政治の風圧にさらされた思想の漂流
米中の覇権争いが激しさを増すなか、帝国化する巨大国家にどのような政治思想が生まれたのか。香港や台湾では民族概念の再編成に呼応して、社会思想の力線がどのような分布を見せるか。本書は中華圏の現代思潮に正面から向き合い、大陸、香港、台湾、さらには海外華人の言説を丁寧に読み解いた。さまざまな主張が生起する背景と、多様な言論に込められた情念、さらにはその政治的意義が、洗練された思考の言葉によって鮮やかに解きほぐされた。近代が海洋帝国の時代ならば、古代から近世にいたるまで、ユーラシアの大陸帝国が栄光を誇ったことは幾度もあった。ユートピアを装ったディストピアについて精神分析を行うとき、「ユーラシア」という政治地理学の用語は、御粧(おめか)しした理論を読み解くのにぴったりの秘鑰(ひやく)となった。
近年の中国では、一帯一路を仮想背景とする理論が続々と登場した。代表格は趙汀陽(ちょうていよう)が提唱した「天下システム」である。趙は中国の歴史から、文明の「連続性」、多民族社会の「兼容性」、信念体系の「非宗教性」という三つの特質を抽出し、政治形態としての「天下システム」という概念を提起した。なめらかな隠喩にすけて見えるのは、西洋中心主義に取って代わる、中国中心主義への欲望であり、思想領域においてヘゲモニーを握ろうとする衝動である。
趙の『天下体系』などの著作をきっかけとして、「天下」論をめぐって、新たな神話が次々と創出された。著者は西洋の国家理論や海外華人の「新儒家」思想を参照しつつ、そうした政治神学の細部に立ち入り、天下=中国そのものを生み出す思考回路から、必然的に帝国の思想に行き着く構造的特性を見いだした。
植民地の歴史的経験の残照を浴びて、香港や台湾は長年、理論不毛の地になり、外来の理論を受け身で消費してきた。近年、中国の圧力が強まるなか、政治的独立をめざす意識が高まり、存在価値を証明しようとする知的営為が目立ってきた。台湾では米台間を往来する史書美が「台湾理論」の可能性について思考をめぐらし、批評家の陳芳明はポストコロニアル研究の立場から「文化的主体の再構築」を提起した。
著者がとくに注目したのは市民感覚に寄り添った香港文化の自己定義である。香港の知識人は本来、理論のよろいで身を固めるようなことはしない。本土意識に目覚めたのは、楽園の喪失という差し迫った課題に直面しているからだ。
言論の形態は多種多様で、発信の仕方も語りの対象も必ずしも同じではない。共通しているのは土地に根付いた政治的直観と、拘束を受けない意志である。そこから帝国の論理から自由になる根拠と、政治的共同体を創出する理由が見いだされた。著者は市民意識の水位変動に着目し、断片的な語りから時代変化の足音を聞きだそうとした。
現代思想の入り組んだ位相を明晰な知性で腑分けする力には脱帽した。中華圏にとどまらず、欧米や日本の思想、歴史、文学との結び目を確かめつつ、思想という制度が政治の風圧を受け、いかに弾性的および塑性(そせい)的な変形を生じたかは、喚起力のある文体によっていきいきと描き出されている。