の独創性に肉薄し、思想の輪郭を大きくえがく。20世紀に屹立する偉大な思想家F・ハイ… もっと読む
社会思想の「迷宮」を一望する
多岐にわたる業績の全体像を整理し、現代思想の水脈に配置。
偉大な思想家の独創性に肉薄し、思想の輪郭を大きくえがく。

20世紀に屹立する偉大な思想家F・ハイエク。その思想は、経済学、政治思想、心理学など、幅広い領域に大きな影響をあたえた。本書では、縦横無尽に往還するハイエクの思考を複眼的にとらえ、「法の支配」「自生的秩序」などの概念のもとに展開したハイエク思想の全体像を提示する。ケインズ、マッハ、M・ポランニー、F・ナイト、ロールズなどと対比することで、ハイエクの独創性と先見性を浮かび上がらせ、日本では短絡的に語られることが多かったハイエクの自由主義思想を更新する画期的な入門書。

【目次】
はじめに

第1章 若き日のハイエクとその知的伝統
ハイエクの一族/ハイエクの幼年時代/軍隊生活と学問への目覚め/戦後の大混乱と社会主義への関心/オーストリア学派/知性の二つのかたち/ミーゼスとの邂逅/二つの目の博士号とハイエク思想の特徴/アメリカ留学/ガイスト・クライスでの交友/「遠縁の従兄」ウィトゲンシュタイン

第2章 ケインズとハイエク―世紀の経済論戦
結婚と帰国後の研究生活/迂回生産の理論/自然利子率と市場利子率/信用創造による迂回生産の攪乱/バブルの後の恐慌/LSE/ケインズ『貨幣論』(一九三〇年)/ケインズとの論戦/ケインズの転換/『一般理論』(一九三六年)における「不確実性」/ケインズ革命/ハイエクの雌伏/ケインズの死

第3章 ハイエクの「転換」
ケインズ墓碑銘/シャーロック・ホームズのパラドックス/社会主義経済計算論争/計画経済への価格メカニズムの導入?/論争の意義/「競争の意味」/ハイエクの「転換」/フランク・ナイトと不確実性の概念/「将来志向的」な投資/「資本制生産」のシステム/『隷属への道』(一九四四年)/大きな転機

第4章 「関係性」の心理学―感覚秩序論とその思想連関
グランド・ツアー/『感覚秩序』(一九五二年)/「分類」の原理/脳内の「地図」と「モデル」/心理学上の位置/行動主義と精神分析/「感覚秩序」の文脈/マッハとハイエク/ウィトゲンシュタインとハイエク/論理実証主義とハイエク/ポパーとハイエク/マイケル・ポランニーとハイエク/ノイラートの船/ハイエクの独自性

第5章 自由の条件
「社会主義の世紀」の終焉と「福祉国家」の時代/自由とは強制のないこと/自由社会を育成する「庭師」/「設計」と「デザイン」の相違/最低所得保障としての社会保障/教育と研究活動の重要性/福祉国家批判を超えて/欧州への帰還

第6章 自生的秩序論へ
原理の説明/自生的秩序/ルールと秩序の区別/二種類のルールと二種類の秩序/正義感覚と「フェア・プレイ」の精神/法の階層構造/「裁判官」による法の「発見」/社会正義の幻想/カタラクシーとしての市場秩序/二つの立法議会と主権概念の放棄/ハイエクと共和主義/ノーベル経済学賞

終章 ハイエクの自由論
二つの自由主義/ロールズ『正義論』(一九七一年)/ノージックの最小国家論/サンデルの共同体主義/なぜ私は保守主義ではないのか/「一般意見」の支配―ヒューム/「一般意志」の支配―ルソー/新自由主義とはなにか/カール・ポランニーとハイエク/貨幣の脱国有化論/フリードマンとハイエク/ハイエクの時代?/ハイエクの死

おわりに

参考文献
事項索引
人名索引

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初出メディア

毎日新聞

毎日新聞 2025年9月6日

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