鏡で二度見して確かめる衝撃
「ほんまかいな」。著者の語り口につられて、思わずこんな言葉が口をついて出た。「ホンソメワケベラという10㎝もない小さな熱帯魚が、鏡で自己の顔を覚え、そのイメージに基づいて鏡像自己認知を行っていることが、明らかになった。そのやり方はヒトとほぼ同じなのである。つまり、小さな魚とヒトで、自己認識という高次認知とその過程までもがよく似ていたのだ。こんなことをこれまで誰が予想しただろうか」。脊椎動物の脳については、爬虫類脳(脳幹と大脳基底核)、旧哺乳類脳(大脳辺縁系)、新哺乳類脳(大脳新皮質)と進化につれて新機能が加わる三段階仮説が唱えられ、魚や両生類は蚊帳の外だった。ところが近年、魚類で大脳、間脳、中脳、小脳、橋、延髄のある脳が完成しており、神経回路網も全脊椎動物で同じと分かってきたのだ。
実験を見て行こう。家族で子育てをするプルチャー(タンガニイカ湖のシクリッド)は顔だけに個体ごとに違う茶・黄・青の模様がある。並べた水槽の魚は最初激しく攻撃し合うが、4、5日でそれをやめ、隣人関係ができる。ここで隣人と他人の顔を入れ替えた合成写真を見せると、隣人顔と他人体の画像には寛容で、その逆の画像には警戒の様子を見せた。しかも、隣人Aと隣人Bの区別もできるのだ。全身に模様のある熱帯魚ディスカスを用いた実験で、個体の区別は顔でなされていることを確認する。
ここで「魚に鏡を見せてみた」。選んだのは一夫多妻の社会をもち、体表につく寄生虫を捕る習性のあるホンソメワケベラだ。最初は鏡を攻撃していたホンソメが、3日目頃から鏡の前で「不自然な行動」(上下逆さになったり踊ったり)を始め、1週間で攻撃を止めた。チンパンジーに鏡を見せた時も不自然行動が見られ、それは自己の確認行動とされている。
そこで、寄生虫がつくと石などでこすって捕ろうとする習性を利用してマークテストを始めた。喉に茶の色素を注射し、鏡なしと鏡ありの状況に置くと、前者では何事も起きず、後者でだけ喉をこすった。マークを透明にするとどちらもこすらない。こするビデオを初めて見た時、著者は「あまりの衝撃に『オーっ』と叫んだ。ほんとうに椅子から転げ落ちそうになった」とある。しかもこすった後、もう1回鏡で確かめるというのだから、「鏡像自己認知」ができたと言う他なかろう。
勇んで有力科学誌に投稿したが、霊長類の知性研究の二大巨頭ドゥ・ヴァール教授、ギャラップ教授らの批判で却下となる。批判は関心の証しと受け止めた著者は、他の雑誌に投稿し多くの称賛を得る。ここから先は、科学研究が認められていく過程を知る物語として非常に面白い。
著者は、ホンソメがヒトと同じく顔で鏡像自己認知していることを確認し、自己意識にまで問いを広げた。ホンソメに「ユーリカ」の瞬間があると感じているという。魚に「内省的自己意識あり」、別の言葉で「こころあり」という仮説は、今後の検証で支持されるだろうと自信を示す。
近年、社会性のある動物で自己認知が多く知られている。ここに示された「自己意識相同仮説」を正しそうと思う評者は魚を仲間とする生きものとしての人間の生き方を真剣に考え始めている。難問だ。