いわゆる死語が複数含まれる一文になるが、ナイスなアベックを見て「ヒューヒュー」と突っ込んでみるアレは、口笛から来ているってことだったのだろうか。今、街中で口笛を吹く人とすれ違う機会はまれだが、映像作品の中で誰かが口笛を吹いている時、大抵その人は上機嫌で、ルンルン状態の可視化として使われる。社内で事務作業に四苦八苦している人は口笛を吹かない。このイメージはどこで植え付けられたものなのか。
大人になると口笛を吹かなくなるが、子どもの頃、よく吹いていた記憶を呼び覚ましてみると、一緒にいた人や風景がよみがえってくる。久しぶりに吹いてみる。まったく音が鳴らない「スー」、少しだけ鳴る「ヒュスー」を経て、間もなく「ヒューヒュー」を取り戻した。眠っていた記憶と身体が、同時に起き出したかのようでうれしい。
『口笛のはなし』(武田裕煕(ゆうき)、最相葉月(さいしょうはづき)著・ミシマ社・2200円)は、口笛が吹けない作家(最相)が、口笛の世界チャンピオン(武田)と、口笛の歴史から現在、受け入れられ方の変容、これからの可能性まで対話を重ねていく。
戦後、マイクの普及によって、大音量で吹く必要がなくなり、逆にエンターテインメント業界に口笛奏者が求められなくなったのでは、との指摘が興味深い。そもそも、「人類が一万年以上ずっと吹いてきたであろう」口笛がなぜあのように鳴るのか、「科学的にも完全には解明されていない」のが驚き。大半の人が、口の形や息の吐き方を模索しながら自分なりに吹けるようになるわけだが、どうして、この楽器を使いこなせるのか。
できるだけ息継ぎをしないようにするためには腹式呼吸が好ましく、「人間って寝るときは必ず腹式呼吸になりますので、寝転がって仰向けで練習してみるといいかも」とある。早速やってみる。息継ぎの音が大きくなってしまい、なんだか汚い。そうならないためには「息を吸う、というより、食べる感じ」。なるほど。……と、読み終わる頃には口笛を再び嗜(たしな)むようになった。