書評
『たったひとつの雪のかけら』(集英社)
交錯と孤独 人生の断面描いた短編集
韓国の人気作家ウン・ヒギョンの短編集。最初の一編と、登場人物のあだ名(ほんとうは実名になるかもしれなかった経緯がある)がタイトルになった最後の一編のほかは、それぞれ、フランス、スペイン、Tアイランド(アメリカの地名)、ドイツといった異国が題名の一部に入っている。実際に異国の地が舞台になる小説もあれば、登場人物が生きているのはソウルや郊外のニュータウンで、外国はなにかの拍子に思い出されることと繋(つな)がっているだけであったりする。これらの地名は、登場人物たちのどこか居心地の悪いような感じ、いまある場所に馴染(なじ)めない孤独を象徴しているのだろう。
最初の一編では、海辺の街から予備校の受験直前講習を受けるためにソウルに来た女の子たちがこの地で迎えるクリスマスを舞台に、同じ予備校に通う男の子との淡い三角関係が描かれる。ソウルの寒いクリスマスに、主人公のアンナが思い浮かべる「雪片」のイメージは、翻訳家の斎藤真理子が1990年代に韓国語で書いた詩からの引用だ。「ほかのすべての雪片ととてもよく似た、たったひとつの雪片」
これは最初の一編だけではなく、たしかに6編すべてに重なっていくような言葉だ。斎藤の詩の中では、女学生が目を凝らして「たったひとつの雪片」を追うのだが、短編集に登場するどの人物も、ひんやりと孤独を抱えながら、それぞれの人生の軌跡を描いていく。
そしてそんな個人が、ときにハッとするほど読者にとって「よく似ている」存在に感じられる。
「フランス語初級クラス」は、ソウル郊外のニュータウンで新婚生活を送っていて、初めての妊娠を体験する主婦の日常が描かれる。語り手は主婦ではなく「僕」で、成長した息子の視点で若き日の母が回想される。
「スペインの泥棒」で描かれるのは、ニュータウン育ちで高校の同級生だったソヨンとワンの、こちらも雪のように淡い邂逅(かいこう)だ。
しばらく読み進めて行くと、これらの短編が時間を飛び越えてつながっていることに気づく。
「フランス語初級クラス」で胎児だった「僕」は、「スペインの泥棒」ではアメリカから帰国したワンだ。「Tアイランドの夏の芝生」で、ひとり息子を連れて渡米し、なぜだか死んだ人の遺品をガレージで売るエステートセールにばかり行く母親として登場するのは、最初の一編のアンナである。
それでは「ドイツの子どもたちだけが知っているお話」で、淡い三角関係と呼べるのかどうかもわからない奇妙な三角の一点を成すテヒョンは?
ラストの作品「金星女(クムソンニョ)」を読み終えると、この時間も場所も移動する物語に登場する人物たちが、大きなファミリーツリーでつながっていることを確認する。金星女と名づけられるはずだったマリは、若いワンギュとヒョンの大叔母にあたる。物語はマリの回想の中で、1800年代に生まれたマリの父にすら及ぶのだ。
とはいえ個々のストーリーは、一族の物語といえるのかどうか。個人が、それぞれに体験する人生の一断面がくっきりと切りとられ、その一瞬しか交わらない人物との出会いも活写されて、読者はこのたくらみに満ちた短編集に思わず知らず惹(ひ)きこまれていく。
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