人間臭い事件の数々 飼育係の一徹にじむ
子どものころ、上野動物園のお猿電車に乗せてもらうのが楽しみだった。ミニチュアの列車をお猿が運転する。運転手のチーちゃんは占領軍兵士の置きみやげだったこと、いつの間にかお猿電車が消えたのは、「サルの労働は動物虐待か否か」の論争あってのことだと、この本で知った。そういえばゾウのインディラ、大きな体でシッポを振り、バナナを食べ、バケツ何杯分だろう、おしっこをジャアジャアするのに見とれて柵の前から動けなかった。敗戦後の日本の子どもを元気づけるためのネール首相の贈り物とは知っていた。だけどカルカッタから二十六日間の航海ののち、芝浦で陸揚げされ、真夜中の東京を二時間四十分行進して上野についたとは。昭和二十四年九月二十五日、そのとき行列は二千人、開場を待つ人一万人。
本書は戦後の二十二年来、長年、飼育係をつとめた著者による、驚くべき裏面史である。
古い話では、明治十五年、開場当時に、清王朝南苑門外不出の珍獣シフゾウを時の特命全権大使榎本武揚が、つがいで上野にもらった。幸いオスの子を生んだが、なんと!それを売りとばした飼育係がいた。しかもシフゾウは南苑にたてこもった義和団が食糧にして食いつくし、なんと!中国では絶滅したそうである。
明治二十一年、シャム皇帝から贈られた暴れゾウは震災後、猛獣狩りの殿様こと徳川義親侯に射殺が依願された。殺すに忍びず、浅草花屋敷に引きとられたゾウは、鎖に縛られ、昭和七年まで生存していたという。
戦時中のライオンからゾウに至る猛獣処分は、巷間(こうかん)伝えられるような「軍の命令」ではなく、初代東京都長官による命令だった。「何もかも悪いことは『軍隊』のせいにして、己の口を拭い、戦後も羽をのばしてぬくぬくと生き延びようとした風潮の成せる業といえるであろう」
こうしてみると動物園とはかなり人間臭いところ、時代やときの政治に左右される。小森さんはあまり“政治”を気にせず書いた。「逃げた」のを「逃がした」といい、「死んだ」ときは「殺した」という、責任感の強い飼育係の一徹がにじむ。そんな人間たちを動物は柵の内側から眺めている。