書評
『ぼくのともだち』(白水社)
強い人は、孤独でもさみしさを感じない。でも、ぼくは弱い。だから、ともだちが一人もいないと、ぼくはさみしい。
エマニュエル・ボーヴは、小説『ぼくのともだち』をこんな言葉で締めくくっています。一八九八年にパリで生まれたこの作家のことを、浅学非才なわたしは知りませんでしたの。一九二四年に出版されたこの小説のことも、これまで未訳だったので、当然読んだことがありませんでしたの。でも、「今訳されて逆によかったんではないか」と思える、これは不思議に新しい小説なんであります。
語り手は戦争から帰還後は働きもせず切りつめた恩給暮らしを続けている〈ぼく〉。住んでいるのはパリの郊外にある古くて汚いアパートです。ともだちはいません。何かおきないかな、誰かともだちになってくれないかなと、毎日毎日徒歩でパリの街へ出向くのですが、ともだち探しはいつだって失敗に終わってしまいます。――と紹介すると、さぞかし陰気な話ではないのかと思うでしょ? が、さにあらず。意外にも、失笑や苦笑というシニカルな笑いを忍ばせたコミック・ノヴェルの貌をそこここに覗かせる、苦みが旨味というべき面白い逸品に仕上がっているのです。というのも、〈ぼく〉という人物がとてつもなく不器用で、妄想癖から生じる勘違いもはなはだしい、いわゆる“イヤキャラ”だから。
この小説では〈ぼく〉がともだちになり損ねた人物とのエピソードが五つ紹介されているんですけど、たとえば行き倒れの男を囲む人だかりの中で出会った四十男ビヤールとのあれこれを綴った章では、しょっぱなから妄想全開。たかが目が合ったくらいで後をつけ、ビールを一杯おごってもらうと明日もこの店で会えると思いこんで、同じ時間にやってきて彼がいないとがっかりし、でも〈彼はぼくに惹かれている〉と信じて何度も店の前をうろうろ。その後偶然ビヤールに再会できて大喜びするものの、彼に同棲している彼女がいると知るや〈絶対に許せない〉〈ぼくとビヤールが固い友情の絆で結ばれる可能性は絶たれてしまった〉と絶望。〈彼の恋人が醜女なら〉と一縷の希望を抱くも、〈「最高だ。まだ十八歳なのに、もう、すっかり成熟した女のおっぱいだ」〉と聞くと〈ビヤールには疣(いぼ)があって、足も扁平足なのに、愛してくれる女がいるという。ところが、ぼくは彼よりも若くて格好もよいのに、ずっとひとりぼっちだ〉といじける。おまけに、おごってもらってるくせして、自分に切り分けられたチーズが〈小さい方だった〉ことは見逃さない。
後日、ビヤールに家に招待されると、部屋に行く間中〈「彼女はブスだ、ブスだ、ブスだ、ブスだ……」と呪文を唱え〉続け、実際とても美しい娘であることを知るとガッカリ。ところが彼女が立ち上がり歩み寄ってくるや、一転〈ぼくは歓喜のあまり声も出せなかった〉と変心するんです。なぜか――。
その衝撃的にして笑撃的なオチは、ぜひ、ご自身でお確かめあれ。とにかくサイテーなんです。
「そんなんじゃ一生ともだち出来ないよ」、きつーく叱ってやりたくなるほどのイヤキャラぶりなんです。でも、なぜだか憎めない。なぁーんかキモカワイイ。フランス版『現実入門』的な読み心地なので、穂村弘ファンならハマること必定。とにかく笑えます。第一次世界大戦後に書かれたとは信じられないほど、今の気分に同調しちゃってる小説なんです。〈ぼく〉キャラを生き生き伝える訳文も素晴らしいし、装幀も超可愛いっ! 二〇〇五年のめっけもん大賞を差し上げたいくらいの変わり種なんであります。
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