書評
『社会自由主義の思想家 福田徳三―生存権・国家・国際社会の思想』(信山社)
英米の正義・人道にひそむ「負」見抜く
昭和の時代にいささかなりと大人の気分でいたことがあれば、この日本でも社会主義の脅威というものを感じていた経験があるのではないだろうか。主義主張への賛否はともかく、それが夢物語の空想とは思えない時代があったことは今どきの若者には実感できないだろう。ソ連・東欧圏の社会主義国が幕を閉じ、一部をのぞけば、資本主義社会の自由な気風だけが当然であるかのごとき現今であるが、忘れてはならない事実がある。二〇世紀における社会主義の倒壊とは「平等を基調とした社会主義」の失態であり、社会主義の理念そのものが消滅したのではないのだ。誤解を恐れずに分かりやすく言えば、理念としての社会主義は今日でも生きており、「自由を基調とした社会主義」はまだ試みられたことすらないのである。
このことを考える上で、今日忘れられた思想家に目を向ければ、意外にも新しい視界が開けるのではないだろうか。二〇世紀初めに「大正デモクラシー」とよばれる思潮運動があり、民本主義を唱えた吉野作造が名高い。だが、それと並ぶほどの名声と影響力をもっていた福田徳三のことは昨今では忘れ去られた感がしないでもない。その思想の根源を「社会自由主義」という標語でまとめあげたのが本書であり、「シリーズ福田徳三の世界」1として刊行された。まことに喜ばしく時宜にかなっている。
この大正デモクラシー期の人々を引き付けた思想が「社会自由主義」であり、社会性を重視した自由主義として理解される。自由競争にすべての人々が参加する可能性を最後まで保障すること、それが生存権の承認なのだという。生存権は、福田の言い方にならえば、自由主義をより完全にするものだった。すべてのものの生存を相互に尊重する社会性を重んじる自由主義が求められるのであり、自由競争を否定する社会主義ではなかった。
理屈はともかく、すべての人々の生存要求に見合う社会の現実に目を向ければ、米騒動や関東大震災の混乱に直面せざるをえない。福田は、生存権の究極にある極窮権(きょっきゅうけん)なる言葉を用いて、貧者・窮乏者を救済する活動を擁護した。ここでは生存権思想の射程が、より切迫度の高い緊急必要なものに至り、そもそも生存や所有や社会性とは何かという根源となる論点をふくんでいた。現代世界における貧困と格差、移民や難民の混迷など、今こそ身に迫る深刻な問題として浮かび上がる。
福田は、日清、日露戦争、第一次世界大戦とつづく変動期に生きていた。それは同時に吉野作造が活躍した時代でもあった。福田は正義や人道を唱えるイギリスやアメリカに覇権への衝動を感じて警戒したが、吉野は「米国大統領及び英国首相の宣言」のうちに真面目な思想を認めた。この英米観の差異は第二次大戦後の二人の巨人への評価を分けてしまった。しかし、国際協調主義や英米の覇権主義が崩れつつある昨今、英米の正義・人道の主張の影にひそむ負の実態を見抜いていた福田の慧眼(けいがん)には瞠目(どうもく)すべきものがある。
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