定住して仕事して、人と国の姿見える
手のひらを返す、という。日本のアジア報道にはこれが多い。ポル・ポトはじめ人物評価から「アジアの時代」の見出しがバーツ急落によりすぐ「アジア迷走」に変わることまで。非常時式の報道であやまたないためには、平時の報道にも目をこらす必要がある。
本書は、アジアに定住した日本人九人の仕事、人となり、来歴などを丹念な取材で描く。それが「人の物語」にとどまらず、彼らの生きている「アジアの国の物語」となっていく。
多彩な日本人がいるものだ。中国で「お花」を育てる人、ベトナムで不動産業者、フィリピンで「赤ひげ」の僧侶(そうりょ)、タイで焼き肉チェーン店経営……ふつうの日本人が肩ひじはらずアジアに生きている。岩国からサイゴンへ行くのは「いなかもんが東京に働きに行くのと同じ」なんだと。
九人に共通するのはラフな服装とざっくばらんな語り口である。ギリギリのところで生きる彼らには「理解をした人ほど騙す」中国人、ワイロを請求するベトナム官僚、反日だが個々の日本人には好意的な韓国人、定住派をバカにする日本企業の駐在員の生態がよく見える。著者もまた「アジア侵略」や「冷戦構造」からは自由な目を持つ。
その仕事は「ビジネス」だったりもするのだが、あまりにハイリスク・ハイリターンなため、ボランティアにさえ見える。著者はボランティアを「他者のための『奉仕』や『貢献』ではなく、自分を生かすことがそのまま他者を生かすことにもなる『自発的な無償の行為』」と鮮やかに定義している。
でもでも、「物質的に富み栄え心は貧しい」日本を暗くばかり描いてはないか。その疑問がつのったとき、最後に「日本的集団主義にからめとられない日本人たちが、アジアの各地で精彩を放っているのは、そうした彩りの素地が日本に広がりつつある何よりの証左」とあってホッとした。日本の「素地」をも描いてほしいものだ。