書評
『ヒューム イングランド史Ⅰ』(名古屋大学出版会)
狂信的激情を慎み叙述する典型
18世紀といえば、わが国では江戸時代の真っ盛り。ユーラシアの西端にある島国のイギリスでは古典派経済学の開祖アダム・スミスがおり、彼より十二歳年長に啓蒙(けいもう)思想家デイヴィッド・ヒュームがいた。主著『人間本性論』の著者として経験論哲学者と見なされがちだが、彼にはもう一つの主著『イングランド史』(全六巻構成)がありながらほとんど注目されてこなかった。普遍的な真理をあつかう哲学に対して、個別具体的な出来事をあつかう歴史叙述はいささか劣位にあると見なされており、思想史の脈絡では歴史叙述は長らく冷遇されていた感がある。たしかに、ヒュームの歴史叙述は、王の治世ごとに、政治史と外交史をめぐる物語の叙述が中心をなしている。全巻にわたって、イングランドにおける政治制度の発展に注目しながら、武力や自力救済を頼りとする野蛮な勢力対立の社会がさまざまな迷いと試行をくりかえしていた。主眼とされるのは政治システムが精緻にできあがる経過を説明することである。
しかしながら、ヒュームは、政治史のみならず、社会経済史、文化史、学芸史などの歴史叙述も組み込む。というのも、ヒュームは歴史の歩みが必然であったとは考えていなかった。そのことは特筆される。
ところで『イングランド史』I・Ⅱは、ステュアート朝が君臨した17世紀を語っており、ヒューム生前の百年余りが対象である。当時の読者にとっては身近な昔話であったにちがいない。
嗣子のいないエリザベス一世が没すると、スコットランドのステュアート家がイングランド王家を継ぎ、ジェイムズ一世が王位に就いた。国王は王権神授説を奉じて議会と対立したが、イングランドの民兵は十六万人ほどだったにもかかわらず、どこよりも民兵の規律はしっかりしていたという。ジェイムズは魔女や亡霊を語り、凡庸な著述家であったが、国王陛下としての演説はことのほか優れていたらしい。
次男のチャールズ一世が即位すると、多くの民衆は議会を崇(あが)めていたせいか、熱狂的信者の群衆は大聖堂を襲撃することもあった。ここには大きな変転の予兆があったという。やがて、軍事権力を指揮するクロムウェルは反乱をおこし、チャールズ一世はワイト島に逃れたが、裁判にかけられ処刑された。だが彼は、率直で誠実で高潔であったといわれ、民衆に同情が広がり、共和国の後、王政復古がなされたという。
クロムウェルは大事業を大胆な決断力で成し遂げ、人物の弱点を見抜いて利用する能力に卓越していたが、業(わざ)半ばで病没した。ほどなく王政復古がなり、亡命していたチャールズ二世が国王として迎えられた。だが、彼は親カトリック的であり、民衆の反感を買っていた。また、王に対する議会の不信はつのっていたが、議会は解散され、王党派の勝利にもかかわらず、チャールズは急病で死去する。弟のヨーク公ジェイムズ二世はカトリックの復活を企て議会と対立したが、王の狼狽(ろうばい)と逃亡によって、ステュアート家は消失した。かくして「自由を尊重しようとする情熱」が国王大権を制する「栄誉ある」革命を生み出した。
本書はできるだけ公平な立場で過去をふりかえり、狂信的な激情を慎むという生き方の典型をなしており、21世紀にあっても歴史叙述の模範ともなりえる力作でもある。
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