選評
『星新一 一〇〇一話をつくった人』(新潮社)
大佛次郎賞(第34回)
受賞作=吉田修一「悪人」、最相葉月「星新一 一〇〇一話をつくった人」/他の選考委員=川本三郎、髙樹のぶ子、山折哲雄、養老孟司/主催=朝日新聞社/発表=同紙二〇〇七年十二月二十二日欲望の罠生きる姿描く
ケイタイ、車、ラブホテルなどで張り巡らされた欲望の網――これが「いま」の社会が仕掛けている巨大な罠(わな)だが、淋(さび)しい人たちが、その孤独さから進んでその網に引っ掛かり、たちまち「悪人」へと堕(お)ちていく。吉田修一氏の『悪人』は、その網でもがく若者の一部始終を、張りつめた文体と緊密な構成とで描き出している。どこを切っても、網の中で営まれている人の生の悲しみが滴り落ちてくるが、この罠の中でよりよく生きるには強い愛しかないという結尾で、すべては浄化される。構えの大きい、奥行きの深い力作である。わが国にショートショートという新分野を切り拓(ひら)いた星新一の業績はもはやゆるぎのないところだが、最相葉月氏の『星新一 一〇〇一話をつくった人』は、この文学的冒険家の全生涯を、長期にわたる誠実で綿密な取材調査と、読みやすい伸びやかな文章で、巨(おお)きく彫り上げた。星新一の興味深い出自から、わびしくつらい晩年までが、具体的な挿話をふんだんに使って描かれているので、一気に読み進むことができる。そして読み終えたとき、これがりっぱな日本SF文学史であったことにも気づいて、その力業(ちからわざ)に舌を巻いた。
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朝日新聞 2007年12月22日
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