書評
『携帯遺産』(朝日新聞出版)
現実と虚構が浸潤し合い新世界を生む
本作はチャールズ・ディケンズの『大いなる遺産』の本歌どりである。作者の前二作につづき、古典を読みほどきながら再創造する小説と言えるだろう。主人公は人気ファンタジー作家の舟暮按(ふねくらあん)。ディケンズの娘を主人公にした小説「父の朗読会」などの成功作を持ち、「シェイクスピアの妹」をタイトルにした小説を発表したという。
孤児ピップを主人公にした『大いなる遺産』の大いなる魅力は一つに、現在と過去の視点のダブルフォーカスにある。この回顧の眼差(まなざ)しと複焦点による緊張関係を、鈴木結生は別の手法へと大胆に転換したようなのだ。
按は馴染(なじ)みの女性編集者から、<飛行>と<蒐集(しゅうしゅう)>を手掛かりに文学的自叙傳(じじょでん)を書いてほしいと依頼される。ディケンズも、ジョイスも、フィッツジェラルドも、大きな飛躍の前にそうしたものを書いているからと。
鈴木は、按の習作であるディケンズ風の作品や、日記などの膨大な生の記録(ライフ・ログ)を辿(たど)らせることで、『大いなる遺産』の手法を解体しつつ更新していく。ちなみに、日記を書く人であるANN FNEKRAがアンネ・フランクのアナグラムなのも鈴木の得意とするところだろう。
按は東京の展覧会で、ある<図語録(すごろく)>に「蛇羽宇奥(じゃばうおく)」という名を見つけ、そこに父の存在を確かに感じとる。詩人の父は熊本地震で行方不明になり、ここから彼女の物語探しと父探しが一つになっていく。
他の文学作品も千紫万紅のごとく鏤(ちりば)められている。ジョン・ダンの「告別:書物について」という詩からの英文(「このようにあなたの思いを吐露せよ、わたしはそれを旅先で読もう」という意味か)が引かれたり、シェイクスピアがWhat the dickens!(なんとまあ)と叫んだり、西村賢太の主人公の名前が飛びだしたり。
こうして物語を探す按の母は、病院で寝たきりになり、なにかの障害で発話がむずかしい。おそらくこれは『大いなる遺産』でピップの母代わりだった姉のガージャリー夫人が、暴漢に頭を殴られ半身不随となり、会話が不自由になる設定を継承しているのだろう。また、これは微(かす)かなヒントでしかないが、按の姉・愛の夫は王という名で「オーちゃん」と呼ばれる。ひょっとして、鈴木の傾倒する大江健三郎の『キルプの軍団』でディケンズの『骨董(こっとう)屋』を原文で読みこむ高校生オーちゃんを暗示しているのではないか。
『キルプの軍団』は読むことについての小説である。ディケンズと、ドストエフスキーと、旧約聖書の「イサクとアブラハムの物語」が、高三男子の人生と、人生の「読み方」を変えていく。
オーちゃんはディケンズの『骨董屋』を読みこみ、叔父と意見を述べあうことで、ときに自らの生を組みなおし、逆に、実人生のエッセンスをもとに、小説や旧約聖書を幾度も解釈しなおす。これは鈴木の『携帯遺産』の構造そのものなのである。
現実と虚構。互いが互いを「翻訳」しあう。実生活に小説の色がうつり、小説は実生活に浸潤される。本作を一冊読むことは、何冊もの本を読むことに値する。解釈が掛けあわされ、全く新しい世界が生まれでてくるだろう。
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