書評
『ヤマト王権と難波・河内』(KADOKAWA)
王宮こそ政治行う場所と詳細考証
古代史には謎が多く、さまざまな仮説が提起されている。王朝交替論もその一つ。かつて騎馬民族日本征服論や、外部的勢力の侵入説があったが、いずれも歴史学の研究では否定されている。ただ、国内の政治勢力の争いのなかで王朝の交替があったとする学説はいまなお唱えられている。前方後円墳は奈良盆地南部に出現し、最古級の箸墓古墳をはじめ、オオヤマト古墳群を構成する。その後も巨大な前方後円墳が引き続き同じ地域やその周辺部に造られているが、古墳時代前期末葉になると、河内地域には百舌鳥(もず)・古市(ふるいち)古墳群が築造された。古墳がその政治勢力の本拠地に営まれるという見地からすれば、河内地域の古墳の出現は大阪平野南部の新興勢力が王権を掌握し、王朝交替があったということになる。それがいわゆる「河内王朝論」である。
王陵が政治勢力の本拠地という説に対し、本書は王宮こそ政治的センターだと説いている。ヤマト王権の成立問題は『古事記』『日本書紀』との関係で論じるべきだという立場から、『記・紀』にもとづいてなぜ王宮が政治的センターか、詳細な考証が行われた。
天皇が即位するごとに新しく王宮が造られる。王・天皇が居住する「宮」とは、建物を意味する「家(や)」に、尊敬を表す「御(み)」が組み合わさった言葉だ。王宮が設置された「宮」に、その場所を表す「処(こ)」がつくと、「都(みやこ)」となる。政治の中心地が「宮」の所在地のある都であることは、『古事記』と『日本書紀』で確かめることができる。
大王と通称されたヤマト王権の王・天皇が居住する王宮は「帝紀」に記載されている。『古事記』には「***(王名)、***宮に坐(いま)して、天下治(あめのしたしら)しき」という、「帝紀」にもとづいた記述があり、歴代の天皇段に定型的な文言が見られる。文献学の視点から見ると、これらの記載は信憑(しんぴょう)性が高く、王宮の所在地が政治を行う本拠地だと推定できる。
王宮の遺構には確認できるものが少なく、考古学の研究はおのずと古墳に目が向けられがちである。しかし、歴史学の方法論に立脚するならば、王権とは一定の地域において、政治的権力・権威をもつ王としての権力システムで、権力を維持する軍事・儀礼・レガリアなどの制度・文化を内包し、継続的に支配を維持する政治体制である。古墳群の存在のみを以(もっ)て有力な政治勢力や政治集団が実在したと断じるには無理がある。何よりも『記・紀』など史料との照合作業や、考古学的に古墳の周辺には居館や集落や生産拠点の跡地があったとの根拠を示す必要がある。河内や難波に王宮があったのは「歴代遷宮」の結果に過ぎず、「河内王朝論」を主張するには証拠が不十分である。考古学の知見を参照しながら、王宮と王陵についての史料を詳細に吟味した上での論考であるだけに、いたって説得力のある歴史的解釈である。
古代史をめぐって各種の見方が錯綜(さくそう)しているが、どの説も鵜呑(うの)みにせず、客観的な視点で真偽を見分けないと、わたしたちの脳は他人の主張の競馬場になりかねない。しっかりした理論にもとづいて歴史を捉え、独自の思考を深めていくことがいかに重要か、本書はそれを教えてくれた。
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