書評

『黄色い家』(中央公論新社)

  • 2024/01/14
黄色い家 / 川上 未映子
黄色い家
  • 著者:川上 未映子
  • 出版社:中央公論新社
  • 装丁:単行本(608ページ)
  • 発売日:2023-02-20
  • ISBN-10:4120056287
  • ISBN-13:978-4120056284
内容紹介:
十七歳の夏、親もとを出て「黄色い家」に集った少女たちは、生きていくためにカード犯罪の出し子というシノギに手を染める。危ういバランスで成り立っていた共同生活は、ある女性の死をきっかけに瓦解し……。人はなぜ罪を犯すのか。世界が注目する作家が初めて挑む、圧巻のクライム・サスペンス。

女性同士の連帯と「ケアの倫理」

「ノンストップ・ノワール小説!」と帯に記された本作は、コロナ禍に伴走するかのような新聞連載小説だった。かつてない疾走感に後半の祝祭感もあいまって、押し流されるように一気に読了した。

タイトルの『黄色い家』は、ゴッホとゴーギャンが二カ月間だけ共同生活をしたアルルの家を連想させる。高揚した希望とともに始まり、悲劇(ゴッホの耳切り事件)と共に幕を閉じる経緯は、本作の「黄色い家」のてんまつと相似形をなす。

主人公の伊藤花は、コロナ禍がはじまったとある日、ネットニュースで古い知人の名前を見つけて衝撃を受ける。知人の名は吉川黄美子。彼女は東京都新宿区のマンションで、若い女性を監禁し傷害沙汰に及んだとして起訴されていた。花は二〇年ほど前、黄美子と暮らしていたのだった。ここから花の、波乱に富んだ回想がはじまる。

花の母親はスナックに勤めるシングルマザーで、花はネグレクト気味に育てられ、学校でもいじめられていた。しかし、母が連れてきた知人の黄美子は、そんな花に優しくしてくれた。彼女が布団の上に綺麗に畳んだパジャマのあたりが「まあるく浮きあがってみえた」という描写は、花の境遇と黄美子の特性をたった一言で浮き彫りにしていて、忘れがたい印象を残す。

高校生になった花は、自立を目指してファミレスのアルバイトに精を出していたが、必死で貯めた貯金を母の交際相手に盗まれてしまう。一度は絶望しかけた花は、母親のもとを離れて黄美子と暮らすようになり、黄美子の知り合いから引き継いだスナック「れもん」を開店する。経営は順調だったし、はじめての友人、蘭や桃子とも仲良く働き、知人からの紹介で一軒家も安く借りられた。四人が暮らす「黄色い家」だ。運気を上げるべく家の「黄色コーナー」の手入れを怠らない花。しかし「れもん」は火事で焼失してしまう。四人の生活を守り、「れもん」を再開したいという思いから、花は犯罪に手を染める。黄美子の友人経由で紹介された女性の指示で、カード詐欺の仕事を請け負うようになったのだ。

花が犯罪に流されていく過程のすべてが「そうなるほかはない」ように見える。自分の口座を見もしない間抜けな金持ちから金をかすめ取るという口実と、四人の生活を守るという大義名分は、花に罪の逡巡を与えない。彼女は勤勉に稼ぎまくり、やがて蘭や桃子も誘い込んで組織的に詐欺を展開する。一九九〇年代末、まだ磁気ストライプカードが主流だった時代ならではの犯罪。

余談めくが本作においては、ヤンキー文化に親和性の高い「XJAPAN」と「クリスチャン・ラッセン」が重要な位置を担う。とりわけラッセンの絵画の「見ているとこちらの気持ちにほんの少し陰ができる」感じ、海やイルカが描かれているのに「夜の三茶の路地裏を」思い出す、という記述は、かつてないほど的確なラッセン評である。

血縁のない女性たちが疑似家族として連帯すること。そう、本作は「シスターフッド(女性どうしの連帯)」を巡る物語でもある。その連帯を支えたのは「ケアの倫理」であろう。「ケアの倫理」とは、心理学者キャロル・ギリガンが提唱した考えで、ジェンダーと深く結びついている。ギリガンは、個人の自立と権利、普遍性と公正さを重視する男性的な「正義の倫理」に対して、女性的な「ケアの倫理」がある、とした。ケアの倫理が重視するのは関係性と包摂性、相互依存や愛着である。それは体系化したり矛盾なく記述したりすることが困難だが、確実にこの世の倫理の一翼を担っている。

花の犯罪に罪の手ざわりが乏しいのは、それが「ケアの倫理」に基づくためではなかったか。現実的な判断力に乏しく、境界知能の疑いすらある黄美子の存在感は、刹那の関係性の中でのみ発揮される。本作の通奏低音としての「ケアの倫理」を象徴する黄美子の存在、本作はその優しさも脆さも容赦なく描き出す。黄美子の優しさがDVの前では機能せず、花の犯罪が「ケアの倫理」から中動態的に生成していったように。そうしたケアの関係が、傍目には支配と服従の関係性に見えてしまうこともあるように。

賢いがゆえに境界的な立場を生きる花――あるいは、ほぼ唯一の男性である「映水(ヨンス)」もまた――は、ちょうど「ケアの倫理」と「正義の倫理」の中間を生きる存在だ。無我夢中でカード詐欺にいそしむ花はまだ「ケアの倫理」の側にいる。しかし何も考えない蘭や桃子に苛立ちつつ行動プランを立て、シノギの配分と貯蓄を考える花は、ある意味で「正義の倫理」の側にいるのだ。彼女の苛立ちは正当なものだが、だからこそ家父長制的な抑圧を容易にはらみ、そこからシスターフッドは崩壊していく。

しかしそれでも、本作のラストには希望がある、と言いたい。「ケアの倫理」の残照は、無惨にも愛おしく、はかなくも懐かしく、「いま」を照らすこともあるということ。小説の形でそれが描かれうることを示した本作は、まぎれもなく川上未映子の新たな代表作となるだろう。
黄色い家 / 川上 未映子
黄色い家
  • 著者:川上 未映子
  • 出版社:中央公論新社
  • 装丁:単行本(608ページ)
  • 発売日:2023-02-20
  • ISBN-10:4120056287
  • ISBN-13:978-4120056284
内容紹介:
十七歳の夏、親もとを出て「黄色い家」に集った少女たちは、生きていくためにカード犯罪の出し子というシノギに手を染める。危ういバランスで成り立っていた共同生活は、ある女性の死をきっかけに瓦解し……。人はなぜ罪を犯すのか。世界が注目する作家が初めて挑む、圧巻のクライム・サスペンス。

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初出メディア

毎日新聞

毎日新聞 2023年3月11日

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