戦後、再創造された帝国主義の産物
日本の中華料理はどのような経緯をたどって、一般市民に親しまれるようになったのか。本書では肉まん、餃子(ギョーザ)、シューマイ、ラーメンなど、品目ごとに考察を行い、その由来と料理にまつわる言説、ならびに料理に寄せる人々の思いについて、詳細な調査にもとづいて手際よく解き明かした。日常生活のなかでよく口にする中華は江戸時代の史料に現れたものもあるが、その多くは近代に入ってから登場したものだ。明治大正期に日本にやってきた華僑が経営する飲食店に端を発したが、当初はおもに中国人留学生を対象としており、日本人に敬遠される時期もあった。
軍部による対外拡張は中華料理に向けるまなざしを大きく変えた。日露戦争の後、関東軍は満洲(現中国東北部)での勢力拡大をはかり、やがて日中戦争へと戦火が拡大した。大陸に渡った兵士や満洲への移住者たちは進出先で現地の食文化に触れ、中華料理の美味(おい)しさに気付いた。戦後、帰還兵や満洲からの引き揚げ者は中国で食べた料理を懐かしみ、飲食店や屋台を開いて戦後の日本に広めた。大陸進出に伴う現象という意味で、著者はその一連の出来事を帝国主義の産物だという。
その典型的な事例としてジンギスカン料理が挙げられている。本書によると、ルーツは中国の羊肉のあぶり焼き(烤羊肉(カオヤンロウ))で、一九一〇年頃に北京の日本人の目に留まり、「成吉思汗(ジンギスカン)」という名称がつけられた。ほどなくして満洲に伝わり、「満蒙(まんもう)の料理」として日本に紹介された。一九三二年、満洲国が建国されると、「新しい国」の名物料理に祭り上げられた。
ジンギスカン料理が神話化する過程のなかで、陸軍によるイメージ操作は策略的というより、喜劇的なものだ。チンギス・ハンの雄姿を連想しやすい料理名のゆえに、意図的な解釈が行われ、戦意昂揚(こうよう)のためのメタファーとして利用された。
同じ料理でもそれぞれの歴史的時期のなかで異なる物語群が散在している。ジンギスカン料理は戦後になると、戦時中のイメージが薄れ、やがて北海道の特産として新たな物語が創出された。
餃子も満洲からの引き揚げ者が持ち帰ったものだが、餃子やラーメンは食材が入手しやすく、調理もさほど難しくない。それに安価で美味しく、栄養もいい。食糧難の時代はいうにおよばず、戦後復興期になっても庶民の好物であった。やがて、戦中戦後の文脈から切り離され、「札幌味噌(みそ)ラーメン」「宇都宮餃子」など特定の地域と結び付いて語られるようになった。
日本に限らず、共同体の感情史のなかで、それぞれの料理の記号性は同じではない。ヨーロッパの植民地料理は異国情緒や懐旧の念とともに消費される半面、時代精神の深層にはつねに文化支配の欲望がうごめいている。それに対し、ラーメンや餃子などは記憶の中の美食として戦後、敗北感や挫折感とないまぜになって復元/再創造された。大衆食として定着する過程のなかで、時代情緒の側面が次第に漂白され、郷土料理として再生した。本書では豊富な資料によって、その経緯をくっきりと浮かび上がらせることができた。