書評
『厨川白村:「愛」は人生の至上至高の道徳』(ミネルヴァ書房)
×月×日
厨川白村(くりやがわはくそん)といっても、いまの日本では知る者は少ない。私は菊池寛の伝記を書いたので、厨川が京大英文科時代の菊池の恩師であり、関東大震災で津波に襲われて翌日死亡したことくらいは調べていたが、伝記的詳細や業績についてはほとんど知らなかった。この意味で張競『厨川白村「愛」は人生の至上至高の道徳』(ミネルヴァ書房三八〇〇円+税)はまことにありがたい評伝だが、しかし疑問に思ったのは、中国人である著者がなにゆえに厨川白村の伝記に取り組もうと思ったのかというその動機である。
文化大革命のために、学校が閉鎖していた。革命からはじき出された少年は中国や外国の文学書を手当たりしだい読んでいた。ある日、『苦悶の象徴』という奇妙な書名の読み物に出会い、半熟の精神世界は一変した。決して読みやすいとは言えない翻訳書だが、文学という行為から、このような豊かな世界を生み出せるかと思うと、少年は眠れなくなった。
つまり、文学的原体験の確認としての伝記なのだが、その眼目はどこにあるのか?
大阪造幣局下級官吏という没落士族を父(ただし養父)としたため、学費の捻出に苦しんだ事実が、思いのほか彼の人生に影響を与えていたことを明らかにしようとしたのだろう。
とりわけ、東京帝国大学英文科在籍時の明治三六年に起こったラフカディオ・ハーン(小泉八雲)教授解任騒動における白村の態度が問題である。英文科学生集会でハーン解任には全員退学で対抗しようという小山内薫らの提案に、ただ一人だけ最後まで反対したのが白村であったのだ。
総退学決行という動議にはどうしてもついていけない。それには彼自身だけでなく、厨川家の苦しい事情もあった。(中略)彼が年老いた両親を肩に載せ、波立つ人生の川を渡らなければならない。この責任を果たすためにも、学友たちが彼に向ける軽蔑の眼差しの灼熱に堪えざるをえない。
結局、井上哲次郎文科大学長の妥協案を拒否してハーンが自主退職を申し出たため学生たちの反乱は腰砕けに終わったが、次に新任の夏目漱石講師に彼らが反発するという事件が起こる。「そのような険悪な雰囲気のなかでも、白村はまめに夏目金之助先生の授業に出て、熱心に講義を聞いていた」。
同級生の軽蔑など白村は意に介さなかったのだ。
かくて白村は英文学者・夏目金之助の最初の弟子になるが、対人関係では苦労する。「人間は集団生活の動物で、まわりの人と折り合いをつけないと、人生の小船は前へ進めなくなる」。
白村は恩賜の銀時計組となり、熊本の第五高等学校に赴任した後、母校の三高に転ずるが、この「恩賜の銀時計」が後にトラブルのもととなる。漱石の新聞小説『虞美人草』の主人公・小野清三が恩賜の銀時計組であること、また白村が大恋愛の末に結婚した福地源一郎の子孫の蝶子が活発な美人だったことから、白村夫妻は作中の小野とヒロイン藤尾のモデルではないかと噂され、冷やかしの対象となったのだ。
また、白村のストレートな態度も摩擦を引き起こした。「他人の目を意に介さず、何でも無遠慮に言ってしまうから、その率直さが仇となるのはしばしばであった」。文筆活動を開始し、『近代文学十講』、『文芸思潮論』、『近代の恋愛観』などがベストセラーとなり、文壇で活躍するようになっても、その姿勢をキザだ、売名的だと論難する者も少なくなかった。
従来の伝記を細部にわたって再点検し、実証的な観点から、早く来すぎたために忘れられてしまった天才の悲劇を掘り起こした真の意味での労作と言っていい。
週刊文春 2025年11月13日
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