20世紀初頭のパリ、夜の街描き出す
シュルレアリストたちは詩を絶対視し、小説を断罪していたが、皮肉なことに彼らが書いた小説は「時代を映す鏡」になっていた。ブルトンの『ナジャ』、アラゴンの『パリの農夫』、いずれも一九二〇年代のパリを語るうえで欠かすことのできない小説になっているからだ。ではこの二人とともにシュルレアリスト三銃士といわれたフィリップ・スーポーの小説『パリの最後の夜』(一九二八年)は果たしてどうなのだろう?「女が立ち上がり、おれも同時に立ち上がった」。娼婦(しょうふ)らしい女はサン・ジェルマン大通りを渡り、リュクサンブール公園を回り、セーヌ通りから河岸に出るコースを辿る。途中から一匹の黒い犬がついて来た。ジョルジェットと名乗るその娼婦と「おれ」と犬はセーヌの河岸に出る。ここで小説の中で唯一といえるような出来事が起きる。四人の男たちが学士院の共和国像の前で一人の女を取り囲み、鞄(かばん)を受け取ると、女が地面に崩れ落ちるのもかまわず、その場を立ち去ったのだ。男たちはジョルジェットとは顔見知りらしい。「おれ」は警官を連れて現場に行ってみたが女の姿はもうなかった。恐怖に駆られた「おれ」がオルセー駅の前に出ると、そこで円筒形のバッグをもった船乗りから煙草をねだられる。姿を消していた犬がまた姿を現した。「おれ」と船乗りと犬はセーヌを渡り、娼婦のたむろするプチ・パレのほうに向かうと、そこにジョルジェットがいた。
考えてみれば、(中略)目的を、パリを夜間に逍遥する者が抱く目的をおれは察した気になってきていたわけで、つまり、おれたちは死体を求めて歩きだしていたのだった。/(中略)影、ありとあらゆる影が、その夜のシャンゼリゼ大通りに満ちあふれ、その影に導かれ、おれは手探りでその秘密がどのような形態なのかを探った。
通常の小説なら、提示されたこれらの謎を「おれ」が解いてみせる形式が取られるが、本書は読み進んでも謎が解明されるということはない。実際にバラバラ死体が発見され、犯人が船乗りだと判明しても、それが小説にあらたな意味をもたらすことはない。では、小説の意味をつくりだすのは何なのか?
それは夜のパリをひたすら歩き回るジョルジェットの跡を目的もなく追跡する「おれ」にパリそのものが開示してくる謎である。
謎は友人のジャックから同じような経験をしたと知らされたことから倍加する。二人は娼婦を捜すためにパリに出る。二人が跡をつけると、ジョルジェットは客と交渉してホテルに入る。「ジャックとおれは嬉しさを隠しきれなかった。ジョルジェットは月並みな売春婦で、おれたちは二人とも神秘を一から十まででっちあげていたというわけだ」
だが、ホテルを出てまた夜のパリを歩きだしたジョルジェットを追跡しているうちにシュルレアリスト的というほかない謎が姿をあらわしてくる。「とりわけこの時間になると、ジョルジェットの不思議な力、夜を変貌させる力があらわになった」
ジョルジェットは『ナジャ』のヒロインと同一人物をモデルにしていると見なす研究者もいる。『ナジャ』と本書の比較も「解説」で行われている。ブラッサイの写真集『夜のパリ』を髣髴とさせる隠れた名作。他に短篇二篇収録。