書評
『研修生』(中央公論新社)
歩み、言葉、時間…日常に潜む人間関係
今はもう会えなくなってしまった人と最後に会った日のことを思い出すと、その日が最後になるとちっとも思っていなかった自分を呪い始めるが、その手の呪いは誰もが持っているものだろう。いつの間にか会えなくなってしまった人がいる一方で、気づけばそばにいる人がいる。個々人はそれをコントロールすることができない。コントロールできないのがいい。だからこそ、人間は毎日を生きていけるのだとさえ思う。人と出会い、言葉を交わし、いっとき親しさを感じても、ほとんどの場合は再会できない。何十人、何百人という人たちと名を名乗りあい、いっしょに食事し、熱心に意見を交わしても、二度と顔を見ないことが多い。出会いの時間に開いた花は一体どこへ回収されていくのだろう。
たくさんの出会いの花を枯らしてきたが、時折、枯れたと思っていた出会いが、つぼみのまま体の中に眠っていたと気づく時、この上ない喜びがやってくる。歳(とし)を重ねる楽しみ、と書くと安っぽいが、その可能性が膨らみ続ける。
1982年、日本の大学を卒業してすぐ、北ドイツ・ハンブルクにたどり着いた「わたし」は書籍取次会社で働き始める。著者のキャリアを追えば、この「わたし」は著者自身だとわかるが、自伝としての咀嚼(そしゃく)を求めてくるわけではない。
慣れない生活の中で、いくつもの出会いと歩み寄りと別れが起きる。それは普遍的でもあり、あまりに個別的でもある。見知らぬ土地に放り出された時、少しの善意に支えられ、少しの齟齬(そご)や悪意に打ちひしがれる。積み重ねがその土地で立つための背骨になっていく。
人はここにいる限り、別の場所にいることはできない。一万キロ離れたところにいる人には、その一万キロを移動しなければ会えない。そんな当たり前のことさえ、まるで今初めて気づかされた恐ろしい事実のように感じられた。
孤独を剥がし、街に落としていくような日々。本という存在は旅そのもの。自分の手元からどこかへと飛んでいく。行き先を知ることはできないが、働く中で、言葉を届ける実感を得ていく。言語の違いは確かな距離を生じさせるが、その距離によって、特性が見えてくる。たとえば、サーカスに出かけ、空中ブランコを見ながら、中原中也がその動きを模してつくった擬態語「ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん」を思い出す。これはひらがなでなければいけない。カタカナでは縄の動きの丸みが出ない。では、アルファベットならどうなるだろう。日本から遠く離れてしまった場所で自分の言葉を考える。
近しい間柄になったマグダレーナと「オルタナティブ」という言葉の意味について話し合う。「メインストリームからはずれている」存在だと。でも、自分のまわりにいる人の多くがオルタナティブだった。「知り合う人がほとんどみんなオルタナティブなのでは、それが主流からはずれているという意味だということをつい忘れてしまいそうだった」
ハンブルクでの日々、劇的な出来事が続くわけではない。始点と終点を比較するとその変化がわかるが、毎日、変化を感じ取れるわけではない。「冷戦が世界を二分していても、川は頑固に元のルートを流れているんだなと感心した」とある。変わらないものは何か、変わってしまったものは何か。やがて「わたし」は小説を書き始める。マグダレーナは、「何か書いているの? よほど面白いことなんでしょう。他の人たちの存在を完全に忘れてしまうくらいだから。何なの、ここに書いてあるのは」と言い、紙を二つに破り、紙屑(かみくず)カゴに捨ててしまう。人と人がわかり合うためには、わかり合えなさを認めることが必要だと知っていても、隙間(すきま)風が入り込み、その風が日に日に冷たさを増していく。
慣れない土地で暮らし、戸惑いながらも居場所を得ていく。ノウハウがあるわけではない。気づいたら然(しか)る場所にたどりついていた。あの時あの人に出会っていなかったら。その裏には、あそこであの人と出会っていたのかもしれない、が存在する。枝分かれした道が無数にある。覚悟を決めて選んだ道があれば、知らぬ間に迷い込んだ道がある。
後ろを振り返ると誰だって曲がりくねった道が見える。まっすぐではないので、奥のほうは見えない。この作品は、丁寧に道を進む。丁寧に曲がる。丁寧に座り込む。歩幅を合わせるように読むと、自分の中に眠っていた記憶がいくつも蘇(よみがえ)ってくる。「わたし」はなぜ、こういう「わたし」になったのか。
本作に貫かれる思いは、紙をめくる読者にも向けられる。出会えたからこの人がいるし、もう会えなくなったからあの人がいない。この繰り返しによって日常が作られていく。80年代のドイツ、そこに広がる光景に馴染(なじ)みはないが、そこで暮らした「わたし」の揺れ動きは、誰にでもあるもの。共感する、というありきたりな言葉では片付けたくない、ゆっくりと染み込む静謐(せいひつ)な流れがある。あの人はどこで何をしているのだろうか、そう何度も思った。
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