書評
『「冗談画報」という楽しい番組があった』(三賢社)
1985年10月7日、「冗談画報」はフジテレビの深夜枠で始まった。制作は、69年開始のザ・ドリフターズ「8時だョ!全員集合」を終了に追いやった「オレたちひょうきん族」の横澤彪(たけし)チーム。テレビ視聴者に馴染(なじ)みのない主に新人のお笑い芸人と、“笑い”の要素が濃いバンドを、著名「推薦人」が紹介する形式だった。Ⅱとなって90年まで続き、「(テレビ)業界人の視聴率ナンバーワン」とも称(たた)えられた。
司会を務めた著者が、ビデオ録画と手帳のメモにもとづき約100人(組)の出演者を回想している。初期は米米CLUBや聖飢魔Ⅱ、いとうせいこう。ダチョウ倶楽部や清水ミチコ。後期には田口トモロヲ(バンド「ばちかぶり」)、電気グルーヴも。多くがいまなお芸能界で活躍しているのに驚く。寄席やジャズ喫茶等とはまったく別ルートで新たな文化が育ちつつあった。「軽くてオシャレな新人類側の文化人みたいなキャラをあえて演じよう」と使命感に燃えた当時30歳ほどの著者自身も、この番組の落とし子であった。
詳細な回想が楽しいが、現場での参与観察からこの40年の日本文化の軌跡を分析する貴重な調査報告とも言える。
司会を務めた著者が、ビデオ録画と手帳のメモにもとづき約100人(組)の出演者を回想している。初期は米米CLUBや聖飢魔Ⅱ、いとうせいこう。ダチョウ倶楽部や清水ミチコ。後期には田口トモロヲ(バンド「ばちかぶり」)、電気グルーヴも。多くがいまなお芸能界で活躍しているのに驚く。寄席やジャズ喫茶等とはまったく別ルートで新たな文化が育ちつつあった。「軽くてオシャレな新人類側の文化人みたいなキャラをあえて演じよう」と使命感に燃えた当時30歳ほどの著者自身も、この番組の落とし子であった。
詳細な回想が楽しいが、現場での参与観察からこの40年の日本文化の軌跡を分析する貴重な調査報告とも言える。
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