書評

『読書礼讃』(白水社)

  • 2018/12/31
読書礼讃 / アルベルト マングェル
読書礼讃
  • 著者:アルベルト マングェル
  • 翻訳:野中 邦子
  • 出版社:白水社
  • 装丁:単行本(444ページ)
  • 発売日:2014-05-23
  • ISBN-10:4560083576
  • ISBN-13:978-4560083574
内容紹介:
ボルヘスをはじめとする先人を偲びつつ、何よりも「読者」である自身の半生を交えて、書物との深い結びつきを語る。

作家は世界を変えられるか?への答え

稀代(きたい)の読書家にして比類なきポリマス(博覧強記者)のマングェル。人間には原始、ふたつの望みがあった、と彼は『図書館 愛書家の楽園』で書いた。一つは、はるか高みへと手を伸ばしてバベルの塔を建てるような、空間を支配する欲望。もう一つは、その罰としてばらばらになった言語の書物を集めて、時間を超越しようとする欲望。

『読書礼讃(らいさん)』は原題をA Reader on Reading(「読書入門」)という。マングェルは図書館という空間から、その書物が入っていった読者の頭の中へと散策の径を延ばす。執筆時期の異なるエッセイ、評論、追想記などのコレクションではあるが、随所にマングェル流の「じゅうたんの下絵」が反復的に浮かびあがる。読むことの倫理、なにを読みとるかという責任、読者の個人的・政治的な関与の在り方……。それらを「下絵」にしながら、本書は八つのテーマで文章を再構成し、読むという行為の諸相を通時的、共時的に見晴らそうとする。

しかし「読書道」なるものはそもそも区画整理された道筋ではないうえ、著者が愛してやまないホメロスやセルバンテス、ルイス・キャロルやボルヘス、ナボコフといった作家たちが所々に魅惑の迷宮を築いているので、うかうかしていられない。

第一章「私は誰?」は、読む者と書く者を巡る章でもある。フランスでは十八世紀半ばまでは、舞台上に観客の特等席があった。ときには役者より多い観客が舞台にひしめき、客に躓(つまず)いて「亡霊役」がすっころび、観客の群れが芝居の一部になってしまう、というトリッキーな状況が紹介される。演出家と役者が制作した舞台を、作る側の意図に沿って、観客が外側から観(み)るという形ではなく、舞台の進行や展開に観客が関与する。舞台に乗ってくるこの観客たちは、図らずも後の「作者の死」を予言していたのかもしれない。

次の「巨匠に学ぶ」という章には、贅沢(ぜいたく)なボルヘスづくしがある。この作家が『エル・アレフ』を捧(ささ)げたという女性エステラ・カントに話を聞く「ボルヘスの恋」も超弩級(ちょうどきゅう)のゴシップだし、「創造行為としての贋作(がんさく)」で『アルコス街の謎』というB級探偵小説の作者探しをするくだりはミステリのような興奮を呼ぶ。ボルヘスの作と実(まこと)しやかに言われた作品は、この小説の他にあれこれあるが、ボルヘスにとって「贋作」という概念はなかった。二つの『ドン・キホーテ』が一語一句同じ文章であっても、セルバンテス作である場合と、無名作家である場合とでは、まったく別作品になると考えて「『ドン・キホーテ』の著者、ピエール・メナール」を書いた作家だから、むしろ自分が巻きこまれた贋作騒ぎを「評価」していただろうと、マングェルは書く。同一のテクストを異なる物語に「書き換える」のは読者自身であり、すべての読者はピエール・メナールなのだ。

そうして第四章で、マングェルは騙(だま)す語り手という際どい領域に踏みこんでいく。「作者の意図」というのは、ダンテの師トマス・アクィナスがかの『神学大全』で初めて述べた文学的概念だそうだが、その意図が政治的に、倫理的に、私的に真摯(しんし)なものであっても(あればあるほど)、物語において「作者が読者とともに構築する対話は、一種の策略であり、詐欺」でなくてはならない、という真摯な詐欺のススメである。

第六章の「白を黒という」はまた刺激的な翻訳論だ。冒頭の時空間の支配欲という話で言えば、人類は翻訳という営みを生みだし、空間と時間を同時に操作するようになったわけではないか? 何百年という過去の遠い異国の詩を、現代の母国語のなかに新作として甦(よみがえ)らせたりするのだから。翻訳者マングェルは「過去の間違いを正す」こともし、ユルスナールの若書きをちょっと添削しながら訳す。日本ではお怒りを買うだろうが、翻訳が「読者」による解釈と言葉の再定義である以上、ニュートラルな罪なき(イノセント)翻訳などありえない。マングェルはtranslationの中世初めの語意にふれ、「聖遺物を別な場所に移すこと。それは時に違法行為」だったとする。そして、コンスタンティノープルからカトリックの都市に聖遺物が移された際、イスラーム教でタブーである豚肉の下に隠した逸話を引き、文学の翻訳とは「いかなる手段をとっても、貴重な宝を運びだし、自分のものにすること」だときっぱり言う態度は、いっそすがすがしい。

本書は、作家は世界を変えられるか?という究極の問いにも行き着く。著者の答えはイエスだ。第七章の「神のスパイ」では当局による拷問や殺人をとりあげ、しかし「人の心は、人がなす最も悪辣な行為よりも大きいということ。(中略)最も忌避すべき行為をすぐれた文章で表現すれば、(中略)克服しがたいものではなくなる」とし、第八章の「読書の終焉(しゅうえん)」では、自分が入院時に『ドン・キホーテ』の物語に実際に苦痛を緩和されたことを書く。

書物の悪魔のようなマングェルは文学に対して、真にまっすぐでポジティブだ。それを再確認できたのも大きな喜びだった。(野中邦子訳)
読書礼讃 / アルベルト マングェル
読書礼讃
  • 著者:アルベルト マングェル
  • 翻訳:野中 邦子
  • 出版社:白水社
  • 装丁:単行本(444ページ)
  • 発売日:2014-05-23
  • ISBN-10:4560083576
  • ISBN-13:978-4560083574
内容紹介:
ボルヘスをはじめとする先人を偲びつつ、何よりも「読者」である自身の半生を交えて、書物との深い結びつきを語る。

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初出メディア

毎日新聞

毎日新聞 2014年7月20日

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