書評

『怪しい来客簿』(文藝春秋)

  • 2017/07/03
怪しい来客簿  / 色川 武大
怪しい来客簿
  • 著者:色川 武大
  • 出版社:文藝春秋
  • 装丁:文庫(310ページ)
  • 発売日:1989-10-01
  • ISBN-10:4167296047
  • ISBN-13:978-4167296049
内容紹介:
私が関東平野で生まれ育ったせいであろうか、地面というものは平らなものだと思ってしまっているようなところがある-「門の前の青春」。亡くなった叔父が、頻々と私のところを訊ねてくるようになった-「墓」。独自の性癖と感性、幻想が醸す妖しの世界を清冽に描き泉鏡花賞を受賞した、世評高い連作短篇。

畸人ぎらい

畸人伝のことを書こうと思って、手持ちの畸人伝をいくつか机の上に積み上げてみた。私の蔵書のことだから知れたものである。佐藤仁之助述『畸人傳』、石川淳『諸國畸人傳』、中村吉蔵『明治畸人傳』、鶴見俊輔編『虚人列伝』等だ。

佐藤仁之助述『畸人傳』は、畸人伝の江戸における濫觴、伴嵩蹊『畸人傳』の近代訳、中村吉蔵のは正確には伝記ではなくて、維新の志士を主人公にした伝記形式の戯曲である。石川淳の『諸國畸人傳』については今更言うまでもない。一芸に秀でながら諸国に隠れた逸仙の名文章による伝である。最後の『虚人列伝』はいささか毛色が変っている。たいこもちや、掏摸の親分や、香具師や、大小の山師の行状記である。このあたりまでくると俗臭紛々の私などにも近所つき合いのできそうな手合いが登場してきて、話がよほど身近になる。伴嵩蹊の『畸人傳』は陽明学の変則的な講述である。いわば江戸の家学(朱子学)にたいする革命思想を、アウトサイダー列伝という形式でたくみに韜晦しながら巷間にバラ撒いた戦略的著述の趣きがある。

中村吉蔵の『明治畸人傳』はといえば、国権派に転向した元革命家たちを民権主義者の目から茶にした喜劇である。伴嵩蹊等が陽明学の回天思想を通じて煽動した維新革命も、一旦事がなってしまえば、志士が官僚に化けて人民の頭を圧えつけはじめる。そのあたりの消息をあざやかに舞台化した政治諷刺劇である。

こう見てくると、畸人伝とは偉人伝のパロディであり、裏返しにした偉人伝にほかならないことが呑み込めてくる。石川淳の『諸國畸人傳』にしたところで、一見奇癖のある名工の行状を録しているようでいて、おとぼけの背後には大正アナーキストの硬骨がキラリと光る。

『虚人列伝』となると、体制の実にたいする虚のパロディによる攻撃性は、タイトルを見るだに明白だろう。たとえば旗本の跡取りに生れながらたいこもちとなった松廼家露八について、解説者の鶴見俊輔はこう書く。

「彼は(中略)虚人であってむしろ虚人の域をつきぬけた人と言えるかもしれない。自覚的に自分の虚人としての生涯を生きることで逆に、明治という時代のもつ虚飾をはっきりと見せる文明批評的機能をになった。」

たいこもちに身はやつしても士太夫の硬骨が文明批評の骨組みをなしていたという意味であろう。痩せても枯れても元旗本であって、根っからの町人ではない。シンは武張っており、世が世なら偉人伝中の人なのである。

正直のところ、私は畸人伝につきものの、悪くすると教訓臭紛々の英雄偉人伝に裏返りかねない、この硬骨の擬態にいささか閉口することがないでもない。畸人にしてもコワもての大物本位なのである。

畸人が嫌味だというのではなくて、私の言うのは、畸人伝を編む人の大物主義的なコワ張りが鼻につく、という意味である。どこかに小物の、吹けば飛ぶような連中の、何でもない人の、ノーボディーの、畸人伝というやつはないものだろうか。坂口安吾の『安吾巷談』やサミュエル・ベケットの誰でもない人を主人公にした小説が頭に浮ぶ。しかし、惜しむらくは、これはもともと畸人伝を意図して書かれたものではない。

思いあぐねているところへ、ひょっこりと郵便小包が届いた。開けてみると『怪しい来客簿』という単行本で、見返しのところに「謹呈著者」の名刺大のカードが挟んである。もう一度表紙を見て著者名を確かめると、色川武大。ああ、あの色川さんか、とうなずいて頁を開くと、そのまま一気呵成に読んでしまった。そして畸人伝の話は見合わせて、この『怪しい来客簿』を話題にすることにきめた。一人で読んでいるのが勿体ないと思うほど、こんなに面白い本は、近来めったにない。

畸人伝の話は見合わせる、と書いたが、ひょっとすると、奇しくもこれが私の探し求めていた理想の畸人伝かもしれないのである。大物は一人もいない。出てくるのは、アメリカだったらウィリアム・サローヤンの小説に出てくるような、市井の小さな奇人、落ちぶれた人気者、失意の芸人などばかりである。

かりにざっと名を挙げてみると、ウメさん、新潟弁の先輩、サバ折りの文ちゃん(出羽ヶ嶽文治郎)、井上英雄、佐川先生、大滝幹良、キッタないの婆さん、二村定一、美千代、おかねさん、田中守、杉尾由起子、叔父、おなみさん、ピストン堀口、後宮貞雄、名医、等々となる。

私くらいの年齢の人間なら、このうち、文ちゃん、ピストン堀口、二村定一ぐらいはどこかで小耳に挟んだ覚えのある名だろうが、あとは知らない。それもそのはずで、色川さんが個人的に町で出会った露天商だの、パン助だの、浮浪児だの、失業者だの、三下芸人だの、ギャンブラーだの、白痴だのといった人びとばかりだからである。

(次ページに続く)
怪しい来客簿  / 色川 武大
怪しい来客簿
  • 著者:色川 武大
  • 出版社:文藝春秋
  • 装丁:文庫(310ページ)
  • 発売日:1989-10-01
  • ISBN-10:4167296047
  • ISBN-13:978-4167296049
内容紹介:
私が関東平野で生まれ育ったせいであろうか、地面というものは平らなものだと思ってしまっているようなところがある-「門の前の青春」。亡くなった叔父が、頻々と私のところを訊ねてくるようになった-「墓」。独自の性癖と感性、幻想が醸す妖しの世界を清冽に描き泉鏡花賞を受賞した、世評高い連作短篇。

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週刊時代(終刊) 1977年5月24

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