天皇と統治の骨格を豊かに肉付け
「政治思想」を軸に、宗教/歴史/民俗/建築/世相/社会/…をまたがって自在に考察、日本政治の全体像を描き出す。目のつけ所にも学びの多い話題の書だ。丸山眞男が著者の手本である。彼の戦中期の作品『日本政治思想史研究』はこの分野の草分けだ。≪荻生徂徠の思想に「近代」の萌芽を見≫た彼の説は、渡辺浩らにより≪ほぼ完全に否定され≫た。でも丸山は≪五○年代から八○年代にかけて…豊かな思想史学の可能性≫を示した。書名『日本政治思想史』はオマージュだろう。
全体は15章からなる。空間と政治/時間と政治/街道から鉄道へ/超国家主義と「国体」/異端の諸思想/…と、食欲をそそるタイトルが並ぶ。≪政治思想を探る…には…言説化されないものまで含めて思想と見なす新たな視点が必要≫だとする著者は、通常の「政治思想史」の枠を越えて進む。
興味深い論点を拾ってみる。
「国体」の視覚化▼国体は重要だが内実が曖昧で捉えにくい。著者は≪言説化はできなくても、視覚化はできた≫点に注目する。旗行列、万歳三唱、分列式、…。人びとは天皇と一体だと感じた。定刻に通る御召(おめし)列車を沿線で迎え、祝祭日や記念日に黙禱(もくとう)時間を持った。こうした訓練の結果、ラジオの玉音放送が劇的に成功した。
徳川幕府は儒学的でない▼朝鮮は儒教国家で思想を厳しく統制した。君主が統治したから、直訴も許された。日本は朱子学以外に陽明学も徂徠学も国学もあり自由だった。君主が統治しないから直訴もない。文明開化が順調だったのは自由がプラスに働いたのだ。
万世一系は男系か▼歴代天皇が誰かは諸説あり、神功皇后が天皇かもはっきりしていなかった。一九二六年に神功皇后は皇統から外された。≪皇后でも天皇になれる前例にならないようにする政治的判断≫があったからともいう。
皇国思想と異端▼本居宣長はアマテラス↓歴代天皇が正統だとした。平田篤胤の復古神道は天皇が顕明界を治め、オオクニヌシが幽冥界を治めるとした。天皇も死ねばその支配下に入る。≪新政府はアマテラスをまつる伊勢神宮を頂点として…神社の社格を定め≫復古神道を異端として排除した。
ごく一部を紹介しただけだが、本書はテーマパークのようで、日本の政治思想のどのトピックも奥行きと味わいがある。初学者もベテランも楽しめる。もともと放送大学のラジオ講義のテキストだったのを加筆改訂し、読者への配慮が行き届いた一冊になった。
言説化されない現象に十分目配りするいっぽう、元になるテキストは要所を原文で引用し、議論の足場を明示しているのがよい。
その昔、法制史の石井良助博士の『天皇 天皇の生成および不親政の伝統』を読んだ。『神皇正統記』も意識しつつ、天皇と日本政治の正統性の骨格を描いていた。新憲法のもと象徴となった天皇は統治権なしだが、日本の伝統に正しく位置づくのだと論証した。
本書は同書が描くような統治の骨格を、豊かに肉付けしたものだと見える。日本人はテキストや信条のかたちで、政権を正当化しないかもしれない。でも日常の生活や儀式のなかで、あるべき政治のかたちを理解し支持する。そのさまこそ「政治思想史」だとする大胆主張が本書である。変化球だが本格派の仕事ぶりを堪能した。