脳神経学とも共同し多様性考察
これまでの異文化研究において、文化の他者について展示的な表象に偏重するものが多い。とくに一九七〇年代後半から流行っていた比較文化論は経験主義的な記述に片寄っており、急激に変化する現代文化の実態にまったくそぐわない。文化の違いについての研究はより深い次元での探求が不可欠だ。本書は文化心理学からの試みと、その可能性を示したものである。多様な文化を体系的に理解するにはどうすればよいか。過去三十年来、文化心理学の分野ではさまざまな実証研究が行われてきた。個人の独立性と協調性に着目し、欧米と東アジアだけでなく、サハラ以南のアフリカ、中東・北アフリカ、ラテンアメリカ、南アジアなど、非西洋文化圏との違い、ならびに相互間の歴史的な関係性についても幅広い検討が行われた。
かつて心理学の主流は人の心を情報処理装置とし、認知、感情、動機付けの機能とそのメカニズムの解明に重点が置かれた。理論を実証するデータはほぼ欧米人のものばかりで、非西洋世界への視点が欠落しがちであった。一九九〇年代から状況が大きく変わり、欧米以外の地域についても、人間の行動や心のあり方と文化的慣行や意味の複合体との関係が考察された。
最大の驚きは脳神経学者との共同研究でえた知見である。神経伝達物質が文化学習の精度と有意な関連性があり、特定の遺伝子は、文化という環境要因の効果を増幅するという実証研究の結果はかつての異文化研究の「常識」を覆すものだ。従来、文化が違っても、人間はみな同じだと考えられていた。限定的な考察とはいえ、文化のあいだで心の性質に違いがあるという仮説は画期的な理論モデルの可能性を示し、今後、他分野の文化研究にも波紋を広げるであろう。
もう一つ目を引くのは、ヨーロッパ系アメリカ人と東アジアの人々との比較である。後者に比べて、前者は喜びや興奮といった肯定的な感情に高い価値を置き、その経験頻度も高いことが複数の研究で示されている。
そのことは、言語芸術の研究でえた知見とも一致する。『万葉集』など日本の古代詩歌や物語文学において、幸福感、高揚感よりも悲しみ、儚さといった否定的な感情に美学的価値が置かれている。王朝和歌から近世の俳句にいたるまで、侘しさの詠嘆は心象表現のみならず、生の煌めきの隠喩として表象されている。東アジアでは伝統的に自己高揚に優位的な価値が賦与されたものではない。『老子』の「福は禍の伏する所」からうかがえるように、幸福と不幸は二項対立ではなく、両者は隣り合わせの関係と見なされている。そのことが心理学の実証研究でも示唆されたのは興味深い。
異文化比較のアプローチにおいて隣接分野の成果にも広く目配りしている。社会心理学、進化心理学にとどまらず、歴史学、政治学、地理学、文化史学、人類生態学の知見もふんだんに参照された。領域横断的な手法により、思いがけない収穫が多くえられた。
なかでも文化の多様性についての研究は文明史以前にさかのぼり、人類の生態環境への適応形態をめぐる考察は印象的だ。西洋と非西洋の関係については近代にかぎらず、より広い時間軸において捉えることで、両者のあいだの差異および類似性をめぐる考察を奥行きのあるものにした。