書評

『ザ・ルーム・ネクスト・ドア』(早川書房)

  • 2025/03/12
ザ・ルーム・ネクスト・ドア / シーグリッド・ヌーネス
ザ・ルーム・ネクスト・ドア
  • 著者:シーグリッド・ヌーネス
  • 翻訳:桑原 洋子
  • 出版社:早川書房
  • 装丁:単行本(240ページ)
  • 発売日:2025-01-23
  • ISBN-10:4152104104
  • ISBN-13:978-4152104106
内容紹介:
学生時代の友人に再会した作家は、「最期の時間を一緒に過ごしてほしい」と頼まれる。友人は末期がんだった。そして、心の準備ができたら薬を飲んで死を選ぶという。思いがけぬ日々のなかで作家が見たものは――。全米図書賞受賞作家による感動作。映画化原作

近現代人の内包する個と多様性がにじむ

Quel est ton tourment?(あなたの苦しみはなんですか?)と声をかけられることが、隣人に与えうる最も豊かな愛だとシモーヌ・ヴェイユは言った。

シーグリッド・ヌーネスによる中編小説『ザ・ルーム・ネクスト・ドア』には、このフレーズが全編に響きわたっている。

私たち人間はどうしようもなく個別の存在でありながら、見えないなにかで繋がりあっている。

それは、心と呼ぶべきか、魂と呼ぶべきかわからないが、つい先月芥川賞を受けた鈴木結生の『ゲーテはすべてを言った』も、互盛央の千四百ページに及ぶ思想史書『連合の系譜』も、つきつめれば、人間の孤立と連帯をそれぞれの方法で解き明かしたものだろう。

人は自立した「個」人でありながら、いかに寄り添いあえるのか?

逆に言えば手を取りあいながら、いかに多様であれるのか?

これらの問いはとくに近代化以来、二百年あまり持ち越してきたディレンマであり、ここに来てとうとう扱いに困り、苛烈な、根深い、多くの分断と衝突を露呈している「近現代社会のバグ」だと私は思う。

その一番わかりやすく、かつ深刻な病態の一つが、いまのアメリカ合衆国ではないか。

親友の自死に直面する女性を描いた『友だち』で全米図書賞を受賞したシーグリッド・ヌーネスの『ザ・ルーム・ネクスト・ドア』も、「個」であることと、他者と「一(いつ)」になることの両立を追究した小説と言えるだろう。

物語の舞台はアメリカのとある街。文筆家である語り手/主人公の「わたし」は、旧友を見舞うため病院を訪れる。ある癌に特化した治療を行う病院である。

ただ「友人」とだけ呼ばれるその友人は、婦人科系の末期癌を患っており、余命は長くないと言う。

化学治療にも臨むが、期待した効果は得られず、ある日「わたし」に驚くようなことを頼んでくる。自分の決めた方法で人生を終えたい、と言うのだ。

友人はそのための違法の薬もすでに手に入れており、しかし自分の家ではなく、どこかべつの静かな場所で死を迎えたいと言う。その時までそばに付き添ってほしい、と。

それも、すぐ横でではなく、隣の部屋(ザ・ルーム・ネクスト・ドア)にいてほしいのだと友人は言う。

「必要なのは、そこにわたしといっしょにいてくれる人なんだ、と友人は言う。もちろん、ある程度ひとりの時間は欲しい。これまでもずっとその時間を持ってきたし、いつも心の底から必要としてきたんだから、もうすぐ死にそうだからって、それに変わりはない。でも、まったくひとりきりっていうわけにはいかない。だってほら、これは新しい冒険だし、どんなものになるのか、誰にもわからない。もし、なにかがうまくいかなかったら? もしなにもかもうまくいかなかったら? 隣の部屋に誰かがいてくれるって思っていたいの」

独立・自立したいっこの個人でありながらそばで支えてくれる人を求め、しかし一方では、一人の時間や空間は確保したいというディレンマに揺れている。

そこには、近現代人の抱えてきた個人の独立・自由・多様性と連帯というディレンマが表れているだろう。

近くにありながら独立した空間をもち、しかしドアを開閉すれば行き来ができる、そんな遮断的でもあり、開放的でもあり得るような関係性がこの一つの語句に集約されているのではないか。

本作はある意味、ハンナ・アーレントが『全体主義の起原』などで定義し区別した「孤独」と「孤立」と「孤絶」の物語とも言えると思う。

アーレントは「孤立」(loneliness)は「孤独」(solitude)とは違う、ソリチュードは独りで居ることを自ら求める状態だが、ロンリネスは他者と共にある状態とはっきり対照をなすものであると言っている。

友人が人里離れた家に求めたのはソリチュードであり、しかし避けたかったのは誰にもケアされないロンリネスだったのだろう。

その両方を達成できる真の友達が「わたし」であり、この環境だったのだと思う。

題名に聞き覚えのある人もいると思うが、本作は、現在上映中のペドロ・アルモドバル監督の映画「ザ・ルーム・ネクスト・ドア」の原作である。

邦題は映画に揃えられているが、原題はWhat Are You Going Through(あなたはいまどんな思いをしているのですか?/あなたはどんな目に遭っているのですか?)であり、これは冒頭に挙げたヴェイユのQuel est ton tourment?を英語に訳したものなのである。going throughというフレーズは作中で二十回ほども使われる。

ちなみに、映画版に出てくるジョイスの短編からの引用は原作小説にはなく、あれは映画ならではの妙案だった。翻案が原作を裏切りながら息吹く最良の例だ。
ザ・ルーム・ネクスト・ドア / シーグリッド・ヌーネス
ザ・ルーム・ネクスト・ドア
  • 著者:シーグリッド・ヌーネス
  • 翻訳:桑原 洋子
  • 出版社:早川書房
  • 装丁:単行本(240ページ)
  • 発売日:2025-01-23
  • ISBN-10:4152104104
  • ISBN-13:978-4152104106
内容紹介:
学生時代の友人に再会した作家は、「最期の時間を一緒に過ごしてほしい」と頼まれる。友人は末期がんだった。そして、心の準備ができたら薬を飲んで死を選ぶという。思いがけぬ日々のなかで作家が見たものは――。全米図書賞受賞作家による感動作。映画化原作

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初出メディア

毎日新聞

毎日新聞 2025年2月15日

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