書評

『将軍の都の客人――越後の寺娘・常野、江戸を訪う』(みすず書房)

  • 2026/04/03
将軍の都の客人――越後の寺娘・常野、江戸を訪う / エイミー・スタンリー
将軍の都の客人――越後の寺娘・常野、江戸を訪う
  • 著者:エイミー・スタンリー
  • 翻訳:石垣 賀子,原 直史(監訳)
  • 出版社:みすず書房
  • 装丁:単行本(336ページ)
  • 発売日:2026-03-18
  • ISBN-10:4622097508
  • ISBN-13:978-4622097501
内容紹介:
「さてわたくし ふといど(江戸)かんだ(神田)みな(皆)川町へまへ(参)り なんぎ(難儀)いたし候(私は思いがけず江戸の神田皆川町へ参りましたが、とても大変な思いをしました)」1839… もっと読む
「さてわたくし ふといど(江戸)かんだ(神田)みな(皆)川町へまへ(参)り なんぎ(難儀)いたし候(私は思いがけず江戸の神田皆川町へ参りましたが、とても大変な思いをしました)」
1839(天保10)年の秋、越後(現・新潟県)の実家の母のもとに送られた一通の書状。差出人の娘・常野(つねの)は、決意を胸に、ひそかに故郷を捨てて江戸へと旅立っていた。本書は、19世紀前半の日本に実在した女性の起伏に富んだ生涯を、アメリカの日本史研究者が解き明かす歴史書である。
1804(文化元)年、越後は石神(いしがみ)村の浄土真宗の寺・林泉寺(りんせんじ)に生まれた常野は、3度の離縁をへて36歳で江戸へ出奔。旗本・松平友三郎の屋敷や歌舞伎役者・5世岩井半四郎が所有する屋敷に奉公して自活する日々。同郷の幼馴染・博輔(ひろすけ)との破局と帰郷。南町奉行・遠山左衛門尉景元(名奉行「遠山の金さん」のモデル)に仕官がかなった博輔に請われ、再び江戸へ。一方、国内外の状況は揺れ動き、米提督ペリーの来航が目前に迫っていた。常野が林泉寺の家族と取り交わした約130通におよぶ書状や同時代の多彩な史・資料をもとに、彼女の実像と江戸後期を生きた人々の息吹を蘇らせる。全米批評家協会賞受賞、中・韓・独・露など多言語に翻訳されている世界的話題作。PEN/ジャクリーン・ボグラッド・ウェルド伝記賞受賞。

目次
第一章 はるか遠い場所で
第二章 出羽と越後で
第三章 江戸へ
第四章 長屋からの眺め
第五章 冬の侍
第六章 都市の装い
第七章 家の揉めごと、国の内乱
第八章 町奉行所にて
第九章 常野去りしのち

書状から読む無名女性の生き様

二百年以上前の無名の女性の研究は困難を極める。女性の史料は少なく、研究がワンパターンに陥りがちであった。日記や随筆を遺(のこ)すのは、学者や医者の娘が多い。紀州藩の学問一家の娘・川合小梅『小梅日記』や、仙台藩の医者で『赤蝦夷(えぞ)風説考』を書いた工藤平助の娘・只野真葛の『独考(ひとりかんがえ)』は平凡社の東洋文庫で活字化・出版されている。これらは異様に賢い当時のインテリ女性であり、彼女らから江戸時代の女性を研究したものが増えてきた。特に海外の研究者には古文書解読のハードルが高い。活字化文献を読んでインテリ女性を描く女性史になりがちであった。江戸の長屋に住む下働き女性の生活や心のうちに迫った近世女性史は少なかった。

ただ、方法はあった。研究素材に「書状」を使えばよい。近世後期の日本は世界的にみても庶民の識字率とりわけ女性の識字率が高いほうであった。とはいえ全国的には読み書き不能の女性が多数派。明治初期の識字調査データから南九州等では女性は1割以下であったのが確実視されている。無名女性でも上のほうは仮名の書状が書ける。書状は一般に難読だが仮名書き書状はさほどでもない。書状をまとまって残した無名女性の人生を研究すれば、ステレオタイプでない江戸女性の姿が探れる。

それで近年、書状からみた女性史研究が国内外で進んだ。本書の原著はその成功例であり、ピュリツァー賞伝記部門の最終候補にも選ばれている。江戸女性は忍従の教えで従順だとか二夫にまみえず結婚回数が少ないとか、ステレオタイプがある。確かにその面もあるが、建前だ。実態は単純でない。

