書評

『合成生物学の衝撃』(文藝春秋)

  • 2018/06/10
合成生物学の衝撃 / 須田 桃子
合成生物学の衝撃
  • 著者:須田 桃子
  • 出版社:文藝春秋
  • 装丁:単行本(233ページ)
  • 発売日:2018-04-13
  • ISBN:4163908242
内容紹介:
コンピュータ上でDNAを設計した人工生命体が誕生。『わたしを離さないで』の世界が現実になる科学に人間の感情はついていけるか?

生き方と研究の急接近考えるべき時

「合成生物学」という文字にはどこか怪しげな雰囲気がある。ただ実験室でゼロからマウスをつくりあげるというような話ではないとは申しあげておく。

二十一世紀に入って活発になったこの分野にはそれぞれコンピューターとゲノムという背景をもつ二つの流れがある。米国取材に基づく本書は両者の最先端を伝え、問題点を浮き彫りにする。

MITのトム・ナイトはシリコンチップに代えてDNAや細菌を用い、「生物マシン」をつくればすばらしいコンピューターになると考えた。ところが、生物には規格化がなくしかも細胞の構成分子のはたらきがわからない。更に、細胞というシステムの編成も構造もわからないのである。

ここでナイトらは、自ら「生物システム」をつくることを考えた。ある機能を予想させるDNAを設計して合成し(バイオブリック)、それを大腸菌ではたらかせることをくり返す(国際学生コンテストでやる)。現在バイオブリックは二万個以上、機能別に分類されている。いつ生命体をつくるところまでいくかである。二〇〇三年に始まったこの活動の背景には、物理学者R・ファインマンの「自分でつくれないものを私は理解していない」という言葉がある。

二〇〇三年といえば、ヒトゲノム解読の年である。これに深く関わったC・ベンターがもう一つの合成生物学を牽引(けんいん)する。彼は一九九五年にマイコプラズマなど微生物のゲノム解読にとり組んだ。「生存に必要な最少ゲノム」を知り、最小細胞をつくろうと考えたのだ。さまざまな検討の結果、それには「人工染色体を作製することだ」と結論する。

まず小さな細菌ウイルスDNA(約五三〇〇塩基対)を合成し、それが細菌を攻撃することを確かめた後、マイコプラズマ・マイコイデスの約百万塩基対というゲノムを合成した(もっとも増幅やつなぎ合わせには大腸菌や酵母を用いる)。これが細胞内ではたらくことを確認できたのは二〇一〇年、立案から一五年がたっていた。

いよいよ最終目標の最小細胞づくりである。ついに、五三万塩基対(自然界で最少の値を下回る)、遺伝子数四七三のゲノムをもつ細胞が三時間で一回分裂し増殖した。二〇一六年のことである。彼らが二〇年間一つの目標に向けて進むことができたのは、ベンター研究所だからだと誇る。確かにそれが許される場は今少ない。

ところで、二〇一二年に新しいゲノム編集技術(CRISPR)が生まれ、しかもCRISPRそのものを他のゲノムに挿入することまで行われている。これでゲノム編集によって改変した遺伝子が生物集団全体に広まるのである(遺伝子ドライブ)。合成生物学にこの技術をとり入れれば、多くの部位を改変したこれまでにない生物をつくり、それを広めることができる。

ここで気になるのが米国防総省の研究機関(DARPA)が合成生物学の最大のパトロンになっていることだ。二〇一四年度の研究費は一億一〇〇〇万ドルである。研究目的には治療法の開発、診断法の改良などとあるが、未知の病原体をつくることもできるだろう。著者は「機密研究があるか」と問うがその質問には応じないとの解答だ。

合成生物学は生命とはなにかを知る研究であり日本でも行われている。しかし、ヒトゲノム合成計画もすでにあり、この技術をどのような方向に進めるかは私たちの選択にかかっている。私たち一人一人がどう生きるかという課題と基礎研究が急接近していると考えるべき時にきていると言えよう。
合成生物学の衝撃 / 須田 桃子
合成生物学の衝撃
  • 著者:須田 桃子
  • 出版社:文藝春秋
  • 装丁:単行本(233ページ)
  • 発売日:2018-04-13
  • ISBN:4163908242
内容紹介:
コンピュータ上でDNAを設計した人工生命体が誕生。『わたしを離さないで』の世界が現実になる科学に人間の感情はついていけるか?

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初出メディア

毎日新聞

毎日新聞 2018年6月3日

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