農業から見る環境の回復と健康
異常気象の中で、科学・科学技術の役割を考えている。宇宙開発やAIの活用などが先端とされるが、今必要なのは地球とそこに暮らす生きものを知り、社会づくりを考えることではないだろうか。本書は土壌、生きもの、人間の関わりから、健康に生きるために必要な「食」のありようを見ている。今から85年前の1939年、イングランドの医師31人からなる委員会が、食事・農業・健康の関連を検討し、化学肥料と農薬使用の加速の健康への悪影響を示した。委員たちは、健康な人は「新鮮で、未精製の、加工を最小限に抑えた食品」をとっていることにも気づく。インドで研究をしていた植物学者のサー・A・ハワードが、健康な作物の生育には土壌微生物が必要であり、化学肥料はそれと同じはたらきができないことを示した。
ここに、伯爵家に生まれながら農学の学位を受けた初の女性となり、農場暮らしを始めたE・B・バルフォアが登場する。慣行農業と有機法で栽培した作物を食べた動物の健康状態の比較実験を重ね、1940年代に『The Living Soil』を出版、「土壌協会」を設立する。しかし社会は別の道を進んだ。レイチェル・カーソンの『沈黙の春』より20年も前に、科学の立場から化学製品に頼る農業への疑問を呈した女性がいたのだ。「科学研究は病気の原因にこだわって、もう一つの疑問――健康の根源――には同じように関心を払っていなかった」という指摘は鋭い。本書はこれに応え、人間の健康は健康な作物に、健康な作物は健康な土に依(よ)ることを示す。
成長社会での作物は収量で、食糧はカロリーで評価され、農業の工業化がそれに応えてきた。窒素肥料は短期的収穫量は増やすが、土の持続可能性をなくし作物の栄養の質を落とす。しかも半量は作物に取り込まれないのだ。化学肥料の長期的影響に土壌酸性化もあり、土から無機栄養(カルシウム、カリウム、亜鉛など)が減る。
土作りからの農業が多くの国や地域で始まっている。実験とメタ分析によって不耕起農法、被覆作物、多様な輪作により、作物収量は減らさずに雑草、昆虫、病原体の圧力を減らし、回復力を高める再生農業だ。有機物が充分存在し生きものたちが活動する土でできた作物は、植物が身を守るため生成する二次代謝物質で、抗酸化作用などがあるファイトケミカル(ポリフェノールやカロテノイドなど)が多い。ウシの乳と肉に含まれるさまざまな脂肪の割合は、飼料でなく牧草を食べた個体の場合によい状態になる。健康の根源は、生きている土で育つ健康な作物を食べるというあたりまえの所にあるのだ。
有機農業と呼ばれてきた農業は、特殊で面倒なものであり基幹産業としての農業にはならないとされてきた。しかし農業の本質を考えれば、土を生かすのが本筋であり、人類が生きていくにはこの方法を選ぶしかないという答えになって当然だろう。ここでもう一つ注目すべき点が多様性だ。生きものにとって多様性が重要であると言われながら、現行農業は作物を一律化する方向に来た。土を生かすとは、その土地に合った作物を生かすことであり、そこには多様性がある。「土壌、地球、人間自身のために環境回復の道を選ぶのなら、まだ間に合う」と著者は言う。