本書は「常野」という女性の五十年の人生を追ったミクロ・ヒストリーである。越後(新潟県)の浄土真宗の寺に生まれ、十代で現在の山形県の寺に嫁いだが離縁して合計四回の結婚をし、江戸の長屋に住んで下働きもした。常野に「結婚したいと言ってきた男性は少なくとも九人目だ」という記述があるほど無名の女性の人生を精密に描いている。こんな精密描写ができたのは、新潟県立文書館が「林泉寺文書」を整理し、百三十通にも及ぶ常野に関連した書状をネット上で紹介し、原著者がこれを世界史的な幅広い知見で存分に活用して執筆できたからである。この寺は既に廃寺だから、家族の内情も自由に研究できた。

常野の自由奔放さには驚かされる。兄の反対や指示を無視して押し切る。自分の意志で男をみつけ、家族を騙(だま)して、江戸に出奔する。その過程で家族とのやりとりが生じ、書状の文字として残され、通常は残らない江戸の無名女性の心中の風景が描かれている。

近世史の研究者としてありがたかったのは、女中として奉公に出る女性の詳細が史料的根拠をもって示された点である。江戸時代は、男は「人足」労働に、女は「女中」として奉公に出る場合が珍しくなかった。これが結婚年齢を左右し、日本列島の人口動態にも影響していた。その人々は文字で探れないことが多かった。原著者は貴重な例から情報の多い著作に仕上げ、訳者・監訳者が難しい江戸時代の用語を適切に翻訳している。本書は、江戸時代を知ろうとする者にとって必読の書である。
将軍の都の客人――越後の寺娘・常野、江戸を訪う / エイミー・スタンリー
将軍の都の客人――越後の寺娘・常野、江戸を訪う
  • 著者:エイミー・スタンリー
  • 翻訳:石垣 賀子,原 直史(監訳)
  • 出版社:みすず書房
  • 装丁:単行本(336ページ)
  • 発売日:2026-03-18
  • ISBN-10:4622097508
  • ISBN-13:978-4622097501
内容紹介:
「さてわたくし ふといど(江戸)かんだ(神田)みな(皆)川町へまへ(参)り なんぎ(難儀)いたし候(私は思いがけず江戸の神田皆川町へ参りましたが、とても大変な思いをしました)」1839… もっと読む
「さてわたくし ふといど(江戸)かんだ(神田)みな(皆)川町へまへ(参)り なんぎ(難儀)いたし候(私は思いがけず江戸の神田皆川町へ参りましたが、とても大変な思いをしました)」
1839(天保10)年の秋、越後(現・新潟県)の実家の母のもとに送られた一通の書状。差出人の娘・常野(つねの)は、決意を胸に、ひそかに故郷を捨てて江戸へと旅立っていた。本書は、19世紀前半の日本に実在した女性の起伏に富んだ生涯を、アメリカの日本史研究者が解き明かす歴史書である。
1804(文化元)年、越後は石神(いしがみ)村の浄土真宗の寺・林泉寺(りんせんじ)に生まれた常野は、3度の離縁をへて36歳で江戸へ出奔。旗本・松平友三郎の屋敷や歌舞伎役者・5世岩井半四郎が所有する屋敷に奉公して自活する日々。同郷の幼馴染・博輔(ひろすけ)との破局と帰郷。南町奉行・遠山左衛門尉景元(名奉行「遠山の金さん」のモデル)に仕官がかなった博輔に請われ、再び江戸へ。一方、国内外の状況は揺れ動き、米提督ペリーの来航が目前に迫っていた。常野が林泉寺の家族と取り交わした約130通におよぶ書状や同時代の多彩な史・資料をもとに、彼女の実像と江戸後期を生きた人々の息吹を蘇らせる。全米批評家協会賞受賞、中・韓・独・露など多言語に翻訳されている世界的話題作。PEN/ジャクリーン・ボグラッド・ウェルド伝記賞受賞。

目次
第一章 はるか遠い場所で
第二章 出羽と越後で
第三章 江戸へ
第四章 長屋からの眺め
第五章 冬の侍
第六章 都市の装い
第七章 家の揉めごと、国の内乱
第八章 町奉行所にて
第九章 常野去りしのち

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初出メディア

毎日新聞

毎日新聞 2026年3月28日

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