アメリカ文化の両面性、鋭く見抜く
映像の二十世紀を代表する二人の巨匠。それぞれ違う道を歩み、両者の関係も一筋縄ではいかない。興味深くも困難の多い課題だが、チャップリンのことを熟知している著者は周到な調査と計算された構成によって、この壁を難なく乗り越えた。ディズニーは小さい頃からチャップリンに憧れており、生涯の野心は「もう一人のチャーリー・チャップリンになる」ことである。アニメ映画の製作に取り組んでから、長らくチャップリンを師と仰いでいた。やがて、二人のあいだに友情が結ばれ、チャップリンも後輩の冒険を応援し、適宜に助言をした。
映像制作や娯楽産業の革新において、それぞれ驚異の力を発揮した二人の足跡を追うことで、キャラクターの成り立ちがおのずと解き明かされるのは気の利いた布置である。
一九一〇年代半ばからおよそ十年のあいだ、チャップリン人気にあやかろうと、この喜劇王を主人公とする「チャップリン・アニメ」が製作され、アニメ化のチャップリンは最初のキャラクターの一人になった。
チャップリンはアニメ初のオリジナルのキャラクターの誕生にも深くかかわっていた。映画プロデューサーのパット・サリヴァンはチャップリン・アニメを製作したが、映画が大当たりすると、作品に登場した猫のキャラクターのフィリックスを主人公に据えて新しいシリーズを企画した。「アニメ界で最初のオリジナルのスター・キャラクター」はこうして誕生した。ミッキーマウスは動物キャラクターの連想ゲームにおいて捉えられ、創作現場における直観の響き合いまで見逃さないのはさすがだ。
映像著作権の確立において、バトンがきっちりと渡された様子も克明に描かれている。チャップリンはかつて映像の無断利用に対し、損害賠償を求める訴訟を起こしたが、裁判の結果、何と全面敗訴となった。衝撃を受けたチャップリンは著作権の大切さを痛感し、それ以降、出資、製作から、主演、作曲にいたるまで、すべて一人でこなし、自分の名義で徹底的に管理した。
その姿勢はディズニーに受け継がれただけでなく、知的財産権は映像以外にも拡大され、チャップリンがほとんど気にしなかったグッズのマネジメントに対しても、細心の注意が払われた。
しかし、気質、信条、芸術観や経営信念の違いにより、第二次世界大戦を境目に、二人はついに袂(たもと)を分かった。ディズニーは映画製作から、テーマパーク、メディア・ネットワークへと手を広げ、アメリカの価値観を世界中にあまねく伝えるために、巨大な表徴の帝国を作り上げた。
それに対し、チャップリンは一つの価値観をあまねく広めるといった「普遍性」を目指していない。その映像芸術は異なる文化のなかでも共感がえられる柔軟な多様性を備えている。同じキャラクターでも、ミッキーマウスは内面的な生活が失われ、軽佻な図像として消費されているのに対し、チャーリーは内面的な性格を守り通したゆえに、いまでも個々人の内面に直接響く。チャップリンのほうにより多くの賛辞が寄せられたのは必ずしも愛好家ゆえんの贔屓ではない。アメリカ文化の両面性を鋭く見抜いた自然の結果である。