書評
『あこがれ』(新潮社)
恋愛よりも深い奇跡的な間柄
小学校中学年の「ぼく」は夏休みのある日、スーパーのサンドイッチ売り場の女性をミス・アイスサンドイッチとひそかに名づける。水色に塗られたまぶた。独特の化粧のために大きく見える目に、なぜか強く心をひかれる。その目や仕事ぶりが見たくて、何度もサンドイッチを買いに行く。ところが、そんな「ぼく」を悩ませる事態が起きる。学校の教室で、数人の女子がミス・アイスサンドイッチの顔を酷評したのだ。ヘガティーというあだ名の女の子が、「ぼく」のミス・アイスサンドイッチに対する感情をずばりと指摘する。そして提案する。「みにいくんじゃなくて、会いにいくんだよ」。小学校中学年の女の子らしい、ませた感じ、でも当人にとっては思ったままの言葉。その微妙な角度が、ぴしりと捉えられ、描かれる。それまでの「ぼく」は見ていただけ。話しかけてみる、会う、という発想はなくて。
第二章で、ヘガティーは語り手「わたし」となる。父と二人暮らし。あるとき、父は離婚したことがあり前妻との間に女の子がいると、ネットの情報で知ってしまう。動揺し、悩むけれど「お姉ちゃんという人をこの目でみてみたい」と願う。居所をつきとめ、偶然を装って会いに行く。同行するのは「麦くん」(第一章の「ぼく」)。さまざまな事実や変化に圧倒されて泣いてしまう「わたし」を「麦くん」はせいいっぱい受けとめる。親友なのだ。
ヘガティーと麦彦の関係は恋愛とは違う。というより、思春期以前の、恋愛感情よりも幼なじみであることから来る親しみの深さの方がずっと大事だという間柄。二人は、難しいことに直面すればそばへ寄り、気持ちを支え合う。ごく自然な感じで。その奇跡的な時間や距離感を、川上未映子の筆致はぐいぐいと、的確に描き切る。過ぎ去るものを書きとめる『あこがれ』、すばらしい小説だ。
朝日新聞 2015年12月06日
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