書評
『ローマ帝国とアフリカ-カルタゴ滅亡からイスラーム台頭までの800年史』(中央公論新社)
地中海の地図を広げると、左下の沿岸地域が北アフリカ。前二世紀半ばまで、この地の現チュニジアを中核にして覇権をふるったのが海洋大国カルタゴである。北アフリカは穀物栽培に適した地域であり、ローマ帝国支配下にあっても、首都ローマ一〇〇万人が食べる穀物の三分の二を供給できるほどだったという。現在と異なり、適度な降雨もあり、良好な土壌に恵まれていたらしい。その繁栄ぶりは三世紀ごろの大邸宅の一角に描かれた壮麗なモザイク画からも浮かび上がってくる。農作業や田園風景を彩る豊かさはまさしく「ローマの平和」を象徴するかのようである。
ローマ市民権保持者も元老院議員も増加し、五賢帝後の二世紀末には、とうとう北アフリカ出身の皇帝セプティミウス・セウェルスすら登場する。彼は威厳にあふれた顔立ちだったが、口にするラテン語からはアフリカ訛(なま)りが抜けなかったという。
さらに、古代末期には最大の教父アウグスティヌスも北アフリカ生まれであり、この地で生きていた。
地名から僻地(へきち)と思われがちだが、属州アフリカはローマ帝国を支える国力を備えていたことを思い起こさせる好著。
ローマ市民権保持者も元老院議員も増加し、五賢帝後の二世紀末には、とうとう北アフリカ出身の皇帝セプティミウス・セウェルスすら登場する。彼は威厳にあふれた顔立ちだったが、口にするラテン語からはアフリカ訛(なま)りが抜けなかったという。
さらに、古代末期には最大の教父アウグスティヌスも北アフリカ生まれであり、この地で生きていた。
地名から僻地(へきち)と思われがちだが、属州アフリカはローマ帝国を支える国力を備えていたことを思い起こさせる好著。
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