書評
『夏物語』(文藝春秋)
生の“つくられ方”への戸惑い
妊娠することを「おめでた」と言う。新しい命の息吹きを寿(ことほ)ぐ言葉だ。しかしその寿ぎはだれに向けられたものだろう? 当の本人(胎児)にむかって「おめでとう!」と言う人を、あまり見たことがない。胎内の当人の意思はそっちのけと言ってもいい。人は一方的に生まれさせられる。「産んでくれと頼んだ覚えはない」という、親への反抗の決まり文句があるが、実際に最近、インドでそのような裁判があった。当人の同意なく産んだことで、子が親を訴えたのだ。日本では、先々週から「存在のない子供たち」というレバノン映画が公開されている。過酷な毎日を生きるスラムの少年が、「僕を産んだ罪」として両親を告訴する内容だ。
いま日本でも、重い負担を背負わされた若い人たちの間で、「反出生主義」が現実問題としても議論されていると、川上未映子は言う。人を生みだすこと自体が悪であるとして、ショーペンハウアーからベネターまで(ほとんどは男性の)哲学者、思想家たちが説いてきた説である。
命の誕生とはおしなべて不可抗力であり、不可逆のものだ。人はその事実を一生、どこかでうっすら――程度の差こそあれ――不服に思って生きていくのではないか。
生きているというだけで、釈然としないものだ。
「非配偶者間人工授精(以下、AID)」を材にとった川上の最新作『夏物語』は、そうした生の“つくられ方”への戸惑い、もっと言うと、受精・着床から分娩(ぶんべん)にいたる、ひとつの生をこの世に送りだすプロセスと、その全過程を物理的にはほぼ女性だけが担うことの、暴力性と不均衡に対する違和感、懐疑、問いかけを、作者のもてる小説技術を全投入して書いた集大成的な作品と言えるだろう。
AIDとは、夫・パートナー以外の第三者から精子提供を受ける人工授精法のひとつ。提供者の身元は伏せられることが多く、『夏物語』には、後にそのことで苦しむ人たちの姿も描かれている。
前半は、川上の芥川賞作『乳と卵』を大幅に加筆した物語である。ヒロイン「夏目夏子」(三十歳)の姪(めい)「緑子」はまだ十二歳だが、自分の体があらわにしだした女性性に強烈な疑義と抵抗を感じ、「わたしは勝手におなかが減ったり、勝手に生理になったりするような体がなんでかここにあって、んでなかに、とじこめられてるって感じる」と日記に書く。人はなぜか「在る」し、どうやっても自分の外には出られない、ということだ。さらには、「これいっこだけでも大変なことやのに、そのなかからまたべつの体をだすのは、なんで」と。
実は、夏子も恋人とのセックスに違和感と苦痛しか感じず、別れた過去があったことが、後半で明かされる。この傾向がアセクシャリティ(無性愛)によるものか、未成熟によるものかは、わからない。
後半、夏子は三十八歳。数年前に小説家としてささやかなデビューをはたしたが、このところスランプ気味だ。こんな自作のポエム(?)を捨てられない。「これでええんか 人生は…誰ともちがうわたしの子どもに おまえは会わんで いっていいんか 会わんで このまま」。そんな折、夏子はAIDを知り、その可能性にひかれていくが、その途上で、AIDで生まれこの授精法に強く反対する人たちにも出会う。
そのひとりは、夏子と心通じあうようになる「逢沢潤」であり、もうひとりが、幼い緑子の考えを極限まで押し進めた過激な反出生主義である「善百合子」。百合子は本作で最も異彩を放つ人物であり、「生まれてきたことを肯定したら、わたしはもう一日も、生きてはいけない」と、自分の生を否定することで辛うじて生きている壮絶な自己矛盾的存在だ。百合という植物は種子がなくても球根で増えていく。作者は名前にそうした象徴性をもたせた。
百合子はAIDでの出産を考えている夏子にこんなことを言う――子どもを作るということは、安らかに寝ている子を起こすようなことだ。苦痛しかない人生かもしれないのだから、もう誰も起こすべきではない、と。
百合子の対極の原理主義者として、シングルマザーの女性作家「遊佐リカ」がおり、彼女はAIDには大賛成、妊娠出産に男性の意思は一切必要ないと断言する。さらに、結果論的なチャイルド・フリー派の女性編集者「仙川」は、子育ての大変さを知りつつ子を産む同僚たちに「ご苦労なこと」と言い、しかし作者はその数十頁(ページ)後で、日曜も仕事一筋の仙川に対して遊佐に「ご苦労なこと」と言わせ、複声を対立させる。物語は、調和する声と声が輪唱を奏でるかと思えば、激しく衝突する多数の声が不協和音を鳴らし、容易に答らしきものに誘導されることを拒む。終盤の局面では、女性たちは祖先を産み、死者を産み、自分を産みなおすことにもなる。さて、ここで男性たちがはたす役割とは?
これ以上ないほどシリアスな倫理問題を扱っているが、大阪弁を交えた語りやセリフの爆発的な笑いの威力よ。破壊と創造を同時になしとげる川上語も堪能されたし。
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