書評

『ある文人学者の肖像 評伝・富士川英郎』(新書館)

  • 2020/01/11
ある文人学者の肖像 評伝・富士川英郎 / 富士川 義之
ある文人学者の肖像 評伝・富士川英郎
  • 著者:富士川 義之
  • 出版社:新書館
  • 装丁:単行本(446ページ)
  • 発売日:2014-03-04
  • ISBN-10:4403211062
  • ISBN-13:978-4403211065
内容紹介:
「最後の文人学者」富士川英郎の評伝。リルケから江戸漢詩に至る著作に寄り添いつつ英文学者の富士川義之が父・英郎の生涯を読み解く

父親の変身、精神的浄化を追って

富士川家は三代にわたり学者がつづいた。祖父・富士川游(ゆう)(一八六五―一九四〇)は日本医学史研究の道を開いた人。父・英郎(ひでお)(一九〇九―二〇〇三)は、ホフマンスタール、リルケの優れた註解(ちゅうかい)・訳業をのこしたドイツ文学者である。その子、義之(一九三八―)はナボコフ、ワイルドの名訳で知られる英米文学者。このたび三代目が四〇〇ページをこえる『評伝・富士川英郎』を著した。タイトルにある「文人学者」をはさみ、二つの「富士川」が祭壇に献じた二つの花束のように並んでいる。きわめて稀有な、美しい文学的風景というものだ。

子が父を語る。幼いころから、もっとも身近に接してきた。だからといって書きやすいことがあろうか。誰でも身に覚えがあるだろう。血縁というのは奇妙なものだ。息子や娘にとって父や母はテレくさい存在であり、必要がなければ離れていたい。近くて遠い他人、一つ屋根の下にいても姿の見えない人なのだ。親にとっても同様で、息子や娘はいちばん身近にいるというのに、えたいが知れない。何かあると感情的になって、言わずもがなのことまで言ってしまう。

そもそも評伝は厄介なジャンルなのだ。他人の外面をとりあげるだけでなく、内面に踏みこんで心の表情までもとらえようとする。ときには自分の寸法に合わせて他人を裁断し、ひそかに自分の身づくろいをしていたりする。他人の寸法に合わせて他人を裁ちつつ、そこに自分の個性をひそませるのは並大抵のことではない。血の通ったもの同士には、他人よりもっとわかりにくい部分があるとすると、この三代目はいかに難しい課題をわが身に引き受けたことか。四〇〇ページをこえたところにも、なお呟(つぶや)きのような言葉が見える。「ここまで長々と書いて来て、わたしにとって、父は果たして見える人間になったのだろうか」

優れた評伝である。書き始めたのは父の死後五年のこと。死が介在してようやく書くのに必要なへだたりができた。さらに五年がかりの仕事になった。親が子を産むのは十月十日(とつきとおか)でたりるが、子が親を生むには何倍もの歳月が必要だ。

ドイツ文学者富士川英郎は実は半身であって、五十代をこえて以後は江戸漢詩文の世界に没頭した。一身にして二つの学問に通暁し、とりわけ後半生に、この人ならではの著作をなした。みずからも学者である息子には、父親のこの大転換がうなずけない。解けぬ謎だった。転換の始まりのころだが、親子ならではのエピソードがはさまれている。大学二年生の義之が神田の古書店めぐりをしていたとき、そば屋で父親を見かけた。「戸口と向かい合う位置の座席に腰かけていたわたしは、すぐに父の姿を認めたし、父もわたしに気づいた様子だった」

仕入れたばかりの和書をとり出し、ゆっくりページを繰っている。そんなドイツ文学者に向けて、学者の卵は思ったものだ。まだまだやることはあるだろうに、趣味に走っている。おキラクな学的道楽者――その程度の理解だった。

ほぼ十年後のことだが、富士川英郎が雑誌に連載中の「菅茶山と頼山陽」を作家石川淳が文芸時評にとりあげて絶賛した。「……その関係を説き、生活を叙し、詩文を語って、著眼かたよらず、表現また平坦、論をまぜずによく意をつくしている」(『文林通信』収録)。父親はとっくに、子の視界の及ばない高みに飛んでいた。

「肖像」には、父親を「生む」ための道筋が丁寧にたどってある。祖父と父とのかかわり、祖父と森鴎外のこと、大正モダニズムに育った英郎の修業時代、萩原朔太郎への心酔、リルケとの出会い。あるおぼろげな予感に導かれるようにして、日記や書簡、書いたもの、同時代人の証言を参照しながら追っていく。おりにつけそのときどきの自分との「関係性」に及ぶ以外は、評伝作者におなじみの作法である。富士川英郎がリルケ学者としての学識を集大成した「ドゥイノの悲歌」の翻訳と註解は、ドイツ文学界では黙殺された。書評一つ出なかった。著者はつつましく筆を省いているが、当時のドイツ文学界の大御所とされた人の著書とぶつかり、学界全体が小役人的反応を示したせいと思われる。

「もしも父の評伝の仕事を手がけていなければ」、知らずに終わった父親がつぎつぎにあらわれる。少年のころにまでさかのぼる江戸漢詩文のルーツ。人々が奇異にとった変貌は、英郎にとって「全く内発的な行為」であったことのおどろき。やがてうつうつとして不機嫌だった人が、のどかな温和な人に変わっていく。

抑制された報告の文体をとったのは、血縁的くさみを排除するためだろう。父親の変身は、江戸の文苑を書くなかで、精神的浄化の過程があったことを示しているが、ねばり強く父をつづった評伝自体が、ひとつの精神的浄化のあとをとどめていて清々しい。それはみずからも学識に加え、芸文の才をそなえた文人学者にしてはじめてできることなのだ。
ある文人学者の肖像 評伝・富士川英郎 / 富士川 義之
ある文人学者の肖像 評伝・富士川英郎
  • 著者:富士川 義之
  • 出版社:新書館
  • 装丁:単行本(446ページ)
  • 発売日:2014-03-04
  • ISBN-10:4403211062
  • ISBN-13:978-4403211065
内容紹介:
「最後の文人学者」富士川英郎の評伝。リルケから江戸漢詩に至る著作に寄り添いつつ英文学者の富士川義之が父・英郎の生涯を読み解く

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毎日新聞 2014年05月04日

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