徳川幕府の祖は新奇を好んだ
織田信長は革新的で海外進出に積極的な重商主義者。徳川家康は保守的で内治優先の重農主義者。そんなイメージがないだろうか。鎖国をした徳川幕府の祖・家康は、きっと海外よりも国内の安定に目が向いていた人物に違いない。信長ほど進取の精神に満ちた人ではないに違いない。そんな家康像が世間一般にある気がする。本書は、その俗な通念を破壊する本だ。私も子どもの頃はそんな保守的な家康像を抱いていた。ところが、歴史研究の道に入り、久能山東照宮(静岡県)などで守られてきた家康の遺品を見て、あれっ、と思った。晩年の家康は西洋風の眼鏡をかけ、メキシコ産の鉛筆を愛用していた。矢立ての筆のように墨や水がいらない。移動中の携帯筆記具に最適だ。便利が第一、伝統慣習は二の次。家康はモノでもヒトでも、世界中から良いものを探して採用する。家康には、ウィリアム・アダムスというイギリス人の知行250石の旗本がいた。「三浦按針(あんじん)」という日本風の名で有名。神奈川県横須賀市などからNHK大河ドラマ化の推進運動もある人物であり、最新研究に基づいた日本語の伝記の出版が待たれていた。本書の著者はベルギー生まれ。海外の日本関係史料に詳しい。大英図書館、セビリアのインド総合文書館、ローマのイエズス会文書館など、世界中に散らばったアダムス関係の一次史料をふんだんに使い、本書を書いている。オランダのハーグ国立文書館で、アダムスの書簡の草稿を多数みいだし、この伝記に新知見を盛り込んでいる。
有難いことに、これら一次史料から、家康・アダムス間の会話内容を復元してくれている。これで国内史料からは見えにくい家康の実像も鮮明になった。国内史料にも、その記述はあるが、家康の意思決定の特徴は「片口を聞かない」ことだ。利害関係者双方・多方から生情報を集めたうえで、独自の判断を下す。ポルトガル、スペインなどの宣教師だけでなく、カトリックでないオランダやイギリス人の言い分を聞いて、国際情勢を判断しようとした。家康は、アダムスに西洋帆船を作れと命じ、自身で見にくる。世界の動物についても聞いた。マゼラン海峡にいるペンギンの話を聞いた可能性もありそうだ。家康の口癖は「根拠」の有無。合理主義者で新奇な事物が好き。なんでも実地で試し、判断する。海外自由貿易にも積極的であった。アダムスから蝦夷地沿岸を北上すれば欧州へ短距離で到達できる可能性をきくと、その「北西航路」の後押しをしようとさえした。いってみれば、家康の素顔は我々の「信長イメージ」に近い。一方、二代将軍秀忠は違う。海外への関心が薄く、キリシタン禁教を重視した。家康死後、二代・秀忠、三代・家光の代で、後世に「鎖国」とよばれた体制ができた。秀忠・家光の国内的・保守的なイメージが、誤って、家康に重ねられている気がする。
当時、ヨーロッパ人が世界一周航海に出ると、生還率は3分の1あるかどうか。家康は、アダムスという異様な体力・知力の男に出会い、彼の非凡を見破って世界情勢を尋ね、徳川外交の基本設計をした。これが徳川の天下泰平の裏にあった。